Archive for 2000年1月16日

ポスト・ラーメン―ラーメンを越えて

ラーメン求道の旅

 1999年初夏。私は永かったラーメン求道の旅に終止符をうちました。

 それまでは荻窪に美味い東京ラーメンがあると聞いたら出向いて落胆し、立教通りにまた一つ開店したというと訪れて立腹し、そんな一喜一憂というか、喜怒哀楽というか、魂の遍歴を重ねておりました。

 しかしその旅も終わりました。それは二郎三田本店と目白の丸長(まるちょう)に出会ったから・・・。

 「二郎」に関してよくなされている評を繰り返させていただければ、この二つは、もはやラーメンとはいえない。これは「ジロウ」「マルチョウ」という食べ物だ。僕は、ここんとこ毎週一回30分(土曜日は45〜60分)並び丸長を食べ、慶応大学助教授のK同志のところで研究会のある時は、K同士のご指導のもとに9:50に二郎に並び、これを喰している。

奥の深さとインパクトと中毒性

 なぜ二郎には「ご指導」が必要かというと、一見さんや時々来るくらいだと、注文の仕方がよくわかんないから。店の人の「ハイ」というかけ声に、客が次々「ニンニクドカヤサイ」、「ヤサイカラメ」、「ニンニクアブラ」といった呪文じゃなくて、注文を唱える光景は、さながら秘密結社の様相を呈している。もし全く注文の仕方を知らずに入店してしまって、この状況に直面したら、と思うと背筋が寒くなる。その辺の奥の深さに加え、二郎、そして丸長も、インパクトと強い中毒性において他の追随を許しません。これは断言できます。

 ほら、○○のトンコツが旨いとか、××の味噌が美味しいっていうのは、人によるじゃない。麺が太いとか細いとか、味が濃いとか薄いとか、量が少ないとか多いとか、そんな チンケな問題を軽くクリアーしてんるんだよ。そうじゃないんだよ、この二店は。

 二郎に関しては、ここをクリックしていただければ、その深遠さが十分にご理解していただけると確信しています。・・・ハイ、見ていただけましたね。怖いですね。奥が深いですね。こんな世界があったんですね。よくぞ、このエッセイに戻ってきてくださいました。では、続けましょう。

丸長の食べ方

 そこで目白の住人としては、やはり丸長をご紹介させていただかないといけまんせん。目白の名物は、皇室の方が通われるケーキ屋さんでもなければ、○○がひいきのフレンチでも、断じてない。それは月曜から土曜まで10時半ともなると忽然と行列が出来始め、11時に開店、12時には「チャーシュなくなりました」という張り紙が出て、14時には堂々閉店している、丸長なのだ。

 丸長はですね、一言でいうと、酸っぱ辛い極太つけそばなのです。

 ただし量が半端じゃない。人気メニューの「チャーシュ野菜」(60分で品切れ)は、どんぶりにチャーシュを砕いたものと煮野菜がぎっちり詰め込まれて、そこに秘伝のたれとスープがかかってる。だからまず麺をつける「穴」を空けるんだ。

 そしてそこに麺をつけて食べる。麺の量には4種類あって、何も言わないと「並」。「中」50円増し、「大」100円増し、「特大」150円増し。僕は「中」を食べるんだけど、けっこうきつい。「大」で、ほぼ二倍。「特大」注文者にはあまりお目にかかったことがないが、それ専用の深めの皿に溢れんばかりの麺がもられているのを目撃したことがある。

 食べ終わったら熱いスープを注いでもらって残り汁を平らげる。まぁ、早食いの僕でも15〜20分はかかる。1回目は「なんだこんなもんか」と思うんだけど、翌日、同時刻に店の前に並びたい衝動にかられる。「ブラックカレー」(「庖丁人味平」参照)を彷彿とさせるね。

 前述の通り、注文の仕方がよくわからい点が二郎に似てる。数少ないメニューの筆頭に書いてある「ラーメン」を頼んでる人はまずいなくて、頼むと露骨に嫌な顔をされる。よくでる「コバチ」という、メニューにはないものを頼むと、「チャーシュ野菜」の具の少ないものがでてくる。その他、「辛子なし」「○○抜き」とか、またスープを注いで貰うタイミングとか、毎日、謎のネクタイ族が車で乗り付け、並ばずに「チャーシュ野菜」10人分らしきものを搬出しているなど、よくわかんないことがあって、ますます奥が深いです。

新たな文化との遭遇

 僕は二郎と丸長を喰させていただいているとき、とても崇高な気持ちになります。それはラーメンの完成形態というか最終段階というか、いやむしろ何か、こうぅ、ラーメンを越えた新たな食文化と出会った感激のためです。きっとE.T.に遭遇したら、こういく気持ちになるんだろうな。ここに行き着くまでの両店の気の遠くなるようなご精進と、それを支え育んだお客さん熱い想いを考えると、長い行列は全く苦にならないどころか、むしろ厳粛な気持ちにさえさせてくれます。もちろん脂っこい汁(二郎)・辛いたれ(丸長)も、その日によって堅さが異なる麺も、敬意をもって一滴・一筋残さず完飲・完食させていただいてます。

 そうなんだよ、こうじゃなきゃいけないんだよ。情報誌が垂れ流して巷に氾濫するラーメンランキングを粉砕する衝撃が、ここには絶対ある。

ああ、許すまじ「立ち食いそば」の欺瞞性

「美味しくいただく」とは

 B級グルメを語るにあたり、「立ち食いそば」は欠かせない必須アイテムだ。でも、これについて書くことはつらい。本当につらい。なぜならば「立ち食いそば」には、正直言って許せないことが、あまりにも多いからだ。

 僕は何も「まずい」から許せないといっているのではない。まずくて許せないのなら、そもそもB級グルメは成り立たないじゃない、あなた。

 ちょっと話はそれるかもしれないが、そもそも僕は「究極」とか「至上」とかと冠せられるものには、あまり興味はない。むしろ重要なことは美味しく「いただく」ことが重要なのだ、と。

 例えば、ここにぬるいビールがあるとしよう。確かにまずい。だが、それをソフトボールでもやって、一汗かいて、芝生の上で飲んだとしてみよう。きっと美味しくいただけるはずである、と。逆に二日酔いの朝に、いきなりフランス料理でも出てきたら、君は美味しくいただけるだろうか。つまり「究極」とか「至上」なんて実体はないんだね。無明なんだね。渇愛なんだね。苦しみなんだね。そんなことを追求していると、また転生して、同じ苦しみを味わうんだね。そんなことを求めている人は悟りや解脱にほど遠い、と・・・。

 この辺はB級グルメの高位のステージに属することなので、別の機会に譲ることとしましょう。

 

この暴挙を許すな

 で、話をもどし、「立ち食いそば」がなぜ許せないかというと、平気でウソがまかり通るからなのです。このエッセーを書くにあたって、ここ何週間かは極力、外食は「立ち食いそば」ですまそうとしてきました。そうすると店の看板に書いてある、書いてある。「茹でたて」「揚げたて(天ぷらが―弓山注)」「本場の味」「生蕎麦(←大抵達筆で読めない)」・・・。

 もちろん何を持って「本場」「生」とするかは難しい。しかし大ざるに茹でた麺があがってて、それに水をぶっかけたものを、我々は決して「茹でたて」とは呼ばない。ナントカ工場から段ボールで送られてきた、きれいに同じ形をしたかき揚げをば、我々は絶対に「揚げたて」とは言わない。

 ある店では「この値段で、一流店よりウマイおそばが食べられます」というようなことが、入り口に大書してあって、食べたら・・・・。どうしてこんな暴挙がまかり通るんですかねぇ。でも、「立ち食いそば」は、それが普通なのだ。公正取引委員会も誰も、これを「誇大広告」だと認めない。

 われわれはぁ、こうしたぁ、欺瞞性をぉ、断固として許さないぞぉ!

 満腔の怒りをもってぇ、徹底的に糾弾するぞぉ!

 絶対に粉砕するぞぉ!(ハイ、一緒にご唱和を。― 粉砕するぞぉ)

 勝利するまで斗うぞぉ。(斗うぞぉ)

 勝利するぞぉ。(勝利するぞぉ) 勝利するぞぉぉ。

 ついでに、国鉄分割民営化にともなうぅ、JR駅構内「立ち食いそば」屋の「あじさい」一元化策動を許さないぞぉ!

 ぼーぎゃくのぉくも、ひかりをおおいぃ、てぇきのア・ラ・シはふきすさぶぅー。

 

「立ち食いそば」の改革

 少し疲れたので、トーンを変えましょう。

 こうした、許せない状況下で、少しずつ改善がなされているようです。「茹でたて」「揚げたて」にこだわる店が徐々に増えている。

 例えば「立ち食い」チェーン最大手の「富士そば」ですら、店内に「茹でたてをお客様にお出しするため、2、3分お待ちいただくばあいがございます」という張り紙を出すところがでてきている。確かに、こうして出てきた麺は、それなりの喉ごしが愉しめる。揚げたてにこだわる店もある。目白駅前「車」は、大抵、いつもフアイアーに火が入ってて、随時、かき揚げを揚げている。西池袋の「伊那」は日高昆布をはじめ出汁にこだわった店である。池袋三越裏の「花子」(名前をなんとかしてほしい。もしかして厨房で働かれているぽばさんの名前か!?)は、「茹でたて」「揚げたて」「出汁」の三拍子がそろった立ち食いとして評価されよう。

 だが、問題は残る。それは麺の香りなのだ。茹でたてだと、ある程度コシがでる。が、そば特有の香りも満喫できる「立ち食い」を、僕は寡聞にして知らない。きっとそば粉の比重なのだろうけど、価格との兼ね合いで、これが「立ち食いそば」の限界なのかもしれない。

 それに比べてうどんはいい。何がいいかというと、うどんは香りではなく、「こし」が重要だからである。で、何がいいかというと、うどんは、あまり知られてないことかもしれないが、冷凍保存がきくのだ。つまり茹でたての直後に冷凍保存しておけば、解凍とともに茹でたてが食べられる。試しに前述の「車」に行ってみるといい。冷凍されたうどんが湯に放り込まれ、あっという間に茹でたてうどんの出来上がり。それに揚げたての「かきか揚げ」と生卵を乗っけた「天玉うどん」は、立ち食い界のかなり上位に君臨する一品であると思っている。ただし、ここでもそばは冷凍ではない。ビニールに入ったゆで麺である。もちろん香りは期待できない。

 

B級グルメの極意

 でも、実は香りがなくってもいいと僕は思っている。いや、B級グルメ的にはOKなのだ。それはまずくってもOKということではなく、蕎麦と「立ち食いそば」は別のものと思えばいいんです。ここはB級グルメのかなり重要なことなのだけど、B級グルメはA級の下に位置するものではなく、A級とは別の体系に属するものである、と僕は考えています。だから香りもコシもない「立ち食いそば」は、「立ち食いそば」というジャンルの食べ物であって、それに蕎麦の香りなどを求めてはいけない。「マルちゃん緑のたぬき」は「カップ麺」というジャンルで勝負しているのであって、それに喉ごしがどうしたなど言っていけない。そう、そう考えると、ほら「立ち食いそば」も美味しくいただけるでしょ。ここにB級グルメの極意がある。

 ・・・・でも、やっぱ「茹でたて」はないよなぁ。