Archive for 01霊性

現代スピリチュアリティ文化の明暗

2008年の日本宗教学会第67回学術大会でパネル「現代スピリチュアリティ文化の解読」を主催し、そこで「現代スピリチュアリティ文化の明暗」という問題提起をしました。
弓山達也:現代スピリチュアリティ文化の明暗
樫尾直樹:スピリチュアリティの存在論的構造
渡辺光一:宗教対話実験と意識調査からみた日米スピリチュアリティの実情
安藤泰至:問いとしてのスピリチュアリティ
島薗進:コメンテータ

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スピリチュアルの奔流に整流の道筋を(新宗教新聞)

『新宗教新聞』(2008年2月号)に寄稿したものです。相前後して、江原啓之さんの出演したフジテレビの番組に対して、下記のBPOの意見書が出され、時宜にかなったものとなりました。

日本スピリチュアルケア学会

大阪において、設立準備会議がもたれ、日野原重明理事長、高野山大学スピリチュアルケア学科が事務局となって、日本スピリチュアルケア学会が立ち上げられた。今後、役員の選出、会則の作成が行われ、設立大会は9月15日の予定。学会の目的は、すべての人がスピリチュアルな存在であるとの認識に立ち、スピリチュアリティとは何かを学術的・学際的に研究し、社会のあらゆる場面で、スピリチュアルケアを含む全人的なケアが実践されるよう啓発することとなる模様。

子どもといのちの教育研究会

標記の研究大会の年次大会に出席してきた。初めての会合の出席は、こう見えても緊張する。記念講演の斎藤友紀雄先生とは以前に別の企画で講演をお願いしたことがあり、久々の再会。図々しく隣に座り、ご挨拶を申しあげる。
ラウンドテーブルディスカッションというのも初めての形式。大部屋で5つのグループが同時に議論を展開。僕は2つの小学校のいのちの教育の取り組みに出席。2つのタイプは異なり、非常に勉強になった。備忘録的に記すと、上(教育委員会)からの教科横断的な体系的な取り組みと、下(意識ある教員)からの総合学習内の身体に関する教育に特化した取り組み(写真)の2つのタイプで、いずれも公立学校で、ここまでできるものかと驚かされた。
懇親会はアッとホームで、皆さん、あまりがっついてない。僕の所属するメイン学会では大食い、大酒が普通なので、それが特殊なのだろうか。かなりじっくり話し合うこともできて、楽しい時間を過ごすことができた。
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『中外日報』に記事が

過日のシンポジウムの模様が、中外日報(07年2月20日号)に掲載されました。【画像をクリックすると拡大します】
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『仏教タイムス』に記事が

過日のシンポジウムの模様が、仏教タイムス(07年2月15日号)一面に大きく掲載されました。【画像をクリックすると拡大します】
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シンポジウムで司会

大正大学80周年創立記念国際学術シンポジウム「「いのちと宗教」の教育を考える」のSESSION1「「いのちの教育」とスピリチュアリティ」で司会とコメンテータをつとめる。流れはこんな感じ。
10:00−10:10学長挨拶(大正大学学長 星野英紀)
10:10−11:20問題提起とプレゼンテーション
11:20−12:30ディスカッション
・岩田文昭 (大阪教育大学教授)教員養成におけるいのち教育
・近藤卓(東海大学教授)基本的自尊感情といのちの教育
・Carl Becker(京都大学教授)いのち教育と日本的スピリチュアリティ
発題も議論も興味深く、朝からの企画にしては、80名を超える聴衆で大いに盛り上がった。「いのち」という人間にとっての価値、人生の意味を教育の現場でどう伝えるか、伝える教師をどう育成するか、わが国の教育の重要な論点のひとつに迫ったという自負がある。
また本学のような建学の精神に宗教的理念を掲げる大学における宗教者養成を含む教育ともダイレクトに関わりを持つテーマだ。本学の仏教関係者にはもっと来てほしかったとも思う。
発題の先生には本当に感謝。今後、スピリチュアリティを研究する戦略上のヒントや教育・研究のうえで大きな示唆をいただく。24日は近藤先生が会長をつとめる子どもといのちの教育研究会の研究大会。再会の約束をかわす。
以下が僕の問題提起の原稿。
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中央公論12月号

「スピリチュアルって何?」という特集があって、下記の記事を書いています。さっそく同じ特集内に執筆された鏡リュウジさんからコメントをいただきました。【画像をクリックすると拡大します】
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[01霊性]の主な内容

■論文
Thinking Spiritual Education in Japan←NEW!
霊性と資格
ニューエイジと救済宗教との間
■エッセー
悪の自覚←NEW!
欲望と伝統仏教
アニメと霊性(スピリチュアリティ)
現代における宗教者の育成
福来博士記念館
■その他
「スピリチュアリティを生きる」第一弾・全会話←NEW!
「スピリチュアル」語る場、ネットで提供

悪の自覚

2001年11月29日〜30日に築地本願寺で、(財)全国青少年教化協議会のフォーラム「少年の犯罪と仏教―子どもたちの“痛み”を聞く―」 に関わりました。その直後に書いた文章です。当日は、元「非行少年」との鼎談があり、「なぜ非行はいけないんですか」と逆に問われ、それに端を発したエッセーになっています。
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■ぎくりとしたこと
 「なんで非行はいけないんですか」そんなやりとりが、今回のフォーラムの最中にあったと思う。直接、自分に問いかけられた訳ではないが、もし皆の見ている前で、この言葉を投げかけられたらと思うと冷や汗がでる。自分なら何と答えるだろうか。
 似たような問いは、ここ何年か「大人たち」を悩ませ続けてきた。一つは「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」だ。多くは援助交際の問題をめぐって、当の女の子たちから発せられた言葉だ。自分の下着を売って、身体を売って、それを欲しい大人が買う。一体、誰に迷惑をかけているか、という開き直りである。親も教師もそれに対して有効な回答を見出せないままである。
 もう一つは「なぜ人を殺してはいけないのか」である。ことの発端は神戸児童連続殺人事件を、えぐって、あるニュース番組で若者がこの問いを発し、居並ぶ「識者」の誰一人として答えられなかったというエピソードがある。同様のタイトルを冠した書籍が発行され、雑誌の特集にもなり、それらを見たが、やはり「これだ」と膝を叩くような答えはなかったように思う。

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