紙面批評第8回「野宿者も同じ生活者」

山谷に初めて行ったのは2013年だったと思う。多文化共生を扱う講義で、なぜか学生が路上生活者を取り上げたいといい、学生と手分けして池袋、山谷、浅草と、おにぎりの配布や夜回りの手伝いなどをしつつ、お話しをうかがったり、歴史をしらべたりしたのがきっかけ。玉姫公園では支援者から「今日はデモあるから」と、いきなり数百名の機動隊と対峙することになり、学生は「就職できなくならないか」とビビっていた。でもその学生は「路上生活者襲撃と教育」を卒論のテーマにした。その後、年に数回だが、日曜日や年末の炊き出しに関わり、毛布を送っている。
学生時代(80年代)大学に山谷争議団のメンバー(赤軍プロ革派だった)の友人というか先輩(Eさん)がいて、それからずいぶんたって、大学で教え始めた頃(90年代)受講生から「ボランティア先のリーダーで先生のお友達と言う人に会いました」と言われて、それがEさんその人だったので、「赤軍」と「ボランティア」という言葉のギャップに戸惑いを感じたことを覚えている。山谷に行くとEさんに会えるのではないかなと思うのだが、いまだに再会はしていない(同じ大学時代の友人T君とは何度か会った。彼も大学の教員で、学生を引率していて、お互い何か気恥ずかしい)。Eさんは今、どうしているのだろう。

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