上田紀行『癒しの時代をひらく』法蔵館、1997年

 「癒し」や「ヒーリング」が話題となって久しいが、この「癒し」研究の第一人者であり、またそのブームの渦中の人でもある著者の新刊が出版された。
 本書は多重人格からはじまり、自己啓発セミナー、自己変容のワークブックなど、著者の関わった「癒し」をめぐる現場からの報告を中心に、予期せぬ形で拡がった「癒し」のブームの持つ危険性と、しかしながらそれでも「癒し」の放つ魅力と可能性が論じられている。所収の論考の多くは一九九五年三月の地下鉄サリン事件以前のものだが、「癒し」を求めてオウムに入信した人々が陥った落とし穴を考える時、改めて本書の提起する「癒し」の二面性の解明は急務のものと思われる。それゆえ本書は宮台真司『終わりなき日常を生きろ』や森岡正博『宗教なき時代を生きるために』など、オウムによって突きつけられた諸問題と格闘する一連の著作群の中に位置づけることができる。
 著者によれば「癒し」とは単に「傷ついた自己」の回復に留まらず、そこから他者へのまなざしが生まれ、やがて社会大への「癒し」へと連なる拡がりを持つものだという。だが、これがひたすら自己へと向かう内閉化した営みで終わってしまったり、さらには商業主義に乗った「癒し」のブームや、いわゆる「洗脳」のようにシステマティックに画一化された「癒された人」を生産しようとするばあい、「癒し」は抑圧に転化する。この「癒し」の二面性が、同じように自己をみつめ愛を歌いながら、ある意味で自己をみつめる重圧に耐え切れなかった尾崎豊と、自己を越えてはるか彼方の「水平的な他界観」を獲得した上々颱風の違いともなってあらわれてくという最終章は大変読み応えがある。
 やや楽屋落ちのネタがないわけではないが、かつて「遅れてきた社会派少年」を自認した著者が、ここ十年間で考え、行ってきた営為の軌跡と到達点を知るうえでも、本書は貴重である。

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