Archive for 2009年2月28日

いのちの教育研究会10周年大会終わる

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子どもといのちの教育研究会10周年記念大会を無事に本学で開催できた。近藤卓先生をはじめとする東海大の皆さんの奮闘によるところが大であるのはもちろんであるが、本学のスタッフ(院生・学部生)も、かなり頑張ったと思う。
大会は2つの講演会に2つのシンポジウムに3つのラウンドテーブルに総会と懇親会と、通常なら2日間でやる内容を終日かけて完遂した。僕は司会に、シンポジストに、大会事務局に「八面六臂に働き」(岩田先生談)で、かなり疲れた。懇親会後に刺身とうどんに日本酒、さらに激辛カレーに焼酎でキメてフラフラになって帰宅した。
さて大会自体は島薗先生の死生学といのちの教育の関係といった示唆深いご講演、田口ランディ氏のファンタジー(世界観とか価値観と換言できるだろう)を問う感動的なお話、現場の先生の活動報告など、かなり多岐にわたっていた。小生はランディ氏のパワフルな講演の後で登壇したシンポジストだったので、やや挑発的に飛ばしすぎてしまったが、会場からの質問をたくさん出され、その役割を全うした(んだろうか)。
ランディ氏と並んで感動的だったのは、会長ライブ。近藤先生とゼミ生との緊急ユニットで4曲を披露。いや〜格好いいなぁ。楽器ができるって羨ましい。今年で還暦というが、お若いというか歳相応に渋いというか、、まぁクールなんだな。あと60年くらい現役でいるということだから、そろそろ引退を考えている僕よりも、ずっと若々しいのは間違いない。

ネットブックを買った

持ち運び用のThinkPadが修復不可能な状況になって、かねがね買おうと思っていたネットブックを、このたび、ひょんなことから買えることとなった。買ったのはAsusのEeePC S101。ところでAsusとかEeeとかAcerとかって何て読むんだ? ビックカメラで「アースス」って言ったら、定員から「アスース」と訂正された。じゃぁEeePCは? トリプルイーピーシーかな? それともイーピーシーかな?
いずれにせよHDDタイプとSSDタイプで迷った。S101はHDD160GBもSSD16GBも同じ値段。SSDタイプの方が40g軽いのと、1.5倍の駆動時間(約6時間)。よく物事を判っている人に聞くと、SSDを勧めるのだが、何となく160GBがくっついてくるのに、それを取らないのが惜しい気もするし(根っからの貧乏性)、SSD16GBなんて来年になれば、「よくこんな容量でやってますね」てな具合になるのは目に見えている。
そんな中、国際宗教研究所のシンポジウムで隣に座った稲場さんが持っていたのが、ずばりS101のSSDタイプ。同じコメンテータで、その場でサラサラっとパワポの原稿を作ってコメントしているのを見て、本当に羨ましいと思った。俺だってネットブックがあれば、、、と本日、急いで購入。もちろんSSDタイプだ。電源を入れると、すぐに使える。MSオフィスとウイルスバスターと秀丸とベッキーを入れたら空き容量は約9GBだ。でも大変満足。 

社会貢献シンポ無事終了

(財)国際宗教研究所のシンポジウム「宗教の社会貢献はどうあるべきか―21世紀の課題―」がお蔭さまで無事に終了した。企画・運営の一端に関わり、コメンテータもつとめたので感慨も深い。参加者は140名で、別の財団で何年にもわたって関わった仏教者の社会参加関連の諸企画では数十名集めるのも一苦労だったので、その十年前と比べると隔世の感がある。
財団の企画は、神道、仏教、キリスト教、新宗教というバランスで発題者をお願いしているが、今回もそうした実践者に来ていただいた。ただ教団・宗教伝統色より個々人のパーソナリティが際立っていたようである。内省を重んじる先生もいれば、パワフルな組織活動を強調された先生もいる。個別性を期待していた聴衆にとっては歓迎すべきことだが、コメンテータは一応まとめのようなことに触れるので、苦労する場面でもあった。
僕のコメントは4先生の発表を「兼ね合い」という観点から整理。つまり石上先生(西本願寺)は僧侶の本来的活動と社会貢献、賀陽先生(神社神道)は合理主義と宗教との兼ね合い、本田先生(カトリック)は社会貢献の現状肯定的側面と刷新の側面との兼ね合い、宮本先生(妙智会教団)は組織活動と世間の評価との兼ね合いについて述べられた(んだと思う)。
質問は2点。信者さんが教団の社会貢献をどうとらえているのか。そして宗教に期待薄の我が国において宗教の社会貢献をどう外部にアピールすのか。そうした地ならし抜きに社会貢献は語れないだろうし、宗教研究者が協働できる部分でもある。シンポのコメントは明確な答えをいただくというより、議論の展開、話の具体化、立場の明確化に資するものと心得ているので、その点では気の利いたコメントをしたんじゃないかなぁぁと自画自賛。

第一旭(京都)

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仕事で京都に一泊。お世話をしてくださった方が、しきりに「ラーメンをどうしますか」と心配をしてくださったが、やや食べ過ぎでさすがに夜食は遠慮した(そんなにラーメン好きに見えるのだろうか)。夜中にホテルのそばの木屋町をほっつき歩き、大豊ラーメンなる店を発見。ただならぬ気配があって、迷ったあげく、パスした。後でネットで調べたら、なかなかの名店なようで残念なことをした。
そんなんで次の日、一仕事終えて、ここはやはりラーメンだろうと京都駅そばの新福菜館本店に向かうも、なんと休店日。事前学習ではそなんこと判らなかったが、予習の甘さを思い知らされた。
しかし、確か「新福菜館本店は有名店が軒を連ね」という書き込みを見た記憶がよみがえり、入ったのが隣の第一旭。第二や第三はあるんだろうか。京都のラーメンは叉焼が特徴的(とろとろ)なのだが、ここも薄切りで味わい深い。「赤」とか「白」とかのコールが飛び交うので、聞いてみたら、叉焼の赤身と脂身の比率で、そうオーダーするとのこと。僕はラーメン(600円)+肉多め(150円増し)+ネギ多め(無料)にした。細麺ながらしっかりした歯ごたえ、ビールが進む脂、そして叉焼。「まいど!」「おおきに!」の威勢も良く、幸せな一時を過ごすことができた。

子どもといのちの教育研究会10周年記念大会

日時: 2009年2月28日(土)10:00〜17:30(受付開始9:30)
(夕刻より懇親会も開催いたします。)
会場: 大正大学 巣鴨キャンパス 
〒170-8470 東京都豊島区西巣鴨3-20-1
JR埼京線 板橋駅から徒歩10分
都営地下鉄三田線「西巣鴨駅(大正大学前)徒歩2分
講師:
■記念講演 島薗 進(東京大学大学院教授)
 「わが国の死生学の現状といのちの教育」
■特別講演 田口ランディ(作家)「いのちのファンタジー」  
■シンポジウム1 
 「いのちの教育の実際と課題―小中学校での実践から―」
コーディネーター 股村美里(東京大学大学院)
シンポジスト 捧陽子(市川市立妙典中学校 教諭)
北川誠(朝霞市立第十小学校 教諭)
高橋薫子(浦安市立明海南小学校 養護教諭)
■シンポジウム2  「いのちの教育の展望」
コーディネーター 近藤卓(東海大学教授、本会会長)
シンポジスト 田口ランディ(作家)
袰岩奈々(カウンセリングルームプリメイラ)
弓山達也(大正大学教授)
岩田文昭(大阪教育大学教授)
■ラウンドテーブルディスカッション
詳細・参加方法:研究会のウェブサイトをご覧ください。

流しの講師 非常勤ブルース

本日の朝日新聞朝刊を広げると、どっかで見た顔が。
「流しの講師 非常勤ブルース」
佐藤壮広氏だ。院生の頃から知っていて、財団の研究員仲間で、ある時期は歩いて数分の「ご近所」だった。ここ何年かは僕の本務校にも非常勤で来ていただいている。最近、ブルースの流しをしていることは知っていたし、一度は僕の留学生イベントにも応援していただいたこともある。こうして大新聞に記事になると感慨深い。
僕も「非常勤」生活は短い方ではない。91年に院生生活が終わり、幸いにも同時に卒業した学部で非常勤を一コマいただくことができた。その後、、非常勤の数は増えたが、98年に任期制講師になるまで7年間は非常勤、01年までは任期制の不安定な位置にいた。この間、公募に出した書類は50までは覚えていたが、そのうち数えるのをやめた。応募しても返事のない大学、できレースの審査、不透明な人事など、愉快でないこともあったが、何とかお蔭さまで今の職を得た。
「好きなことやってて金貰えるんですから文句ないですよ」という同僚に頷いたこと、不思議とゼミの非常勤をいただき真剣に学生と向き合ったこと、「業績は目方だ」と言われて論文を量産したこと、「邪教の研究してるんですね」とイヤミを散々言われならがも一コマにしがみついたこと、一定の業績をあげねばもうダメなところに追い込まれたこと、、、佐藤さんの記事を読んでいて、自分の20年近くを振り返ることができた。
佐藤さん、ありがとう。初心にかえることができたような気がするよ。君のブルースが聞こえてくるようだ。願わくば、朝日の記事が佐藤さんの未来に光さしますよう心より祈念します。

シンポジウム:宗教の社会貢献はどうあるべきか

財団法人 国際宗教研究所 主催 公開シンポジウム
「宗教の社会貢献はどうあるべきか―21世紀の課題―」
日時: 2009年2月21日(土)午後1時〜5時半(終了後、懇親会あり)
場所: 大正大学1号館2階大会議室(東京都豊島区西巣鴨3−20−1)
(都営地下鉄三田線西巣鴨駅徒歩2分/JR埼京線板橋駅徒歩10分)
報告:
石上和敬 (武蔵野大学/臨床仏教研究所)
賀陽 濟 (田無神社/精神科医)
本田哲郎 (聖フランシスコ会 ふるさとの家)
宮本けいし(妙智會教団)
コメンテーター:
稲場圭信(神戸大学)
弓山達也(大正大学)
司会:
島薗 進(東京大学/国際宗教研究所所長)
詳細・申し込みは財団ウェブサイトまで。

理想のゼミ(2)

「理想のゼミ」の一端を垣間見るような体験があった。カシオ兄弟が在外研究で1年間留守にするので、彼のゼミの代打教員をつとめることとなった。そこでゼミの引き継ぎ合宿に参加してきた。これまでも非常勤の講義や韓国研修で彼のゼミ生とは一緒だったり交流があったりしたので、だいたいの雰囲気は判っていたつもりだったが、けっこうな驚きがった。
(1)レベルが高い。2年生、3年生、4年生がそれぞれ発表するのだが、2年生と4年生との(いろんな意味での)差が大きい。換言すると2年間で、もの凄く成長しているのが判る。下級生にとって4年生は先生にも等しい存在だろう。実際、発表のいくつかは、ちょっとした学会発表を軽く凌駕している。
(2)意識が高い。学生たちが口々に「自分の研究は」という姿に感動した。大学でやることをせいぜい「授業を受ける」くらいにしか考えていない学生とは格段の違いである。当たり前のことであるが、大学とは学問をするところなのだ。
(3)仕切りがいい。教員はただ椅子に座っていれば、あとは担当学生がぜーんぶやってくれる。合宿だけでなく、講義中の仕切りも、いろいろな担当制があるようだ。指示待ちとか、なんだか「みんなでやる」といって誰も動かない無責任さとかとは無縁なのである。
(4)学びでつながっている。講義だけでなく、サブゼミ、パート演習といった学びの共同性が幾重にも張り巡らされていて、見方を変えると怒濤のような課題が待ち受けているのだが、学生がそうしたことに当然のことのように、否むしろ喜びをもって従事している姿が圧巻だった。
もちろん、さまざまな課題もあるのだろうし、合宿中、僕が大いに苦言を呈さねばならない場面もあった。しかし、この「理想のゼミ」を担当するかと思うと身の引き締まる思いである。

理想のゼミ(1)

まず最初に、自分を含め多くの大学教員はずーっとガッコウにいるので、世間知らずで、自分が受けてきた大学教育がフツーと考えがちで、おまけに大学でけっこう良い経験をしているんで大抵のばあい「理想のゼミ」というと「自分が受けてきたゼミ」を念頭においている。ところがそんな何十年も前と同じことをしようとすると、これまた大抵うまくいかないので、「理想のゼミ」はどんどん遠のいていく。数年前にいただいた年賀状に「ゼミ活動とは流木に火をつけるような努力」と書かれていて、この言葉がゼミの難しさを端的に示していると妙に納得したものだ。
本務校では学科と学科横断の2つのゼミを担当している。学科の方は3年生半期、卒論用の4年生の個人指導なので、とてもゼミという雰囲気ではない。昨年度から「ゼミらしく」をやめたら、かえって学生も教員もストレスが減ったような気がする。ここでいう「ゼミらしく」というのは、やはり僕が受けてきたゼミ、つまり3年・4年合同で、毎週の演習の他に合宿やら飲み会があって、院生やOBとの強固なつながりのある学修体制をいう。
「ゼミらしく」をやめても、それでも「弓山ゼミ」と言って、「ゼミらしく」を期待している学生も少数だがいて、そういった学生には申し訳ないと思っているが、大半はゼミに多くの期待をしていない。
学科横断のゼミは3・4年合同。調査や研修もあって、それなりに「ゼミらしい」し、学生も卒論のテーマを決める時に「弓山ゼミらしい」という理由を模索しているのが、いいね。さて写真は学生から貰った写真立てと日本酒。モノを貰ったから「ゼミらしい」のではなく、こうしたことがさっとできるような学びの共同性の「ゼミらしさ」があったのは嬉しいことである。ただ第一期生が4年になったばかりなので暗中模索、さまざまな困難もあった。またカリキュラムをコロコロ変える本学のあり方は、構造的に「ゼミらしい」学びの伝統と相容れないので、楽観視は許されない。
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今年の度最終講義

ようやく全ての講義が終わった。試験期間まで講義をやるという学生との我慢比べである(大学によっては教務が嫌がるが)。今年度の最終講義は東大の特殊講義。単年度の担当であるので、「さらばじゃ!」という感じで講義を終えたら拍手がおきた。前回回収したシートに「講義飲みを」というリクエストもあったので、提案したら、試験中であるのにもかかわらず半分くらい(14名)の参加があった。いつもの加賀屋がいっぱいで入れず不本意ながら魚民に。これが意外に空いていて静かで、かなり受講生と話ができた。
前にも少し書いたが、東大での講義は楽しかった。学生のレベルが高いので、いらんことを言う必要がないのと、大学教員以外には不思議に聞こえるかもしれないが、僕の講義に関心を持って受講している学生が多かった(よそでは「他に取る講義がない」「時間がたまたま空いていたから」「友達が取るから」「なんとなく」「別に期待なし」が多い)。単位とは関係なく受講している学生や他学科の学生の数が、本家の宗教学の学生を上回っていることがそれを如実に示している。
問いを投げかけると、どうしてもその問いに対する問いがでてくるとことに最後まで違和感があったが、自信に満ちた学生が多いのも歓迎すべき雰囲気だった。10を超える大学で、これまで教鞭をとったが、偏差値と関係なく自身が学ぶことに手応えを持った学生に出会えることが少なく、そうした学生が多いと教えやすいという印象を持っている(語学系とか看護系)。
非常勤なのに謝恩会の案内をいただいている。「行ったら場違いで寂しい思いするんじゃないか」と飲み会で尋ねたところ、「私たちが責任をもって」と答えてくれたが、その受講生は遅刻の常習犯だったかな。謝恩会には一家言あるので、大学フィールドワークの一環で場違いを覚悟ででてみようかなーと少し思っている。