Archive for 2011年4月29日

見る聴く語るわたしの巣鴨〜城北空襲

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小生が関わる大正さろん(大正大学が支援するNPO法人でもくらしぃが運営するコミュニティスペース)では、利用者(MAMMA倶楽部のお母さん方)からの提案で、去る3月10日に東京大空襲の記憶を後世に語り継ぐべく「見る聴く語るわたしの巣鴨〜東京大空襲」を開催し、50名の参加者とともに戦争と平和について考えました。
今回は4月13日の城北(豊島・北・板橋地域)空襲に焦点をあて、この日の体験を中心に戦前・戦中・戦後の生活や文化について思いをはせていきます。今回のゲストは北澤輝之さんは、昭和6年、巣鴨生まれ、巣鴨育ち。昭和20年の城北空襲の体験をお話しいただき、参加者とともに、当時の記憶をたどっていきたいと思います。
そして今後も、巣鴨・庚申塚地域に根ざした戦争体験の語り継ぎを考えています。なお、共催は小生が会長をつとめる大正大学宗教学会です。

南三陸町で現地支援活動(3)

4日目は時折激しい風雨をともなう悪天候でした。しかも午前中は上述のレクリレーションを2ヶ所で展開するため、また午後はバザーでいずれも人手が必要でした。もちろん炊き出しには6〜7名が必須で、なおかつボランティアセンターからも自然の家での被災者支援(物資搬入や掃除やお子さんの遊び相手)に5名体制での登録を求められました。前日までのミーティングでは、毎日の活動を自主的に選んでいた学生は、最初に思い描いていた自分のやりたいことと、現地で求められていることとの間に葛藤が続いたようです。そこで炊き出しとボランティアセンターでの活動に必要な人員を確保し、レクリエーション班は午前の活動が終わり次第、バザーに合流という展開を検討。レクリエーションを無事に終えたメンバーが綿菓子機をもってバザー会場に向かい、雨の中で開始30分前から並ぶ被災者に綿菓子を配ることができました。ところがバザー終了間際に3トントラックが到着し、そこではボランティアセンターでの活動を終えたメンバーも加わり、30分にわたって物資搬入を行いました。この間、例の「赤パンツ」は1時間ちょっとでなくなり、「あら〜、元気もらおうかしらねぇ」と喜んでいただけたことは言うまでもありません。

今回の活動を通じて臨機応変な対応や柔軟な思考の重要さを実感しました。そしてそれらの背景となるのがビジョンの共有でしょう。最初に述べたように、参加者の動機や想いはそれぞれ異なります。極端に言えば「とにかく被災者のため」の人もいれば、自己実現のために来た人もいます。先の学生の葛藤もそこにありました。それを「人それぞれ」で終わらせるのではなく、被災者・ボラティア参加者ともに、どう共通のビジョンに高めていくかが求められています。活動内容の一つひとつは、例えば45個のタマネギの皮をむきや視界を遮るような段ボールの片付けなど、単純作業が中心です。しかし、そこにビジョンがあればどう有効に、安全に、気持ちよく活動ができるか見えてくるはずです。
大正大学の被災地復興支援は始まったばかりですが、こうしたビジョンを共有することを大切に、地道に活動を展開していきたいと考えます。

南三陸町で現地支援活動(2)

初日の夕飯時、達成感に満ちた第二派のメンバーに比べて、大学と往路バス内で第一派メンバーからブリーフィングを受けていたとはいえ言葉数も少ない第三派の緊張した面持ちが印象的でした。19時半から引き継ぎミーティングが始まり、特に炊き出しは誰も150〜180食という調理を行ったことがなく、ノウハウ伝授に深夜までかかりました。そして夜中にロビーで第二派物資の仕分け班のメンバーが19日のバザーの準備を開始。「これだけはどうしてもやっておきたい」と2時過ぎまで作業を続けていました。こうした第一派・第二派のメンバーの想いを受けて、2日目の入谷公民館での結団式、志津川地区の視察(写真)、午後の班に分かれての活動に臨みました。

最初こそ、最初の現場や慣れない作業に戸惑いがあったものの、徐々にどこに何がある、どう連絡をすればいいかが判ってきて、夕方には活動はスムーズに進み、3日目終了時には、それまで段ボール1箱の衣類仕分けに数10分とかかっていたのがアッという間にできるようになり、また料理をほとんどしたことのない職員が、「料理が得意」というほどの腕前になっていました。参加者の成長には目を見張るものがあります。

南三陸町で現地支援活動(1)

大正大学では東日本大震災の被災地復興の一環として、募金活動と4月10日から23日まで学生・教職員約130名で現地支援活動を行ってきました。後者の現地支援は約30名×4派で宮城県南三陸町に赴くもので、私は第3派の団長として4月16日から20日まで、学生15名、教員5名、職員13名の計33名で活動に従事しました。
第三派は、10日から支援活動を行っている第一派が培い、第二派が引き継いできた活動内容をどう発展させ、4月最後の支援グループとなる第四派につないでいくかが課題となりました。またメンバーの中には今回の震災直後から募金活動をしていた人、実家が被災地にある人、ボランティア活動自体初めての人など、背景はさまざまでした。異なる経験や想いをどう集約していくかが、とても重要でした。
第三派の支援内容は、すでに確立された4部門(?廃校となった入谷中学校での物資の仕分け、?避難所となっている入谷公民館での炊き出し、?入谷小学校での綿菓子作りと映画上映を中心としたレクリエーション、?志津川地区にあるボランティアセンターに登録しての活動)に加えて、19日午前中に入谷小学校と8区の2ヶ所で小学生向け青空教室後の後のレクリエーションの開催、同日午後の物資の配給(通称「バザー」)を実施することが日程のメルクマールとなっていました。さらに特筆すべきことは、大学のある巣鴨・庚申塚地域のPTAサークルMAMMA倶楽部のお母さま方から、「おばあちゃんの原宿“巣鴨ブランド”元気になる下着」で知られる「赤パンツ」約6万円分を中心とする肌着が託されていました。

義援金を託す

4月22日、東日本大震災後、大正大学が支援するNPO法人でもくらしぃの運営する大正さろんで、独自に巣鴨・庚申塚地域で募金活動をしていたボランティア系同好会(つみき、ちゃぼとひよこ)が、さろんの利用者サークルMamma倶楽部とともに、この間に寄せられた義援金を、榊副学長を通して大正大学に託しました。出席したのは、上記同好会メンバーと募金活動に協力した中学生とその保護者。募金は3月29日から庚申塚通りの商栄会の協力を得て実施され、総額445,691円でした。ご協力を心より感謝申しあげます。

またMamma倶楽部と学生が被災地に送ってきたハートの小物(“巣鴨の元気の出る下着”で有名な赤パンツの端切れで作成)も、活動報告を兼ねて副学長と募金担当の井上課長に手渡されました。

被災地から、被災地へ

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10日から南三陸町に行っていたボランティアが帰ってきた。学長はじめ万雷の拍手でこれを迎えた。確かに大学のボランティアセンターで学生を派遣したり、医学部がスタッフを送ったりすることはあっても、大学全体で組織的に教職員・学生を派遣している事例は珍しいかもしれない。
現地では炊き出し、物資の仕分け、リクレーションなどを行ったという。先方より「単なるボランティアではなく、大学として何かを学び取っていってほしい」というメッセージもいただいたという。
一方、大学が支援するNPOが運営する大正さろんでも、物資の仕分け、プレゼント作りに大わらわだ。「大学の社会貢献」が叫ばれて久しいが、ある種のモデルケースを見たような気がする。

被災地に「潤い」届けたい

大正さろんで利用者のお母さま方が、被災地の皆さんに元気になっていただこうと小物作りに励んでおられる。写真のハート型のアクセサリーがそれだ。地蔵通り商店街の「赤パンツの元祖“巣鴨のマルジ”」から「「赤の力で元気と幸福をお届けします」という商品の端布をもらい、連日製作にあたっている。奇しくも本学で「被災地に潤いを届けよう:コーヒーと花を贈りましょう」というプロジェクトが開始され、それに想いを載せていただこうと、今日はボランティア学生(つみきちゃぼとひよこ)も一緒に針を持った。メッセージカードは庚申塚商店街出身のイラストレータの絵にしたためられたもの。

大正大学で宮城・南三陸町へ

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大正大学では大学の社会的責任・社会貢献・社会奉仕の観点から、東日本大震災の復興支援に関して、教員・職員・学生が一体となってボランティア活動を実施することといたしました。4月8日から巣鴨で募金活動を展開。同日現地支援活動を志す学生133名の申込のもと、説明会・研修会が行われました(写真)。
現地支援は10日から4派に分けて4泊5日で、それぞれ学生・教職員約30名が南三陸町に赴きます。小生は3派(16日〜20日)で責任者をつとめることとなりました。

宗教者と市民とのネットワークを目指して(中外日報)

「宗教者と市民とのネットワークを目指して」を『中外日報』(2011年4月7日)に寄稿しました。写真をクリックすると拡大します。
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巣鴨地蔵通りで募金活動

今日は巣鴨地蔵通り入口にある真性寺での募金活動。最大時は学生(同好会つみきちゃぼとひよこ)7名と大正さろん利用の中学生3名で2班に分かれての展開。合計5万円のご厚志を賜りました。写真の折り紙は庚申塚通りを歩いていたら、商店主さんより渡されたもの。一枚の紙で4羽の折り鶴。「みんなつながっているねを伝えたい」とのこと。募金後、中学生のパフォーマンスを大正さろんで披露し、学生との交流が深まっていったようだ。