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映画キッズ(2)

映画から人生やら、ものの考え方を学ぶ。当たり前といえば当たり前だ。価値観とか自己形成に関する講義をやっていると、いったい自分はどうやって自己形成し、何に影響を受けてきたんだろうと思うことがある。答えは結構明白で―僕のばあいも10歳代に観た映画だ。
父が映画好きで、わかりもしない小生学生低学年の僕を「アラビアのロレンス」や「カモメのジョナサン」なんかに連れて行っていたっけ。自分で初めて映画を観ようとして観たのが小学校6年生の時の「OK牧場の決斗」(1957年)。もちろんテレビでだ。電車の中吊り広告が印象的で、これを観ないと歴史から取り残されるんじゃないかという不安というか期待すらあった。物語は有名なワイアット・アープ保安官が飲んだくれのドク・ホリディ医師が組んで、クラントン一家を迎え撃つというもの。
実際、映画は面白く、最後の解説で、この決闘が実話だと知って、その夜、いろいろと考えた。多分、次の日もずーっと考えていた。何にも手がつかず、これは「OK牧場」の魅力というより映画の魅力なんだということに気がついた。
この日をもって僕の映画キッズとしての生活が始まる。中学生になって、クラスに映画好きが3、4人いたこともあって、毎日、どんな映画を知っているかということを競い合った。当時(1975年頃)は、すでに廃れていたウェスタンになぜか人気があった。
「OK牧場の決斗」で僕が感情移入したのは保安官ではなく、飲んだくれ医師だった。アウトローが格好いい。小中学生の男子生徒なら自然な感情かもしれないが、その後もジョン・ウェィンのようなマッチョよりも、「真昼の決闘」の老保安官や「荒野の七人」のブロンソンのような、どこかはずれた役柄に強く惹かれた。いずれにせよ映画を通して自分の中で「格好いい男」像が出来上がっていったといえよう。
そんな僕がタイトルからウェスタンと勘違いして観たのが、、、「真夜中のカーボーイ」。ここから映画キッズとしての大きな転換が生まれた。【続きを心して待て!】

井上順孝『教派神道の形成』弘文堂、1991年

1、本書の構成
 本書は8章から成り、大きく総論・各論・結論の3つに分かれている。総論では教派神道体制の成立過程とその研究史、そして本書の前提となる概念規定と問題の所在が述べられている。各論では、佐野経彦と神理教、新田邦光と神道修成派、芳村正秉と神習教、平山省斎と神道大成教が扱われ、ここでは各創始者の思想形成、教団の性格、キリスト教に対する態度などが詳細に記されている。結論では教派神道の特性や近代宗教史における位置づけが論じられている。
 以下、本書の特色について、?教派神道という概念、そして?グローバル化とネオ・シンクレチズムの2点に関して、それぞれの概略・意義・疑問を述べていきたい。

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石崎正雄編『教祖とその周辺―天理教史の周辺を読む―』天理教道友社、1991年

    一
 近年、新宗教に関する研究が多くなっていくなかで、天理教は特に研究が進んでいる教団の一つである。同時に天理教は天理大学や天理教校などの研究教育機関を擁し、教団内で極めて質の高い研究が進められていることでも知られている。そしてそれは時に教団外の天理教研究に対する厳しい姿勢としてあらわれることもある。小栗純子氏の『日本の近代社会と天理教』(評論社、一九六九)に対する安井幹夫氏の批判(1)や、村上重良氏の『近代民衆宗教史の研究』(増訂版、法蔵館、一九六三)、元天理教教会本部修養科講師の矢島英雄氏の『中山みき研究ノート』(立風書房、一九八七)に対する天理教青年会機関誌上の批判(2)などは、そのほんの一例である。
 一般に教団外の研究者に対する教団側の批判は、実証研究に対する神学的批判という平行線をたどることが少なくない。しかし天理教のばあい、実証研究に対しては、その史料の扱い方や検証の仕方などの問題点を指摘していくという歴史学を背景とした実証的な立場からの批判が中心である。
 もちろん客観的に実証できないものが全て排斥される必要はない。なぜならば、そもそも天保九年に天理教教祖中山みきが、彼女を通して神が顕現する立場(天理教用語で「月日のやしろ」という)となり、今もなお在世中と同様の救済を続けているという神学的内容自体、たとえ実証できずとも(あるいは実証できたとしても)、人々の信仰によって十分基礎づけられている、いわば信仰的事実であるからである。天理教の教学はこの神学的アプローチと実証的アプローチがともに追求されている。そして両者が有機的な連関をなしていることは、なによりも天理教教会本部編『稿本天理教教祖伝』(天理教道友社、一九五六)など、一連の教団刊行物をみれば明らかであろう。
 さてこのような天理教の教学を背景に本書は執筆されている。むろん中山みきが「「月日のやしろ」となられた」(i頁)信仰的事実が大前提にあることはいうまでもない。しかし本書はこうした神学的アプローチよりも、実証的アプローチの方にウエイトがおかれている。また表題には「教祖とその周辺」とあるが、教祖よりもその周辺の方に重きがおかれている。すなわち本書は初期天理教というよりは、幕末維新期の中山家を取り巻く社会状況の記述といった色彩が濃い。それは当時の社会状況の知識を得ることで、中山みきの言行、なかでも彼女が社会や歴史に対してどのような認識をもっていたのかを正しく理解することができからである。これが本書のねらいであると考えられる。
 以下、本書に収められている論文を紹介していきたい。

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ホセ&ミリアム・アーグエイエス『マンダラ』中村正明訳、青土社、1997年

 チベット密教の儀式で使われ、その基本的世界観(コスモロジー)をあらわすマンダラ。極彩色の宇宙の中で神々が交歓するさま(もっともこれはマンダラの一種類にすぎない)に驚いたことのある人も多いだろう。西洋でも、心理学者のユングによって、また一九七〇年代のカウンターカルチャーにおける東洋志向によって、マンダラは注目を集めてきた。本書は美術史を専攻した著者によるものであるが、よくある異国趣味の単なるマンダラの紹介にとどまらず、マンダラの持つ意識変容の力に私たちをいざない、目を覚かせてくれる。
 さて、この意識変容の力とは、マンダラの有する独特な形象―いわば常に中心に向かうエネルギーの流れ―を観想したり、また実際にマンダラを作成することによってもたらされるという。そこで人は根源へと向かい、そこからあふれる無限のエネルギーに接して心と体が清まり、生命を更新することができる。つまり人はマンダラを生き、ここに劇的な癒し(ヒーリング)が生まれる。このあたりは、実際にマンダラを用いたワークショップを主催する筆者ならではの説得力がある。
 また本書は、こうしたマンダラ的装置はチベット文化にだけではなく、アメリカの先住民族の儀式や古代イギリスの巨石文化遺跡ストーンヘンジなど、広く諸文化に見られるということを教えてくれる。古今東西の聖句が繰り出される本書は、それだけでも読む者の魂を癒してくれる。さらに、本書を開くと、それこそマンダラを意識した美しい装丁と、筆者が作成したマンダラの挿画が目に飛び込んでくる。これも一見の価値がある。
 なお、訳者の中村正明氏は松江市生れで、最近ではサブカルチャーの教祖的存在であるコリン・ウィルソン関連の翻訳も多い。小生は松江にある財団法人祈月書院の会合で現代宗教に関して話したことで、お会いする機会を得、ヒーリングなどについて情報を交換した。今後も良書の紹介を念願する次第である。

ウワディスワフ・シュピルマン『ザ・ピアニスト―廃墟のワルシャワからの奇跡の生還』佐藤泰一訳、春秋社、2000年

 「アンネの日記」「夜と霧」「シンドラーのリスト」など、映画化されたホロコースト文学は多い。ユダヤ系ポーランド人ピアニストであるシュピルマンの手記もロマン・ポランスキー監督「ザ・ピアニスト」によって、その一つとなった。
 本書は、ゲットー(ユダヤ人居住区)での生活、ワルシャワの陥落、ガス室に送られていく家族、そして地獄からの脱出が回想形式で描かれている。路上にこぼれたスープをはいずり回ってすする老人や脳しょうを壁にぶちまける少年といった、おぞましい光景が淡々と記され、それが一層リアリティを醸し出す。
 シュピルマンの回想には、ガス室への恐怖を少しでも和らげようと、まるで遠足に行くかのように意気揚々と孤児たちと運命をともにするコルチャック先生の話が二度でてくる。また、オスカー・シンドラーのようにユダヤ人の生存権を左右する雇用証明を発行するドイツ人も登場。シュピルマンが彼らと同じ国で、同じ時に生きていたことに改めて気づかされる。
 シュピルマンは、偶然襟首を捕まれて、家族が乗ったガス室送りの列車に間に合わずに生き残る。しかも飢餓で死ぬか、見つかって銃殺になるかという潜伏生活の末に出会ったドイツ人大尉に命を救われる。「チャップリンの独裁者」に出てくるエピソードのようだが、本書収録の大尉の日記が、それが事実であることを雄弁に物語っている。しかしチャップリンが扮するユダヤ人の床屋と違って、シュピルマンは、戦後、命の恩人と再開することができず、その大尉はスターリングラードの戦犯捕虜収容所で絶望の淵に死ぬ。極限状態で生き残る人と命を落とす人とを分かつものは何か。運命・偶然・芸術を考えさせられる厳粛な記録である。

服部弘一郎+編集部編『シネマの宗教美学』フィルムアート社、2003年

 「十戒」など聖書系をはじめ、宗教を題材にした映画は多い。本書は欧米映画に通底する宗教的なモチーフを探り、そこに描かれる人間の生に対する“こだわり=美学”を描き出す。
映画も宗教も、本来存在しないものを、あたかも眼前にあるかのように映し出すという点で根っこは同じだ。生と死、善と悪、奇跡といった宗教的題材を全く欠いた映画の方が珍しい。しかし「タクシードライバー」のデ・ニーロを神が不在の世界における“復讐の天使”とみなし、「エイリアン3」のシガニー・ウィーバーを「裁かるるジャンヌ」(二人とも剃髪)に、さらには娼婦マグダナのマリアと重ねあわせるといったら驚きはしまいか。
 ただ、ポップカルチャーを大仰かつ軽妙にこじつける、よくあるサブカル論とは異なり、本書には神学的知識を繰り出し、あるいは“9.11”以降の動向をも射程にいれた力強い論考が続く。ベルイマンとパゾリーニとスコセッシが神の死の神学を背景に一脈通じているというくだりには思わず膝を叩いた。コラムやキーワード集、そして索引も便利だ。
 もっともキリスト教のようなドミナントな宗教がない日本では、シネマの宗教美学はどうなるのだろうか。本書日本篇を期待してやまない。

吉本隆明『共同幻想論』角川文庫、1982年

 「哲学する」ことを志して大学に入ったものの、哲学・思想談義にさっぱりついていけず、己の勉強不足に苦しんだ時期があった。ある時、心優しい先輩がそっとネタ本を教えてくれたのが、この一冊との出会いである。
 手にした本書の角川文庫版が出たのが八〇年代前半。「ニューアカ(デミズム)」とやらが華やかつ軽やかに言論・思想界を席巻していた反面、通っていたアナクロな大学では移転と学費値上げの阻止闘争で、在学中ずっとバリストとロックアウトが繰り返されていた。そんな喧噪が全共闘運動のバイブルである本書を、より親しみやすいものしてくれた。
 とはいうものの、戦後最大の思想家(今では吉本ばななパパといった方が通りがいいか)が著した渾身の国家論は、そうとっつきやすいものではなく、本書で検討された『古事記』と柳田国男『遠野物語』をまず読むことにしたのを覚えている。再度、本書を繙いたのは大学四年の時だった。本学で言えば室友会にあたる学生組織の執行部引き継ぎや運動の総括で、僕は悶々としてていた。遅ればせながら身をもって体験した、この「個と共同性」の位相を、宗教・法・国家まで射程に入れて論じた本書の内容は魅力的だった。思想を大衆の基底から捉えようとうする手法も、その後携わることになる民衆宗教・新宗教研究への橋渡しをしてくれたといえる。
 それから一〇年して、僕はオウム事件をめぐって『産経新聞』のインタビュアーとして吉本氏のお宅にお邪魔していた。インタビュー内容は氏の『超資本主義』『尊師麻原は我が弟子にあらず』などに転載され、吉本氏の発言は大きな議論を巻き起こし、僕もその渦の隅っこの方で巻き込まれることとなった。いろいろな人から批判を頂戴したり、激励されたりもした。その顛末は小浜逸郎『現代思想の困った人たち』を参照されたいが、そこで交わされた宗教や思想、そして「発言する」こと自体をめぐる議論は今でも僕の中で整理がついていない。
 僕のやや遅れた第二の誕生は『共同幻想論』から始まったといって過言ではない。未解決の課題をはらむ問題提起の書である。

斎藤貴男『カルト資本主義』文芸春秋社、1997年

 ソニーの超能力研究や科学技術庁内のオカルトの研究会といった奇妙な取り合わせについては、これまで伝聞以上の紹介は少なかった。本書では、気や超能力などの科学では十分に解明できない主題に取り組む企業や政府・行政の姿が克明に描きだされ、さらにはそこでの利害や思惑が批判的に分析されている。
 「カルト資本主義」という著者の造語は、アメリカで始まった意識変容や霊性の覚醒に重きを置くニューエイジ運動が、日本に紹介され、それが一種の経済倫理として定着していくなかで醸し出された新たな価値の体系を指す。所詮オカルトと一蹴されることも多いニューエイジと経済倫理との結びつきの卑近なイメージとしては、『脳内革命』や経営コンサルタントの「教祖」船井幸雄の本を読んだサラリーマンが、その「教義」であるポジティヴ思考や発想の転換で、きつい残業もこなすことができるといった姿を思い浮かべてもらえばいい。事実、ビジネス書のコーナーには宗教書と見紛うばかりの本が幅を利かせ、信奉者も多い。
 本書はニューエイジを過大評価したために自己撞着に陥ったり、これを利用したりすることの危険性を指摘するに留まらず、日本的経営との関わりに多くの紙幅が割かれている。西洋近代を比較的抵抗なく受容した日本の文化的背景は社会学や思想史の大きな課題であるが、その意味で本書は日本的経営の一九九〇年以降の展開を、ニューエイジの定着の過程から解明しようした学術的性格も兼ね備えている。
 著者のニューエイジに対する恐怖ともとれる過剰な態度は、ニューエージャーたちの思い込みと表裏をなすような気もするが、近代を乗り越えよう(ポストモダン)として、なぜか前近代(プレモダン)や素朴なナショナリズムと結びついてしまうことの多い日本のニューエイジの現状を考えるうえでも、本書で示された視点が重要であることは間違いない。

映画キッズ(1)

 BBSで映画を見始めた頃(1970年代半ば、僕が小学校6年から中学校3年)のことを書いていたら、いろいろと思い出されてきて、このアイテムを書きました。
 当時の典型的な映画キッズのライスタイルはこんな感じです。

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論文

1985年10月「民衆宗教の世界観 ―天理教と金光教における〈神〉〈人間〉〈救済〉の思想に関する一試論 ―」『PROJECT-NOTES』6、法政大学哲学会
法政大学懸賞論文入選論文。天理教と金光教はともに幕末維新期に成立した民衆宗教であるが、その世界観の根底には、天理教が家族主義的な志向を有するのに対して、金光教は個人主義的志向が強いということを明らかにした。
1989年2月「ある天理教系教団の分派分立について―天理神之口明場所のばあい―」『大正大学大学院研究論集』第13号
天理教の分派である天理神之口明場所は同時に10数もの分派を生み出す母体となった。本稿では、一般にはほとんど知られていない本教団の沿革を、内務省資料や元信者からの聞き取り等によって明らかにし、近代宗教史上の位置を確定した。あわせて本教団では信者が修行次第で誰でも霊能者・救済者になれ、このカリスマ保持者としての自覚が、教団組織の結集の原理より優先された点が分派輩出の背景になっていることを指摘した。
1989年12月「新宗教における『教え』の成立過程―金光大神の場合―」『宗教研究』282号、日本宗教学会
新宗教において「教え」はどのような過程を経て成立するのかを金光教の教祖である金光大神に即して考察したもの。金光大神の自叙伝や手記、信者の体験談を中心に分析を進め、彼の言説が特別な意味をもって信者に受けとられるようになる過程を明らかにした。そして金光大神の思想・信念が、信者に信じられ、共有されることによって、教えは成立すると指摘し、また教えが教団によって教義へと定式化される過程にも言及した。
1990年2月「不敬事件にみる天皇観―天理研究会事件を中心に―」『大正大学大学院研究論集』第14号
大正10年から昭和3年は不敬事件が急増した時期であることに注目し、そのなかでも多くの検挙者をだした天理研究会不敬事件を中心に考察を進めた。一般不敬事件のばあいは天皇を中心とする国民統合に対する反発といった意味合いが強い。しかし本会は天理教教典、記紀神話、伝説といった諸文献を、教団組織者が自らの宗教体験に基づいて解釈して、天皇に替わる世界統治を目指すという、ある意味で疑似天皇制的性格を有していることを明らかにした。
1991年3月「終末論的宗教運動の挫折と変容―ほんみち以降の天理教系教団―」『国学院大学日本文化研究所紀要』第67輯
敗戦まで最大の新宗教であった天理教の分派に関する組織論的研究。現在確認されている天理教系教団は30余りあるが、そのうち三分の二はほんみちの影響を受けて成立している。本稿ではこの点に注目し、またほんみちが戦前鮮明に打ち出していた終末論的性格を、ほんみちの影響を受けた教団がどのように継承または断絶しているのかを検討した。そしてこうした教団は分派を繰り返しながら、次第に終末論的性格を稀薄化させ、それにかわって神秘呪術、聖地建設、修養道徳の各要素が前面に押し出されていることを指摘した。
1991年9月「大正期の天理教における天啓者待望」『神道宗教』第144号、神道宗教学会
教祖研究が中心の天理教を対象に、これまでほとんど顧みられることのなかった大正期に焦点をあて新資料を用いて分析した。天理教では教祖中山みきと、その高弟飯降伊蔵をもって天啓は終わったとされているが、教団史を詳しくみていくと、彼女たちが死去した後も、特に大正初年においては天啓再来や天啓者登場の雰囲気が教団内で高まっているのがわかる。本稿では、こうした天啓者出現の待望感が天理教の伝承や教団の危機を背景に昂まったものの、一方で次第に終熄し、他方、天啓者を見出だしてそれに従い教内では異端視される動向へと流れていったことを指摘した。
1992年3月「農村における生活改善運動の諸問題」『国学院大学日本文化研究所紀要』第69輯
生活史研究の立場から生活改善運動に対してアプローチした。農村社会学・生活学・民俗学・家政学などの成果をまとめつつ、1988年から1990年にかけて調査に従事した長野県上水内郡中条村の事例をとりあげ、古老や関係者にインタビューし、村に残る資料を収集・翻刻した。ここでの昭和期の生活改善に関係する諸運動を概観しながら、その促進要因と阻害要因を指摘した。特に阻害要因として、この運動が行政依存の体質や村民の誤解、都市並の耐久消費財の普及によって生活改善の意義が薄れていき、そして人間関係の改善まで至らなかったこともあって、運動は定着しなかったと結論づけた。
1992年4月「自己啓発セミナーとマスコミ報道」『国学院雑誌』1021号
アメリカで流行した交流分析やグループ・エンカウンターなどの心理療法の影響を受けた自己啓発セミナー(self-analyzing seminar)の日本での展開を、大宅壮一文庫をもとに雑誌記事のデータベースを作成して分析。そこから「宗教」「洗脳」「営利主義」の3つ報道傾向を明らかにし、この観点からセミナーの内容を検討。セミナーが日本で受け入れられた要因として共同性の欠如、実感への希求、変身願望、精神世界ブームなどの社会的背景があることを指摘した。
1992年6月「戦後の生活改善運動」、星野英紀編『中条村の生活と民俗の変容』中条村教育委員会
長野県上水内郡中条村教育委員会からの助成をもとに1988年から1990年にかけて実施した調査報告。ここでの生活改善運動を戦前の経済更生運動、敗戦直後の生活改善普及事業、1970年代の新生活運動といった全国レベルで展開した運動と関連づけて紹介。特に戦後の村の運動がどのように展開してきたかを、関係者の聞き取りから再現した結婚改善運動を中心に明らかにし、この運動が持っている限界性を指摘した。
1993年6月「現代宗教論の課題」『法政哲学会会報』第11号
現代を宗教衰退の時代と位置づける宗教社会学を批判しつつ、近代化と宗教との関係を問うたもの。特に日本の近代化には宗教的な伝統的価値観が動員されてきたことを指摘。そのうえで近代化に対する宗教的応答として伝統回帰、伝統の再解釈、霊性への注目、近代からの逃避、新しい伝統の創造があることを述べた。そして近代化によって宗教は不可逆的に衰退するのではなく、絶えざる応答関係にあると結論づけた。
1994年6月「現代日本の宗教」、井上順孝編『現代日本の宗教社会学』世界思想社
現代日本人の宗教動向を説明したもの。まず現代日本の宗教状況として、教団、共同体(家や地域)、個人の3つのレベルから解説し、宗教の個人化が進んでいることを指摘。次いで現代人の宗教意識を統計数理研究所やNHKのアンケート調査をもとに世代差や男女差を説明。さらに教団の社会活動として学校教育、医療、政治、平和活動との関わりを述べた。
1994年6月「辯天宗における救済論の展開―特に水子供養に関連させて―」『宗教学年報』24号、大正大学宗教学会
辯天宗の昭和20年代からの機関紙を分析し、そこに掲載されている体験談から辯天宗の説く救済論が変容していく過程を明らかにしたもの。当初、素朴な癒しを中心とした御利益信仰が中心だった辯天宗が、宗祖大森智辯の没後、倫理的な教えによる救済を打ち出し、近年、再度、直接的な癒しの業を前面に押し出していることを解明。そのなかでも水子供養の創出が教団の倫理的雰囲気を高める要因として機能したことを指摘した。
1994年7月「天理教内務省秘密訓令事件」『別冊歴史読本』第19巻27号
戦前最大の規模であった天理教の弾圧を明治41年の教団独立までの時期に焦点をあてて論じたもの。そのなかでも明治21年の「内務省秘密訓令事件」は国家による本格的な新宗教への干渉・圧迫であり、天理教の発展を大きく阻害するものであったことを資料を提示して解明。さらにこの事件が、漠然とした新宗教に対する社会不安を背景にジャーナリズムによる教団批判が展開され、それに乗じて国家権力が介入するという新宗教弾圧の端緒であることを指摘。
1995年7月「若者と宗教」、財団法人国際宗教研究所編/井上順孝責任編集『宗教教団の現在―若者からの問い―』新曜社
青年層が担い手となるユースカルチャー(サブカルチャー)の動向として、その宗教的性格があげられる。その典型的な事例をとりあげながら、ユースカルチャーの宗教化を、青年層の宗教意識についての解説を含めながら論じた。
1995年11月“Varieties of Healing in Present-Day Japan”.Japanese Journal of Religious Studies vol.22,no.3-4.
1994年ごろから各方面で話題となりはじめたヒーリングについての関心の昂まりを、主にユースカルチャーとの関わりから論じたもの。まず、ヒーリングの定義を示し、次いでヒーリンググッズと呼ばれる癒しを醸し出す商品に焦点をあてて、そこで期待されている癒しの効果について述べた。そしてこうした青年層の癒しの希求の社会的背景として稀薄化する人間関係からくる疎外状況への揺り返しがあることを指摘した。
1996年1月「青年層における宗教情報の伝達について」、池上良正・中牧弘允編『情報時代は宗教を変えるか』弘文堂
情報化と宗教との関係をとらえ、青年層に広く浸透しているおまじないについて、高校生、専門学校生、大学生各100人にアンケートを実施した。その結果、青年層の宗教情報の受容はマスコミの影響が大きいが、それとともにパーソナルコミュニケーションの働きも無視できないことを明らかにした。そしてこの2つのコミュニケーションは二元化しているというよりも、パーソナルコミュニケーションの情報をマスコミが吸い上げて標準化する整流装置の役割を果たしていることを指摘した。
1996年6月「日本におけるヒーリング・ブームの展開」『宗教研究』306号、日本宗教学会
青年層約300人へのアンケート結果に基づき、ヒーリング・ブームの諸相をえがいた。そして新聞社データベースをもとにヒーリング・ブームの昂まりを1990年から始まり、1994年後半から本格化したことを明らかにした。これに至るまでは1970年代前半のカウンターカルチャーの台頭、80年代後半のニューエイジ運動の大衆化、90年代の初頭のバブル経済の破綻の3つの契機があることを指摘。ヒーリング・ブームを社会変動との関わりから論じた。そしてこのブームには脱近代志向と調和志向が確認できるできることを示した。
1996年10月「現代世界の宗教」、井上順孝・月本昭男・星野英紀編『宗教学を学ぶ』有斐閣
現代世界の宗教動向を「宗教的なるもの」の拡散化と尖鋭化としてとらえて解説したもの。前者を宗教的なるものが個人の関心領域に縮小される個人化、そして宗教情報がそれが発生した伝統や民族とは無関係にグローバル化する無国籍化という2つの契機を紹介。後者としてカルト、コミューン、ファンダメンタリズムを紹介。そしてこれら2つの動向は相反する傾向であるが、ともに現代の価値相対主義に対する宗教的なリスポンスであることを指摘した。
1997年2月「体験談の変遷とその意味」『宗教と社会』別冊(1996年)
これまでの新宗教研究において宗教的な創造の場としてとらえられてきた体験談を、むしろ指導者に帰依し、教団の論理を無条件で受け入れていく宗教的な硬直の場としてとらえかえした。そしてその過程を教団機関誌に掲載された体験談を3つの時期に分類し、最終的には創始者の絶対化と自己の極小化に帰結することを明らかにした。
1997年4月「『悟り』と『解脱』を求める若者たち」、大正大学編『仏教の人間学?―21世紀・仏教はどうあるべきか』みち書房
オウム真理教における入信に至るまでの体験談を分析したもの。それまでいわれていた超能力や終末予言への関心よりも、入信動機が「悟り」「解脱」にあることを示す。そしてこの傾向が内閉化した志向性と結びつくとき、大きな錯誤があることを、オウム真理教が教勢を伸ばした時期のヒーリングブームとも関連づけて論じた。
1997年8月「「豊かな時代」と宗教」(ハングル)、韓国側運営委員会編『韓・日両国の社会変動と宗教―第5回韓・日宗教研究者交流SYMPOSIUM』大真大学校大巡宗学科
幕末維新期の宗教運動をめぐる歴史学と宗教社会学の論争を紹介。この問題を宗教社会学の方法論の問題点と関連させて論じるとともに、両者の架橋をめざして、この時期の宗教運動に関する新たな視点を提起した。
1998年3月「ヒーリング・ブームとオウム真理教」『(財)明治生命厚生事業団第4回健康文化研究助成論文集』
1980年代後半のバブル経済を背景に起こったヒーリング・ブームと、それと同時期に登場したオウム真理教とを関連づけて論じたもの。両者の共通点として、内面の統御や心地よさに終始する利己主義の独善性があることを指摘した。pp.146-152
1998年8月“A Review of History of Research on Religious Movements of the Bakumatsu and Restoration Period and Some Related Issues”.ACTA ASIATICA 75.
幕末維新期の宗教運動をめぐる歴史学と宗教社会学の論争を紹介。この問題を宗教社会学の方法論の問題点と関連させて論じるとともに、両者の架橋をめざして、この時期の宗教運動に関する新たな視点を提起した。pp.35-52
2000年9月「自己実現の〈学び〉をどう構築するか」『大学時報』274号
大学生の講義離れが日常化する大学において、「魅力ある講義」を構築するにはどうればいいかを論じたもの。いくつかの講義事例を紹介しながら「プロジェクト型講義」を提唱する。そこでは学生のグループ活動を最大限に活用し、コーディネータとしての教員の役割、フィールドワークの重視、学生による単位認定などが行われる。pp.66-71
2000年11月 「新宗教、新新宗教、民衆宗教」、日本仏教研究会編『日本仏教の研究法』法蔵館、pp.71-77
2000年10月 「マスコミ報道にみるヤマギシ会」上、『ラーク便り』8、pp.41-45
2001年1月 「マスコミ報道にみるヤマギシ会」中、『ラーク便り』9、pp.46-49
2001年3月 「癒しと若者文化」『大正大学研究論叢』9号、pp.73-92
2001年3月 「若者と宗教」『国士舘哲学』5、pp.1-6
2001年5月 「なぜ、若者は自ら死を選ぶのか」『全青協・教化レーダーブックレット』4、pp.2-9
2002年3月・7月・11月 「現代人と宗教の周辺」(1)(2)(3)、『歓喜世界』206〜208号、pp.66-71、pp.68-73、pp.76-81
2002年8月 「現代宗教研究の明暗」、南山宗教文化研究所編『宗教と社会問題の〈あいだ〉―カルト問題を考える』青弓社、pp.166-179
2002年10月 「すべてにいのつが―森のイスキアと天命庵」、樫尾直樹編『スピリチュアリティを生きる』せりか書房、pp.137-150
弓山達也「生命主義的救済観と現代宗教」『宗教と社会』9号別冊、2003年、pp.51-62
弓山達也「宗教トラブルと宗教的志向性」『2003年韓日人文学聯合国際学術大会研究発表要旨集』2003年、pp.541-553
Tatsuya YUMIYAMA”The Vitalistic Conception of Salvation and Japanese New Religions.”Religion & society.(Special Issue) [2004],2004,pp.55-67