Archive for 2005年3月31日

ついに出版!!!

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『天啓のゆくえ―宗教が分派するとき』日本地域社会研究所、2700円(税別)
本書の見所
天理教―近代日本最大の宗教教団は、なぜ数多くの分派教団を生み出したのか。
各時代ごとに天啓者待望、終末預言、霊能と秘儀を前面に押し出した分派教団出
現の背景と、そのメカニズムに迫る。
本書の特徴(目次より)
■天理教系教団の鳥瞰図を展望
 三つの天理教系教団群(分派分立図)
 救済の論理と分派活動
 新宗教における分派分立
■分派をめぐる人物像へのフォーカス
 中山みきから飯降伊蔵へ
 増野鼓雪のばあい/大平良平のばあい
 大西愛治郎と天理研究会不敬事件
 芹沢光治良の晩年/伊藤青年との出会い
■時代ごとの特徴を分析
 大正期における天啓者待望
 終末論的宗教運動の挫折と変容
 修養道徳/聖地建設/神秘呪術を強調する方向
■分派のメカニズムを解明
 組織の凝集性と個的体験
 伝統の継承と断絶
 救済の力の顕現と抑制

2005年3月

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これが与ろゐ屋の双子煮卵入りつけ麺だ。(3月8日参照)

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風邪の効用

日曜日、この忙しい時期に限って、またもや発熱。
東京で開かれる国際学会(1700名参加)で、英語の発表2本、ツアー(80名)の同行1本、花見(100名)の開催1つと悲しくなるくらい忙しい。こんな時に限って、、、、という感じだ。
月曜日、風呂場で立ちくらみ。しばらく目の前が真っ暗になって、しゃがみ込んだ。先週40歳代半ばで亡くなられた先輩のことが頭をよぎった、、、、
火曜日、全くもって壮快のもの。不思議なことに「今年からついに花粉症かよ」と思っていた症状も、すっきり消えた。
つまり、、、
・花粉症とおもっていた症状は実か風邪で、風邪が治ったから、その症状も消えた。
・風邪をひいたことにより、体毒が滅せられて、花粉症を克服した。
薬毒論とともに「風邪の効用」(野口晴哉)を信奉する私ですから、断然、後者を支持したい。

IAHR 2005 Cultural Event

Cherry Blossom Viewing“OHANAMI”in 28 Mar.
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時事通信からインタビュー配信

現実から逃げない自分探しを―オウム事件から学ぶべきこと
 オウム真理教による地下鉄サリン事件から10年が経過した。「自分探し」のために入信した若者は、理想と感じた世界で何も見つけられないまま挫折し、テロ事件に手を染めた。1万人の信者を集めたオウム真理教とは何だったのか。宗教と若者の関係はこの間、どう変容したのか。若者とカルトの研究を続ける弓山達也・大正大学人間科学科助教授(宗教社会学)に聞いた。

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読売新聞2005年3月15日のインタビュー

【論陣論客】地下鉄サリン事件から10年
若者と宗教に大きな溝

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スピナビが朝日新聞2005年3月4日夕刊で

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竜泉のすたるじぃ

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 大学の歓送迎会会で台東区竜泉1丁目にある「梵」という普茶料理の店に行く。
 普茶とは、要するに黄檗宗の精進料理だ。B級でもないので、こっちに載せよう。ただ、写真にあるように、どう見ても鰻なんだけど、食べると湯葉とか、確かにエビの天ぷらなんだけど、実はニンジンとかという料理を食する。浦霞を飲む。
 竜泉というところには思い出がある。
 僕が大学2年から4年まで警備員のバイトをしてた工場があった場所だ。名前は嶋田チャンネル製作所。チャンネルとは車の窓枠で、僕は、この工場に週2〜3日、午後7時から午前8時半まで詰めて、見回りや納品の際のシャッターの開閉をやっていた。一晩5200円。安い!
 工場と別棟の社屋のガレージ内に3畳位の部屋があてがわれ、そこにベットと机と電話があった。見回り以外はあまりやることもなくて、湿っぽいベットで寝る気にもなれず、実は一番読書したのは、大学時代、この警備室においてかもしれない。関口ドイツ語をやったり、カントやデカルトを読んだりした。研究者になるきっかけとなった中山みきや金光大神に出会ったのも、ここでだ。
 最後の1年は警備員の配置も担当して、今でも「○○が急に嶋チャンに行けなくて」みたいな夢を見ることがある。どっかで一杯ひっかけて工場に戻って泊まり込む社員や、明け方に納品に来る町工場のおばちゃん。日産の下請けの下請けの、そのまた下請けの姿をつぶさに観察することができた。仕事が終わった近所の町工場のおやじさんがステテコ姿で道路に縁台を置いてナイターをラジオで聞いていた。夜警が終わって竜泉から南千住までの道のりは、飲んだくれたおっさんを踏まないように注意しなければならなかった。途中の吉野家では朝から宴会が始まっていて一人2本までの酒と決められているのに、3本目を注文するおっさんと店員との攻防が見られた。図書館には「飲酒厳禁」の張り紙があった。警備中、2度ほど地元の不良中学生が工場のシャッターを開けようとしていた場面に遭遇したことがあった。80年代初頭、校内暴力が華やかな時代だ。工場ではシンナーだか、トルエンを扱ってたっけ、、、
 さて、「梵」と嶋田チャンネルは数百メートルの距離。宴会終了後に一人で嶋チャンに行ってみた。もしかして泊まりの戸出課長がいるかもしれない。いても僕のことを覚えているかしら、、、なんて期待もあった。
 19年ぶりの竜泉2丁目は景観が変わっていた。たぶん、このへんだろうと思われるところに、工場はなく、マンションが建っていた。工場の奥、僕が詰めていたガレージのあった社屋は、、、、あった。な、ん、と、キックボクシングのジムになっている。でも3畳の部屋は健在で、更衣室になっている模様。出入りしていた扉も、荷物で封鎖されているが、そのままだ。僕が呆然としているとタイ人らしきボクサーが出てきた。「ジムになる前は何でした」と尋ねていると、他のボクサーが出てきて、親切に対応してくれた。でもジムが出来たのは1年ほど前で、その前のことはよくわからないみたい。
 酔っていて涙腺がゆるんでいたが、もの凄いビル風で目はすぐに乾いた。嶋チャンの社員はどうしたんだろうか、、、などとぼんやり考えながら、これまたすっかり雰囲気に変わって巨大パチスロ屋が並ぶ三ノ輪方面に歩いていった。