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【書評】岡本亮輔『聖地巡礼』

共同通信社から3月下旬に配信されて、『琉球新報』『愛媛新聞』『秋田魁新報』などに掲載されました。

映画キッズ(9)最終回

今回で1970年代中頃の映画キッズ(当時、自分たちのことを「名画座小僧」と言ってたのを思い出した)の話は最終回。最後は当時の映画キッズの身だしなみについて語ろう。
「映画キッズ(1)」「映画キッズ(5)」で述べた「ちらし集め」出陣の際のスタイルは、ジージャンにグルーピーケースという出で立ちだった。ジージャンはいいとして、グルーピーケースというのは知らない人には判らないだろうが、A4サイズのボール紙でできた箱で、映画キッズに限らず、当時の中学生の必携だった。なぜかアメリカのフットボールチームのロゴが入ったりしていた。
読み物(雑誌)は『ロードショー』でもなければ『スクリーン』でもなく、ミニコミ誌・アングラ誌の雰囲気をたたえた『ぴあ』だった。『キネマ旬報』には手が届かなかった。『ぴあ』の各頁の端っこに「はみだしyouとぴあ」とかいう投書欄があって、僕は高校になってから常連だった(本名だったり○印の中に「弓」の字の屋号)。毎年「ぴあテン、もあテン」というのがあって、その年の映画ベスト1と、もう一度見たいベスト1が選ばれ、予告編大会が終日かけて行われた。ある年の予告編大会に行った時、横に大林宣彦と大森一樹がいて(ぴあテンの方の受賞者として来ていた)、並んで『未来惑星ザルドス」を見た。『ぴあ』と似たような情報誌に『シティロード』、高校になると『アングル』というのがあったが、こちらはもっとアングラ度が高かった。大麻の栽培方法(マントラを唱えるとか)や切手の不正使用法(何度も同じ切手使う方法)などが伝授される雑誌だった。中高学生も背伸びをして読んでいたのもいたが、僕はやはり『ぴあ』だった(大学教員になって何かのゲストで大学に来られた当時の編集長とがっちり握手をさせてもいらった)。
財布や生徒手帳には、こうした雑誌から切り抜いた写真がしこまれていた。僕は「イージーライダー」の切り抜きが入っていたが、数学の先生に取り上げられてしまった。女優は僕らと同じ年のジョディ・フォスターとテータム・オニールが人気。そしてTVシリーズ「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」が中学3年生から開始したこともあってリンゼイ・ワグナーがダントツになるが、僕は「タクシー・ドライバー」「ペーパームーン」「ペーパーチェイス」といった映画は好きなものの、彼女らにそれほど関心はなかった。「映画キッズ(7)」で書いたようなタレ目系(そういえばキャサリン・ロスなんかも好きだった)に御執心だったし、映画キッズにはラクエル・ウエルチ(当時「ミクロの決死圏」とか「恐竜100万年」がリバイバルされていた=どうしてだろう?)なんかに注目していたかなぁ。でも、これはあまりにもわかりやすい嗜好性ですね。

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映画キッズ(8)

クラスの連中がロードショーを見ている時に、古い名作を見まくるのが映画キッズだった。何か人とは違ったことをするというのは、健全な青少年の常だが、ただ僕のばあいは、奇をてらってもスノッブになりきれなくて、ヴィスコンティとかフェリーニとか、オシャレな映画をしたり顔で語るのは、どうも苦手だった。もっともB級作品やアクション映画やSFものをいかに「名作」であるかと強弁するのは得意で、この辺は今の性癖とも一脈通じている。似たような仲間の間では「ダーティハリー」「悪魔のいけにえ」「時計じかけのオレンジ」なんかが話題をさらっていた。
これまであげたニューシネマ系や独立プロ系以外は特定のジャンルにこだわった記憶がないが、黒澤明とチャップリンだけは、集中的に見た。「映画キッズ(2)」で述べたように、中学1年のクラスではなぜかウェスタンがブームになっていて、当時名画座でもかからないような「荒野の七人」が映画キッズの中では「名画」と目されていた。そのうちテレビで見ることになったが、確かに面白かった。当然、「七人の侍」が下敷きになっていることを知るのだが、そんな中、テアトル東京で「七人の侍」(完全版)のリバイバルが行われた。
中間テストか期末テストが終わる土曜日に映画館に繰り出すのが映画キッズに慣わしになっていて、仲間数名と見に行った。3時間40分を見終わった時には「長かったなぁ」「もの凄い迫力だったなぁ」という印象しかなく、次の日、物知りな友人に「荒野の七人」の方がいいかなと言ったら、軽蔑した顔をされたのを覚えている。
しかし「七人の侍」効果はジワジワと効いてきたようで、僕は侍ではなく左卜全の演じる農民―ばらまかれた米を一粒一粒拾うシーン―が忘れることができなかった。やがて1週間位して親戚の娘にこの映画を語る時には、僕の中では「七人の侍」と「荒野の七人」の位置は逆転していた。短縮版を学祭で見たという彼女に、「絶対に完全版で見るべきだ」というようなことを力説していたのだ。
黒澤もそうだが、チャップリンはよくテレビで放映され、また名画座にもかかった。長編を全部見終わった頃に、NHKで「チャップリン小劇場」という20分番組が定期的にかかり、大小合わせて彼の作品はかなり見ることができた。物知りな友人たちはロイドやキートンを好んでいたようだが、僕は断然チャップリン派だった。「独裁者」「殺人狂時代」「モダンタイム」のような毒のあるというか、現代批判ものより、「街の灯」「ライムライト」「キッド」のようなお涙頂戴のメロドラマが好きだった。
この他によく見たのはキューブリックやヒッチコックだろうか。上記の通りスノッブになりきれないので、「バリーリンドン」「ロリータ」よりも「2001年宇宙の旅」「博士の異常な愛情」であり、「レベッカ」よりも「鳥」「北北西に進路を取れ」だったが。

映画キッズ(7)

2005年に4回([1][2][3][4])書いて、2009年に中学校時代の同窓会でインスパイアされて書いてきた、映画を見始めた小学校6年から中学にかけて(1970年代中頃)の「映画キッズ」の話([5][6])は、あと1、2回でおしまい。話は当時の映画ファンの中学生たち「映画キッズ」(カリスマ英語教師のヒロ松崎にBBSで命名された)の生態から、何だか自己分析というか、どういう映画にどう影響を受けてきたのかという反芻となって、自分で言うのも何だけど物語論的にも面白い。
不思議なもので、映画キッズといっても新作にはあまり関心がなかった(ちらし収集の関係上、熟知はしていた)。映画キッズは学校で、どれだけ古い映画を知っているか、あまり当時の中学生が見ない映画をどれだけ見ているかを競い合った。例えば中学3年生の終わりにスピルバーグの「未知との遭遇」が大ヒットしたが、映画キッズは冷ややかだった(だいたい学校から引率される名画鑑賞会にかかるような作品は、それだけでバカにされた)。もちろん「ジョーズ」なんかは歯牙にもかけなかった。「スピルバーグといったら「続・激突カージャック」でしょう。ゴールディ・ホーンが色っぽい」「いやテレビ版の「激突!」だね。「警部マックロード」のデニス・ウィーバーの演技がいい」、、、そんな会話を楽しんでいた。
こんな知ったかぶりの映画キッズだから、「名作」を見るにしても、アカデミー賞よりカンヌだった。中学校時代でいうとアカデミー賞で話題になったのは「ロッキー」(1976年)、一方、同じ年のカンヌは「タクシー・ドライバー」。後者の方が通っぽいよね。「映画キッズ(4)」で語った「第三の男」はもちろん、「恐怖の報酬」や「スケアクロウ」などカンヌのグランプリ作品は、僕のお気に入りだった(何度も何度も見た!)。
アカデミー賞でいうと、1939年にヴィクター・フレミングが「風と共に去りぬ」と「オズの魔法使い」を同時に発表して、この2本は最後まで作品賞を競り合ったという話(ホントかどうか知らない)を聞いたことがある。断然、僕としては「オズの魔法使い」である。テレビで見た時に解説の高島忠夫が「ジュディー・ガーランドって面白い顔してる」と言ったのが気になって、なぜか好きになった。ちなみに娘のライザ・ミネリも好きだった(上記のゴールディ・ホーンと合わせて考えると、垂れ目が好きな中学生だったんだろう)。中学1年の時のアカデミー賞は「カッコーの巣の上で」と「狼たちの午後」が二大有力候補だったが、こっちも「狼たちの午後」がいい。どうも作品賞の作品群には違和感があった。
有名な映画は見たい。でも大衆的なのはちょっと違う(今から思えば「タクシードライバー」「オズの魔法使い」「狼たちの午後」は十分に大衆的だが)。みんなが面白いっていう作品にケチをつけたり、人と違う作品に注目したり、違う着眼点を主張したい。子どもと言えば、子どもだが、そうやって自己形成していったのは紛れもない事実である。

映画キッズ(6)

映画キッズはお金がない。だから旧作を求めて名画座を回る。当時(1970年代後半)お世話になったのは文芸座・文芸地下(池袋)、ギンレイホール(飯田橋)、鈴本キネマ(大塚)、早稲田松竹、並木座(銀座)といったところだろうか。300円前後で2〜3本の古い名作を見ることできた。中学2年だったか、3年だったか、文芸地下で「キューポラのある街」「下町の太陽」の二本立てを見たのが忘れられない。いずれも僕が生まれた頃の作品であるが。「キューポラのある街」の舞台は川口で、小学校時代を過ごした赤羽の隣である。「下町の太陽」の倍賞智恵子は当時住んでいた滝野川で少女時代を過ごしたと聞いている。そんな親しみやすさもあってか、この2本を見るために、その後、何度か名画座に足を運び、そのセットで今村昌平や大島渚を見ることになったんだろうと思う。
大島渚の「絞首刑」か「少年」に触れて、今まで見てきた日本映画と何か全く違うのに興奮してストーリーを話す僕に、物知りな友人が「ハンタイセイだね」と言った。当時の僕の頭では「反対・制」と漢字変換され、「おお、反対する人たちの映画なんだな」と納得。それらが日本ヌーベルバーグと呼ばれ、当時、気に入っていたアメリカン・ニューシネマやフランスのヌーベルバーグと同時代性を形づくっているのを知って、何だか凄く大人になったような気がした。高校が決まって、映画を見まくっていた中学3年の最後に「ATG映画の回顧」というような特集を見に原宿にあったミニシアターに通った。「天使の恍惚」「薔薇の葬列」なんかに、もの凄い衝撃を受けたが、他の作品の多くはよく理解できず、僕の中でまだ「ハンタイセイ」は「反体制」になっていなかった。
むしろATGより独立プロの方が僕がストレートに感動できた。お世話になったのはACTミニシアター。「真昼の暗黒」「ここに泉あり」「太陽のない街」など、「冤罪」という言葉も、「ハンセン病」があること(「ここに泉あり」に非常に印象的な療養所のシーンがある)も、プロレタリア文学というジャンルがあることも、映画を通して学んでいったもんだ。
映画キッズ(3)で書いたが、中学生当時、ウエスタンや上記の米・仏のニューウェーブの映画を通してアウトローや破滅型のヒーローに憧れをもった。同時にニューウェーブという意味で、それと近接しつつも、日本の独立プロには、また違ったもの―それは強いものに(まだ権力という言葉を知らなかった)に虐げられながらも、貧しくとも、ひたむきに、そして力強く生きていく人々に対する共感する態度を学んでいたったんだと思う。

映画キッズ(5)

先週、中学校の同窓会があって、級友と当時の話になり、「映画について熱く語ったよな〜」という話になったり、同窓会後に、僕のブログにある、映画を見始めた十代前半の回想を綴った名エッセー(映画キッズ【1】【2】【3】【4】)への感想をいただいたりした。考えてみると、このエッセー、あと日本の独立プロについて、そして名作見まくりについて書かなくてはならなかったのに、そのまま放ってある。この2つにいく前に、少し(1)〜(4)をふりかえっておこう。

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[00自己紹介]の主な内容

■アカデミック
履歴と職歴
編著書
論文
助成金をいただいた研究
更新履歴
■趣味
映画キッズ(1)映画キッズ(2)映画キッズ(3)映画キッズ(4)
■書評した本←NEW!
癒しの時代を開く癒しの日本文化誌カリスマカルト資本主義教祖とその時代共同幻想論教派神道の形成検証・オウム真理教事件現代救済宗教論シネマの宗教美学終末と救済の幻想新宗教新宗教の解読性を問う日本型システムの終焉ピアニストマンダラ恋愛の不可能性について

大澤真幸「恋愛の不可能性について」春秋社、1998年

 社会学者は、どうも人とは違ったことを言って相手を驚かせ、喜ぶ性癖があるようだ。例えば資本主義形成期においてキリスト教がその隠れた推進力の一つになったとか、自殺率は当事者の思惑を越えて、その社会の凝集性に反比例するとか‥‥。
 本書でも美は破壊において完成するだの、友と敵はほとんど見分けがつかないだのといったフレーズが次々と登場して読者を驚かせる。そもそも題名からしてそうだ。なぜ、恋愛が不可能性なのか。
 評者なりの言葉で述べるとこういうことだ。我々は通常、恋愛とは二人が一つになることと思っている。しかし、「わたし」にとっての「彼女」は、家事がうまいから好きなのでもなければ、背が高いから好きなのでもない。大袈裟にいえば、「わたし」を中心とする宇宙の中で「あの」としか指示できない、「あの彼女」だから好きなのである。この時、「あの彼女」は宇宙の中で決して中心、つまり「わたし」になれない位置にいる他者性として立ちあらわれている。すなわち、恋愛とは絶対に合一できない「わたし」と「あの彼女」との差異というパラドックス―不可能性―を常に孕んでいるのである。
 もっとも本書の題名や紅い唇をあしらった装丁で、この本を恋愛論と思ってはいけない。基本的には言語哲学に基礎づけられたコミュニケーション論の書であるといえよう。しかし、決して平易とはいえない本書を読み終えたとき、読者は自らの人間関係と、それを取り巻く宇宙に、それまでとは違ったあり様を見出すことは請け合いである。

上田紀行『日本型システムの終焉』法蔵館、1998年

  「癒し」をキーワードに論陣を張ってきた著者の大胆な文明批評が出版された。
 本書は少年犯罪、学校、オウム事件、沖縄問題など、世間の耳目を集めた現象の根底に横たわるものを、いのちを覆い隠す閉域=日本型システムであるとする。しかもこのムラ的な閉鎖性は前近代性を背景とするよりも、むしろ合理性と効率性という近代性に立脚するのだと喝破。例えば一見無意味に見える校則で生徒を縛ることは、学校の古い体質に基づいているだけはなく、教室運営や受験競争という近代的な効率性の上に成り立っていると指摘されている。
 興味深いのはこうした一連の考察が、著者の地方国立大学赴任時代に味わった単調で退屈な日々や、逆に南アジアでの刺激的な出来事という個人的な体験から照射されている点である。自己言及的な語り口やこれまでの著作でもお馴染みのエピソードが、本書に独特の説得力を与え、なによりも魅力的な一書に仕上げている。日本型システムからの離脱として提起される〈孤立〉=〈個立〉と〈連帯〉との往還も、著者と母との関係がヒントになっているようだ。
 文化人類学出身の著者だが、その幅広い活動・関心からすると、もはや大学の専攻などという枠組みとは無関係なのかもしれない。しかし異郷の地で文化の多様性を理解し、それを相対化するのが文化人類学の仕事の一つであるとするならば、南アジアでの見聞や「いのちのつながり」への洞察から、日本を、そして自己をも相対化しようとする本書は、その意味で極めて文化人類学的であると私は思う。

大庭健・鐘ヶ江晴彦・長谷川真理子・山崎カオル・山崎勉編著『ゆらぎ』(シリーズ【性を問う】5)、専修大学出版社、1998年

 自然科学と社会科学、アカデミズムとジャーナリズムを交錯させながら、性の問題に関わる多彩な執筆者によって織りなされたシリーズ『性を問う』が、「原理論」「性差」「共同態」「表現」に続き、この第五巻をもって終結した。
 ゆらぎ―それは自明とされきた男と女、異性愛と同性愛、さらには正常と異常という区分の崩壊を意味する。性転換による性の越境、インド文化圏における男でもなく女でもない「第三の性」の存在とその宗教的役割、ゴリラにもみられるという同性愛の生物学的な解明。本書は性差が固定したものではなく、振幅に富み、可変的なものであることを示してくれる。これまでのセクシュアリティに関する議論の整理や各章に読書案内もあり、役にたつ一書である。
 性暴力とエイズに関するかなり実践的な論考二本が含まれていることも特筆すべき点である。被害や差別を受けた者が、その不当性を訴えようとすればするほど、深く傷つかなければならない構造。現場からの告発は直接的な加害者だけでなく、こうした構造を維持し、再生産する私ちの性意識にも向けられているといえよう。
 ここ数十年の性に関する研究と実践の成果は、当たり前とされてきた社会構造や判断の基準が絶対的でないこと、つまり「ゆらぎ」があることを突きつけてきたし、これからもそうあり続けるだろう。本書は魅力あるシリーズの最終巻にふさわしいタイトルと内容である。