「スピリチュアリティを生きる」第一弾・全会話

2004年8月にスカパー!216ch (楽天TV ベターライフチャンネル)で「スピリチュアリティを生きる」シリーズ第一弾「スピリチュアリティ・カフェにようこそ」の全会話です。


【プロローグ】
樫尾 会いたいなぁと思っていた人に、町でばったり出会ったり、たまたま知り合った人とよくよく話してみると、自分と同じ事を感じていて、考えていることがわかったりして、その不思議に驚いたことはありませんか?
 遠い海や陸の向こうで、自分と同じ思いや価値を持っている人たちがいて、そんな人たちに何か強い絆を感じたことはありませんか?
 みなさんこんにちは。今日は、この「スピリチュアリティを生きる」という本で、僕達が色々と語り合ったことを皆さんにお伝えしていきたいと思います。
それでは中に入って行きましょう。
■タイトル シリーズ<スピリチュアリティを生きる>
      スピリチュアリティ・カフェにようこそ
■スピリチュアリティとは?
樫尾 スピリチュアリティって言うのは、宗教とか、いわゆる精神世界とかいうコアなところだけではなく、今は医療・ケアとか食とか教育とか、職場。そんな色んなね、人間の普段の生活のとっても大切な場面で、使われるようになってきてて、すごく注目すべき言葉かなぁって。
弓山 なるほどね。一番分かりやすいのは、たぶんこの2300万人を動員した「千と千尋の神隠し」に代表されるような宮崎駿さんのアニメが、すごくスピリチュアリティを理解するうえで、分かりやすいと思うんですよね。
 要するに一連の「トトロ」にせよ「もののけ」にせよ、葉っぱ一枚一枚、木々一本一本、川筋ひとつひとつに神様が宿っていて、そういう心霊に満ち溢れた世界観ていうものをかなり明確な輪郭で描き出してると思うわけ。
 さらにその映画を見た観客がなんらかの癒しを受けたり、それから普通の経験とはちょっと違うような体験をしたりするっていう意味でも極めてスピリチュアルだし、ただ色んな宗教伝統が宮崎作品には見られるんだけど、その一個一個見つけていくのには意味はなくって、むしろそういう宗教から離れた宗教性、宗教から離れた宗教体験ていうものを観客が味わっているという意味で、極めて宮崎作品ていうのはスピリチュアルな作品であると僕は見てるんですよね。
樫尾 そうだよね、分かる分かる。
■サブカルチャーと若者文化
弓山 「もののけ」なんかでも「生きろ」っていうのがキーワードになってくるんだけど、「生きる」とか「死ぬ」っていうのを描いた、サブカルチャー、ポップカルチャー、若者文化ってのはけっこうあるよね。例えばこういう・・・
(樫尾、手元にある漫画を一冊取り上げる)
樫尾 そうそう。これ。僕はこの「バガボンド」、自分も物凄くはまってて、うん。
 これ実際、今日本で3000万部以上、読まれてて、3300、3500超えてるかもしれないんだけど、すごい人気になってる。これは吉川さんの「宮本武蔵」を原作にして、井上武彦さんが独自に新しい武蔵像を描こうとしてるんだけど、例えば2巻あたりで傍若無人にふるまってきた武蔵が師匠からいろいろ諭されて、「ああそうかこんな自分でも生きてていいんだなぁ」って、ここみんな感動するんだけど―
弓山 こう木に吊るされてるところね。
樫尾 そうそう。それとか、8巻の中でライバルと戦ってね、生きる意味、死の意味っていうのを考えてどんどん成長してく武蔵の姿。ここんところに、今の若い人たち、もちろんこれは小学生から50代くらいまで広く読まれてるんだけど、若い人たちはすごく感銘を受けて、自分がどうやって生きていけばいいのかとか、あるいは森羅万象の中で生かされているんだなぁっていうことに対する気付き、そういうのも感じてて、そこんところが人気の秘密なんだろうけど、そういうのをスピリチュアリティって言葉で語っていくことはできるんじゃないかって思うわけ。
■霊性という言葉
弓山 考えてみると「生きる」ことに対する探求って言うのは、ずっと古くから人類と同じくらい歴史があって、そう考えると「生きる」ことであるとか、そういったものの探求がスピリチュアリティとか霊性という言葉でいつごろから言われ始めたかと言うと、日本ではちょうど今から60年前に鈴木大拙という有名な宗教哲学者が「日本的霊性」という本の中で、かなり興味深いことを言ってるわけ。
 その中では宗教思想、それから宗教秩序、それから宗教儀礼、そういうものと分けてね、宗教体験というのがあって、その宗教体験そのものを霊性と呼ぼうってことを言っていて、実はそっちがとても重要だって事を鈴木大拙はもう60年前に言ってるんだよね。そう考えると、非常に今の現象ともオーバーラップしてきて、つまり宗教思想じゃありません、宗教儀礼じゃありません、秩序とかあんまり関係ないんです、でも宗教体験そのものに関心がある若者っていうのは、色んなデータを見ても確実に増えている。
樫尾 そうだよねぇ。そこで鈴木大拙が言ってるところの霊性っていうのが、僕らがここで喋っているようなスピリチュアリティっていうことなんだよねぇ。
 まぁ実際、こう色々見ていると、確かに物凄くそういうことに関心があると、でも既成の宗教団体に入るのはちょっと・・・ていう人はけっこうたくさんいて、でもだからといってスピリチュアリティ、霊性っていうものに関心がないわけじゃなくて、そういうものをもうちょっと自由な形で求めていると思うんだよね。もちろん若者だけじゃなくて裾野は広いと思うんだけど、そういうニーズって言うのは色んなところで現れていると思うんだよね。
弓山 確かに宗教教団によらない宗教性みたいなところには、多くの人が注目していて、特に若い世代の人が注目しているんだけど、我々も若くないからこのへんのところは当事者の若い人に聞いてみることにしてみましょうか。
樫尾 きっとそん中では、大衆文化とかサブカルチャーとか、平たく言えば普段の日常生活の中で、スピリチュアリティを感じる場面ていうのは、みんなけっこうあるんと思うんだ。
弓山 それを教室で聞いてみると言うことで…
樫尾 行ってみようか。
【慶應大学内】
樫尾 今日は、みんなの普段の生活の中で色々体験してると思うんだけど、自分の日常生活のスピリチュアリティ体験について色々と話を聞きたいなと思っています。
誰からでも順に聞かしてくれたらいいから・・・
■スポーツで感じたこと
学生A 僕のスピリチュアル体験としては、スポーツとかがスピリチュアルな体験だと思うんですけど、僕はサッカーずっとやってて、サッカーてのはすごいスピリチュアルなスポーツだなぁって思ってて、なんかもう眼と眼で通じ合うだけじゃなくて、心と心が通じ合って成り立ってるって言う。もちろんチームワークとかもあるんだろうけど、初めてやった人とも「この人とはやれる」っていう感じるものがお互いにあったりしてスピリチュアルなものだと思いますね。
学生B 僕はずっと野球をやってるんですけども、練習とかじゃなくて試合だと流れって言うのがあるんですよね。さっきまで押されてたチームがちょっとしたプレイで一気に攻撃にいったりとか、そういうのがあって、僕が経験したのは、ずっと点も取れないヒットも打てない状態だったのに、ヒット一本をきっかけにずっと連続ヒットが出たりとか、それで僕がバッターに回ってきて、今まで全然打てなかったピッチャーの人なのに、周りの勢いに乗せられてヒットを打てちゃうとか、自分の力だけじゃなくて誰かに打たせてもらったような感じで、それでチームが勢いに乗ってそのまま勝っちゃうとか、そういうのは野球においてはありますよね。
■人とのコミュニケーションの中で
学生C 私は踊りをやってるので、すごい舞台の上で踊る機会が多いんですけど、パートナーシップとかアンサンブルで踊ってる中での一体感とか連帯感とか、気持ちが通じるとかもあるんですけど、一番すごい感じるのはお客さんとのコミュニケーションが、自分が落ち着いて舞台に入れれば感じられるというか、落ち着けるためには必要なのは練習じゃないのかと、どれだけ自分を酷使したのかって言うところが、スピリチュアリティな感じが。
弓山 お客様とのコミュニケーションとはどういうこと?
学生C 自分が本当に練習不足で緊張もしてて、全然感じられないときもあるんですけど、落ち着いて舞台にいられるときっていうのは、今日のお客さんはあったかいなとか応援してくれてるなとか・・・
樫尾 今、練習で酷使するって、そういった中にスピリチュアリティがあるって、そこのところをもうちょっと具体的に話してみてくれる?
学生C 自分ができないなぁ、これ以上出来ないなぁって思った後に、もう一歩苦しいけどやったときに、逆になんだろう、かえって外側の力が抜けてそのまま続けられたりとか、そういうところですかね。意識とは別に、頭で考えてるのとは別に体の持つ力っていうのをわかってくると思います。
■自立する過程で見えたもの
学生D 私は中学のころから一度もここが私の居場所だとおもうようなことはなかった。そこまで孤立していたわけではないけど、常に自分だけずれているような感覚がずーとあって、、小学校の時はなかったがそれ以降は・・。小・中・高が一緒になっているところだった。でも凄くいやで、高校からやめた。違うとこへ、違うとこへという風に結構転々としていて、何かこの場所に自分はあっていないなぁとか自分って大丈夫なのかなぁとか、どこに行ってもそういう気持ちを持っている自分って大丈夫なのかな?ってのがいつもあって・・・。
学生E 私も中学に入ってから1年間はみんなと溶け込もうとして凄く仲良くやってきた。それで2年になり、いきなり群れているのがいやになってその1年間はひとりでお弁当を食べていた。そこで、自分がどうしたいのかっていう事に対して初めて向き合えるようになって、1度群れているところから外れることで、得るものはあった。
樫尾 それって、群れてた自分が自立するっていうか、自分と向き合うっていうか・・。大事なのはそういうプロセスを経ていって、自分の居場所がここかなとか、自分と向き合った自分がこうなのかなっていうところが大事だと思う。その辺は見つかりました??
学生D 絵を描くのがすきだったら皆結構美大に行くんだけど私は美大には行かなくて、社会学に興味があって、今ではそれが良かったと思う。将来も絵を描くのを仕事にしていきたいと思ってるのに、美大にはいかなかった。絵を描いている大学でもないのに絵を描いているというのが甘っちょろい感じもするし、浮いてる自分がいる。どっちに属しているんだとか・・。絵を描くことを昔からすきだったけど、ホントに自分はこれだなっていうことにきずいてから自分が楽になった。
学生F 自分は生きる意味についてすごく考えた時期があったんです。中学校の頃から。19,20,21の時、時新聞配達して、一人暮らしして、ホンとに俺の生きる意味って何?ってずーと考えてて、悩みに悩んみに悩んでもうだめだってときになんでしょう?開けた感じっていうか・・。それがあるんですよね。だから自分を突き詰めていったら、ゼロが無限大になって、無限大がゼロみたいな・・。それがあって心理学の道に進もうと思ったんですよね。これがどういうことかな?って。
 ある意味その体験っていうのは、ユングーでいったら、ヌミノス体験っていうのに繋がるのかな?って思ったんですけど、調べていくうちに、それでもまだ説明できない何かがあるっていう風に思ってて、最近カウンセリング研修で色々、自分のトラウマじゃないですけど自何か大きいモノがシフトした感じがあったんですけど・・。でもそのシフトした感じと生きる意味について考えた時の壊れた感じというか越え出た感じとはまた違う感じがした。じゃぁこれはスピリチュアリティとは違うなっていう感じで・・。心理学のカウンセリングによる人格変化が俺はスピリチュアリティだと思ったんですけど、でもやっぱりカウンセリングプラスアルファ何かあってやっとスピリチュアリティになるのかなって最近思うように・・・。
樫尾 それはおもしろいねぇ〜
弓山 なんで生きる意味ってことに想いを凝らしたっていうか、何かきっかけがあったの??
学生F 父親に自分をおろしてっていう風に母親から聞いてたのが多分きっかけで、自分・・。
 出来ちゃった結婚だったんですね。でも父親の田舎で、ある程度お坊ちゃんで、そういう格式をアレするところで・・。じゃあ結婚するのはいいけど、とりあえずおろしてから結婚してくれ!っていうかたちで。っていう話を聞いて中学校くらいに。それがひっかかってて、自分には生きる価値がないというか、じゃあ自分で生きる意味とか価値を探さなきゃっていうか生まれてきた・・せっかく生まれてきたんだからってずーと突き詰めてきた感じですね・・・。それが原因。
学生G たまたま自分は人間という子達になっただけであって、動物たちと一緒だと思っていて、鳥とか魚や牛、馬とかと自分はなんの変りもないんじゃないかと思っていて人間というのはたまたま言葉というのを持ってしまって、感情表現が出来たり、言葉よって表現できるというが世の中にいる動物たちとのただ単の違いだけであって、僕は人間というのは鳥とか魚とかと何ら変りはないと思っている。先ほど凄い生きる意味とか、生きる価値とかそういう話が出たと思うんですけど、そういったことは多分答えとかがなくて、鳥は一日空を飛んで過ごしているのだって、魚が一日川を泳いで過ごしているのだって、人間っていうのは、それと同じことであって、一日一日を自分の思うように精一杯生きているという事が、生きるということであって、たまたま人間だっただけような気がして、その一日一日を精一杯頑張って生きていることが生きている意味だなと感じています。
樫尾 今日は皆からそれぞれのスピリチュアリティ体験を語ってもらったんだけど、今日話聞いてて思ったのは、重いものも軽いものも色々あるんだけど、普段当たり前に思っていること、それを違ったシチュエーションの中で振り返ってみることで新しい発見になったり、今まで、当たり前に思ってたことや見えなかった関係が見えるようになったとか。その中で自分と違った他者とか、その他のものとのつながりがあるのかなぁっていうところにスピリチュアリティっていうのを感じることが出来るのかなぁとそういう風に思いました。
【鎌倉海岸】
■キーワードとしてのスピリチュアリティ
樫尾 いや〜、今回ね。あのー、ま、ここにきた訳だけど。俺さぁ、3年前に、あの、この辺住んでたんだよね。で、藤沢駅降りてね、「あ〜、何か帰ってきたなぁ〜」っていう感じで、ちょうどね、あの〜、交差点渡ろうと思ったら、そん時乗ってたね、あの〜、プレーリーがちょうど停まってて、「あぁ〜」と思ってたら泣けてきちゃって、これって何か「すごいスピリチュアルだな」って思ったんだよね。
弓山 なるほどね。まぁ〜、そう言ってしまうとね、みんなスピリチュアルになっちゃって、この間の学生さんも、やっぱり、思い出であるとか、それから人間関係であるとか、それから自然のつながりっていう非常に幅広いものをスピリチュアルティという言葉で捉えようとしていて、そうなってしまうとまぁ、生きていること自体がスピリチュアリティというか、こう「人生のすべてがね、スピリチュアリティっていう風になってしまうんじゃないか」っていう・・・思うんだよね。
樫尾 まぁ、確かにね、あの〜、ま、スピリチュアリティっていうのはやっぱり、ま、人間にとってとっても大事なこと言っているわけだけど・・、ま、何でもかんでもスピリチュアリティって言うと、ま、そのスピリチュアリティっていう言葉自体が・・
弓山 そう、意味がなくなってしまうからね・・。
樫尾 そうそうそうそう。ま、でも確かにそうかもしんないんだけど、今、そのいろんな領域でね、そのスピリチュアリティっていうのはキーワードになってきてるでしょう?
■生活の中で感じること
弓山 うん。確かにね。あのー、多分ここ10年で言うと一番早く気付いた人は多分、医療現場で、ま、それはお医者さんとか看護士さんっていうのは、その日々命と接しているんで、そこで初めて・・非常にこうスピリチュアリティっていうことを強く感じていたんだと思うんだよね。
 で、つまり人間の苦しみって言うにのは、身体的な苦しみであるとか、心の問題であるとか、ま、経済的な問題とか様々あって、どうやらそういったこと全部解決しても、あと残った・・まだ残っていて、それが多分魂のその苦しみっていう、スピリチュアリティな苦しみがあって、それをどういう風に解決していかなければならないかっていう事が、医療現場では大きな課題となっていて、それがスピリチュアリティっていう言葉で今語られ始めているっていうのが医療現場での現状だろうと思うのね。
樫尾 ま、そういうことからいくと、ま、他の領域、例えば、職場だってね、スピリチュアリティっていうのがキーワードになってきていて。っていうのはそのぉ、プライベートな生活と職場での生活。っていうのは一体どういう関係にあるのがいいのかっていうことね。で、それでそういった中で「人間って一体何のために仕事をするのだろう?」って
弓山 根源だからね。働くことは・・。
樫尾 「何のために生きているんだろう」っていう、ことがすごくそのスピリチュアリティっていう言葉に絡めてね、色々議論されている。
■何のために生きているのか?
弓山 なるほどね。ま、考えてみると、実は宗教にスピリチュアリティな根源があって、宗教の現場が正当化されてしまったり、規制化されてしまったりするとそういうスピリチュアルなものが失われてしまって、で宗教の現場でも多分スピリチュアリティなものを、こう、導入しようと。それが宗教の再興、復興、リバイバルに繋がってくるっていう運動も、そのー、「伝統的な宗教なんかでも起こりつつあるな」っていう・・。で、例えば自然農法をやっているような宗教とか、すごく「スピリチュアリティていう言葉が切実に語られているじゃないか」と思うんだよね。
樫尾 あーそうなんだよね。自然農法とか有機農法ね。ま、実際これっていうのはその、食べたらねすごくやっぱりおいしい訳なんだけど、それ以上に、「あーやっぱりこれを頂いてね、自然の恵み、あるいは命とね、繋がってるんだなぁ」っていう事をやっぱり実感するっていう事が食の現場でも物凄く大切にされてて、そのやっぱりスピリチュアリティっていうこの言葉がキーワードになってくると。
■個人主義とスピリチュアリティ
弓山 なるほどね。個人っていうのが凄く・・、個人の体験がキーワードになってくるんだけども、そうするとまあ、自分が痛みが和らげばいいとか、更には、心地よければいいとか、美味しいとかね、凄く個人主義というか、ある意味現代社会の利己主義みたいなものとね、オーバーラップしてくるある種危険ものがスピリチュアリティっていう事を強調するとでてくるんじゃないかという風に、僕は考えてるんだけどね。
樫尾 ま、それは分かるね。で、実際そういう、個人主義とか利己主義とかはいろんな形で批判されているしね。でもただ、今のね、社会みたいな、管理社会の中では、まず自分から出発していって、ま、自分探し、言ったらいいと思うんだけど、そのやっぱり自分探しを、ずぅーとやっていった果てにね、初めてあのー自分にも気がつくしね、他の人とね、「あぁ〜繋がってんだなぁ」っていうね、実感がもてる。今そういう時代だと思うんだよね。
弓山 確かに、学生さんもね、他者と繋がりたいみたいなものは協調されていて、そこにスピリチュアリティを見出そうという風なことを語っていたんだけれども、そうするとじゃ、今まで我々が普通の用語で言う、友情であるとかね、友達付き合いであるという、愛情であるとかね、家族愛であるとかね。そういったものとスピリチュアリティとの違いっていうものがね、見えてこなくなってしまっている。まぁ、なぜそこであえてスピリチュアリティっていう言葉を使うのかっていうところはどうなんだろうね?
■スピリチュアリティの可能性
樫尾 確かにそれは大きい問題だよね。ちょっと難しい言葉で言ったら、その相手のね、魂に傅くっていうか、なんて言ったらいいのか・・、友情とか、愛情って言ってもほんとに自分の命を全身全霊込めて、投入して人のためにね、尽くせるかどうかっていう。そういったことを考えると単純な愛情とか、友情って言うのとは違った理想、次元があるんじゃないかと思うんだよね。
 そういうところからいくとスピリチュアリティって言うことは色んなところで発見できると思うし・・・。凄く可能性あると思うよね。
弓山 今でこそ日常会話となっている「癒し」という言葉ね、昔は「癒し」っていう言葉誰も知らなかったんだけれども、今は普通に「癒し」って使っているし、外来語の「ヒーリング」っていう言葉とみんな一致して語っていると思うわけ。10年前は全然そういうことではなかったんだけれど、今では「癒し」「ヒーリング」っていう言葉はセットで使っている。それと同じように「スピリチュアリティ」「霊性」っていう言葉もね、多分市民権をやがて得るだろうし、そういったところにね、人々が気付き始めている状況だと僕は思うね。

2 comments

  1. スカパー216ch<スピリチュアリティを生きる>シリーズ第一弾「スピリチュアリティ・カフェにようこそ」全会話

     弓山所員のサイト、「弓山達也の仮想研究室」で、昨年放映された、スカパー216ch<スピリチュアリティを生きる>シリーズ第一弾「スピリチュアリティ・カフェにようこそ」の全会話がアップされています。

  2. 樫尾 より:

    「根源だからねえ、語ることは」
    というのは
    「根源だからねえ、働くことは」
    の誤りです。(聞き取りにくかったんだね、きっと)

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