斎藤貴男『カルト資本主義』文芸春秋社、1997年

 ソニーの超能力研究や科学技術庁内のオカルトの研究会といった奇妙な取り合わせについては、これまで伝聞以上の紹介は少なかった。本書では、気や超能力などの科学では十分に解明できない主題に取り組む企業や政府・行政の姿が克明に描きだされ、さらにはそこでの利害や思惑が批判的に分析されている。
 「カルト資本主義」という著者の造語は、アメリカで始まった意識変容や霊性の覚醒に重きを置くニューエイジ運動が、日本に紹介され、それが一種の経済倫理として定着していくなかで醸し出された新たな価値の体系を指す。所詮オカルトと一蹴されることも多いニューエイジと経済倫理との結びつきの卑近なイメージとしては、『脳内革命』や経営コンサルタントの「教祖」船井幸雄の本を読んだサラリーマンが、その「教義」であるポジティヴ思考や発想の転換で、きつい残業もこなすことができるといった姿を思い浮かべてもらえばいい。事実、ビジネス書のコーナーには宗教書と見紛うばかりの本が幅を利かせ、信奉者も多い。
 本書はニューエイジを過大評価したために自己撞着に陥ったり、これを利用したりすることの危険性を指摘するに留まらず、日本的経営との関わりに多くの紙幅が割かれている。西洋近代を比較的抵抗なく受容した日本の文化的背景は社会学や思想史の大きな課題であるが、その意味で本書は日本的経営の一九九〇年以降の展開を、ニューエイジの定着の過程から解明しようした学術的性格も兼ね備えている。
 著者のニューエイジに対する恐怖ともとれる過剰な態度は、ニューエージャーたちの思い込みと表裏をなすような気もするが、近代を乗り越えよう(ポストモダン)として、なぜか前近代(プレモダン)や素朴なナショナリズムと結びついてしまうことの多い日本のニューエイジの現状を考えるうえでも、本書で示された視点が重要であることは間違いない。

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