Archive for 2005年7月31日

イタリア日記(6)

アッシジの2日目。夜明け前に起きて、街を一周する。山の斜面にある街なので基本的には平坦なところは広場しかなく、あとは坂道か階段だ。ホテルに戻る頃、サン・フランチェスコ聖堂に朝日があたりはじめた。日曜日なので頻繁に鐘が鳴っているが、サン・フランチェスコ聖堂は午前中は観光客が入れないというので、ローマ時代の要塞であるロッカ・マジョーレに行く。ホテルから1時間位、坂道をあがる。道はどんどん狭くなり、幅が1メートルもない。木々でまわりもよくわからず、他に人もおらず、本当にこの道でいいんだろうかと心配になるが、ようやく到着。2つの塔が城壁でつながっていて、高い方の塔からはアッシジの街全体が見渡せる。

午後はサン・フランチェスコ聖堂。内部のフレスコ画は驚くほど剥がれているが、神癒、聖痕、十字軍との関わりなど、フランチェスコの生涯を描いた28枚をじっくり見て回った。昼食を近所のカフェでとり、そのまま山を降りてサン・ダミアーノ修道院に向かった。炎天下のなかを、(たぶん)あまり日本では見かけない果樹を左右に見ながら、降りていくと、フランチェスコが石を積み上げて修復したという修道院がある。装飾のほとんどない質素な礼拝所、屋根裏の集会所(写真)、井戸のある中庭などを見て回った。30名ほどの団体参拝と一緒になったが、とても静かで穏やかな空間である。全身に入れ墨をしている若者に修道女が熱心に話をしているのが印象的だった。

夜は、ウンブリア州の郷土料理。またもや野沢菜スパゲッティが登場。今回は、よーく味わったみてが、どうもフンギや野菜を砕いてクリームあえにしたもののようだ。メインは迷った末に「ハト」。日本でも、湖南料理で一回食べたことがあるが、確か美味しかったと思いだし、挑戦。意外に食べ応えがあった。鶏というより、猪や鹿といった獣に近い。味もまずまず。

イタリア日記(5)

フィレンツェから電車で2時間半。ペルージャなどを通り、アッシジに着いた。言うまでもなく聖フランシスコゆかりの地である。ローマやフィレンツェと違って、のどかな田園風景がすそ野の広がるスパズィオ山の中腹に、その聖地はあった。ホテルはサン・フランチェスコ聖堂の正面にあった。部屋から聖堂が見える。ロビーは無料の無線LANが完備だ。
さっそく細長い街を北西の端の聖堂から南東のサンタ・キアーラ教会に向かって歩いてみる。途中、パンテンオン風の建物があった。ミネルヴァ聖堂だという。ここはフランシスコ会の本山であるとともに、古代ローマ時代から栄えていたことを忍ばせる。
お土産や飲み物を売る小さな店とホテル兼トラットリアが並ぶ、いわゆる門前町だ。日本でいうと成田山に非常に近い。途中、世界各国から訪れる参拝者からどれだけ多くの種類のコインをユーロと交換できるかというゲームをしている子供たちの一群に遭遇し、三度ほど、日本円コインをせびられる。10円玉3つが、1.20ユーロ(約200円)に変わった。もっと来ないか子供たち。

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イタリア日記(4)

実は12年前にも、ここを訪れた。ローマよりも人口密度というか、観光客密度が高い。街を歩くのも、炎天下で逃げ隠れできずに、けっこうきつい。サン・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に20分並んで参拝。ドゥオーモのクーポラに昇る。細くて急な階段をひたすら昇る。途中、何ヶ所か待避所があるが、頑張って昇る。幸いなことに、この日の昼食時には、それほどワインを飲んでいなかったので、息が上がる寸前でクーポラの内側の絵の部分に到着。天井に近い部分に天界が描かれ、参拝者が回れることは地獄が描写されているので、この地獄絵図を堪能する。おーっと、、、まだ上があるのか。最後の力を出し切って天井部分の外側に到着し、フィレンツェを一望する。うーん、良い眺めだ。

イタリア日記(3)

ローマからフィレンツェに向かう。座席を予約しようと駅に向かうと長蛇の列。インタナショナルとドメスティックの二種類に分かれているが、列の先に見える窓口の上には、「切符は自動販売機で買え」みたいな文字が点滅して、ちょっと心配。30分ほど酸欠状態になりつつ、ようやく切符をゲット。指定席とか等級とか、よくわかなないけど、とりあえずユーロスターの一等車にしてみた。
電車が快適。途中、乗務員が紙おしぼり、スナック菓子、ソフトドリンクを持ってまわってくる。おお、一等車には、そんなサービスもあるのか。1時間半の予定が予定を30分ほど遅れてフィレンツェに到着。
ローマでは白ワインばかりだったが、こちらはキャンティの赤。ハウスワインの500mlでも3〜5ユーロで、かなり美味しい。料理も豆とパンを煮込んだリポリータ。ローマ名物と思ったら、ここでも名物だったトリッパのフローレンス風(チーズがたっぷり)、フンギ(きのこ)のタリアテッテ(平打ち麺)が美味い。僕はジュルジュルしたものが好きだから、本当にウマイと思う。

イタリア日記(2)

7月25日〜27日とローマ市内を回った。前にも書いたが、12年ぶりのローマは、前に来た時が12月だったのに対して今回はバカンス期なので、より観光客で活気に満ちていた。24日のスペイン広場に続き、トレビの泉、真実の口、フォノ・ロマーノなどといった定番をまわる。前回も来て今回も行って、かなり異なる感慨を得たのは、凡庸かもしれないがバチカン美術館。それもラファエロの間である。
12年前、ここを訪れた時、僕は「アテネの学堂」に釘付けになった。プラトンが天を指さし、アリストテレスが地を示し、まわりにこの絵の描かれた当時のVIPに模したギリシャの哲人たちが勢揃いのアレである。高校の倫社だったか、世界史だったかのカラー挿画に、この絵があって、その後、哲学を志して大学進学をした僕の部屋には、恥ずかしながら、この絵が教科書から切り取られて掲げられていた。大学に入って、一昔前に大学解体の議論があったことを知ったり、ニューアカの潮流を目の当たりにしたりして、この作品は僕にとってうさんくさくも思えたりしたが、それでも大学4年間は部屋のどこかに、この絵がはられていた。
そんな若かりし日の思い出が蘇り、12年前のバチカン美術館では実物に出会って感動したものだった。

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イタリア日記(1)

昨日、ウィーン経由でローマに着いた。途中、クロアチアのコイチというバーテンと一緒になり(正確に言うとウィーン空港内で右往左往して)、いろいろと話をした。彼が言うにはクロアチアは情報が少なく、人種も実は限られている。生涯「黒人を見たこともない人がいる。それに比べて日本は携帯だ、パソコンだと一歩進んでいる(one step advanced)」とのこと。ふーん、そんなもんんか。僕らにとって旧ユーゴの方が「人種のるつぼ」って感じで、教科書でも、そうならったんだがな。そいうえば、ザグレブでもドブルブニクでも、日本人はおろか、東洋人さえ、ほとんど見ることがなかった。
、、、そんな話をしながらローマに。うわっ、、、いろんな人種がうじゃうじゃいる。暑いし、ゴミゴミしているし、ザグレブよりおっかないな。とりあえずテルミニまで電車でいくが、車両がいっぱいで、荷物車に乗れと言われる。30分間窓の開かない、クーラーのない車両で、立ちっぱなしだ、、、
テルミニからホテルまで歩いてみる。レパブリカ広場からナチオナーレ通りをクワトロ通り=システィーナ通りに入り、「ローマの休日」のオードリー扮するアン王女の居住となったバルベリーニ宮殿を抜けてホテルに着いた。S助教授がローマにいるので電話をしたが、外食に出てしまったとのことで、一人で夕食。Trippa Romanaというローマ名物「牛の胃トマト煮込み」を食す。Vinoも1/2リットル飲む。美味いのぉ。高木のモツ煮込みが懐かしいのぉ。
帰りにスペイン広場まで言ってみると、そこはオードリーがジェラートを食べながら、グレゴリー・ペックと再会した場所というより、60年代末の歌声酒場の様相を呈していた。アメリカの懐メロをギターでガンガンに奏でる連中が何人かいて、そのまわりに10〜20名くらいの取り巻きがビールだか、水だかをラッパ飲みしながら声援、拍手、ヤジを送っている。新宿のフォークゲリラのようだ(見たことないけど)。12年ぶりのローマだが、前来た時もこんなんだっけ?
こうしてローマの一日目の夜は更けていった。

クロアチア日記(5)

今日はエクスカーション。ザグレブ近郊の三都市に繰り出すツアーと世界遺産指定の公園に行くツアーの二種類があって、僕は後者を選択。同じホテルに泊まっているK助教授とは、3月のIAHR東京大会でエクスカーション担当をしたので、エクスカーションに関して、我々は一家言も二家言もある。どんなものかお手並み拝見とばかりに気合いをいれて30分前集合。そのうち三都市ツアーのバスが来る。何となく不安になってホテルの外で待つ。時間になってもバスは来ない。30分経っても何の音沙汰もない。
・・・・・もしや、マジ? 要するにすっぽかされたってこと?

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クロアチア日記(4)

今回の我々のセッションは「東アジアの霊性」。日本、韓国、台湾の霊性に関わる運動をめぐって、どういう議論が東アジアで行われているかを、この欧州中心の学会で紹介するのが目的だ。僕の発表は「霊性と資格」で、制度になじみづらい霊性が、カトリックと真言宗、それぞれのスピリチュアルケア・ワーカー養成の制度の中で、どうやりとりされているかを素材に、霊性の特徴を指摘していくというものだ。
ただ、これまでの国際学会での経験からいうと、あまり人出は期待できない。2000年にオウムのことを発表したって、来たのは数名だった。しかも今回は実質的な最終日(23日はエクスカーション)で、そもそも人が残っていないかもしれない。そんな心配や、いつもながらの英語の発表に対する緊張感を胸に会場に着いた。
ぐるっと会場をのぞくと、やはり参加者は少ない。5名くらいしかいない部会もあった。5名というと、発表者だけか? 開始30分前に自分の会場にたどりつくと、すでに1名の来客。もしかして勘違いかと思って声をかけると、「霊性は重要。あたりまえよ」という感じ。むしろ「日本語でやるんじゃないよね」と気にかけてくれている様子。やがて聴衆が増えて、最終的には10〜15名となった。しかも1名を除いて、全員、外国人である。
樫尾・弓山・佐々・藤野の順で発表はなんとか無事に終わり、ベルトン先生のコメント。僕に対しては、宗教を背景としない価値観の可能性はあるのかという、まことに的を射た質問をいただき、辞書を引き引き英作文、応答(詳細はそのうち論文にしよう)。発表者が一通り、応答を終えてフロアとの質疑応答となった。
高齢化社会の中でますます霊性の問題は重要だというような(確かそういう主旨だったような)コメントやspirituarityの翻訳上の問題などに関する質問があったが、いずれも実に我々の部会に対して好意的であった。我々も黒板などを使い、一生懸命それに応えた。2時間のセッションが終わったあとも、雑誌に寄稿しないかというオファーや、メールアドレスを教えてくれとの問い合わせなどがあり、実に嬉しかった。最後にみんなで記念撮影。で、街に繰り出し、遅めの昼食兼打ち上げ。

クロアチア日記(3)

いきなりドブロブニクです。中世の要塞都市がそのまま残り、1991年からの旧ユーゴの内戦の際はセルビアから攻め込まれ「危機に瀕する世界遺産」となったところだ。日本では滅多にお目にかかれないほど強い日差しと、真っ青な海。大理石の石畳がまぶしい。そこを水木姿同然の観光客が練り歩く。メモリアル・ルームでは、内戦の犠牲者一人ひとりの写真が掲げられ、内戦の時の模様をスライドで上映している。ここだけは観光客も厳粛な気持ちにならざるを得ない。
イタリアから学会に参加しているエリカに聞いてみると、イタリア人も最近は観光となると、物価の高いギリシャよりもクロアチアの方が人気があるとのこと。しかも、ここドブロブニクがダントツ人気だそうな。
墓地などを見て回り、その合間に少し離れたビーチに行ってみる。ビーチと言ってもわずかな砂浜に石がごろごろところがり、岩があちらこちらに顔を出している、いわゆる「海岸」だ。そこに地元の人たちが飛び込み、泳いでいる。僕も水着に着替えて泳ぐ。足がつくところは、石や岩で痛いというか危ない。足が届かないところは恐い。その横で子どもが高さ7、8メートルはあろうかと思われる岩から飛び込んでいる。水は澄んでいて、巨大な岩がごろごろしているのがわかる、、、「グラン・ブルー」の最初の方のシーンを思い出した。
しばらくして子供たちが集まってきた。よくわからんが、言葉の端々に「ポケモン」「シャーマンキング」「カラテ」という単語が聞こえる。双子の、これまたきっとクロアチア美人になると思われる10歳の姉妹は「スパイダーマン」「トム&ジェリー」とか言っている、、、それは、ちゃうやんか。
後ろ髪引かれる思いで、この素朴なビーチをあとにした。振り返ると子供たちが親御さんらしき人に叱られているようだった。そりゃ、そうだわな。見ず知らずの東洋人に近づいていったんだから。可哀想に、、、

クロアチア日記(2)

ザグレブ2日目の午前中に市内観光で教会や市場などをまわる。市場のそばで食べた牛・豚・羊などの肉の入ったケバブが美味しい。考えてみれば昨日の夜のつまみもケバブだった。この国の地理的関係上、トルコ料理っぽいのは当然か、、、と思った数日後、このサイトのBBS(7月22日)に夕凪晴海さんが靖国神社の「みたままつり」で食べたケバブをリポート。縁浅からぬものを感じる。
さて夕方から、いよいよ学会の受付とパーティ。今回、参加者300名弱で日本人は10名弱。前回のトリノの大会で知り合いになったエリックと再会。このノルウェーのおじさん、なぜか僕のような英語がたどたどしい日本人とも話し込むのが好きみたいで、30分ほど立ち話。レセプション係がガンガン、白ワインを注いでくる。中欧地域と現象学的社会学者(シュッツ、バーガー、ルックマン)の出自などのご見識をうかがい、このおじさん(このあと、ウィーンにいるルックマンに会いに行くとのこと)が実はとても立派な理論研究者であることがわかった。しかも最近、チャネリングの参与観察をしたというので、今度、一緒にセッションを持とう約束。
パーティの後、二次会、同じテーブルには合気道をやっているトーマス、米朝関係を宗教社会学的とらえようとしているアンソニー、やはりトリノで知り合ったヘビメタ兄ちゃんのティートス、同じセッション藤野などと一緒。酔いがまわっていて、かなり盛り上がった。僕のホテル方面の人はいないということがわかり、一人でタクシーで帰路に。