卒論提出

今日は卒業論文の提出締切日だ。今年度は今まででは最大の15名の面倒を見ている。
「卒論は4年間の総決算」みたいなフレーズが死語になって久しいが、何となく「やっつけ仕事」が多くなってきている。別に短時間で卒論を書き上げるのがいけないとはいわない。むしろ優秀な学生は短時間で書き上げることが可能だと思う。ただ、じっくり考えるという姿勢が希薄になりつつあるのは確かだ。目の前の現象に悪戦苦闘するという感じではない。さらっとまとめる感じ、、、、
愚痴を言ってもしょうがないので、僕の卒論の思い出でも書いてみよう。


学部時代をお世話になった法政大学の哲学科は、卒論担当を学生が決めてよくて、先生がオッケーを出したら、そこで交渉成立。僕は明治大学の先生にご指導を仰いだ。先生は「夏休み明けに草稿が出せないようなものはダメ」と、夏休み直後提出を求められた。草稿ができあがったのは10月。明治大学に持っていったら、こてんぱんに批判された。自分では結構いい出来のつもりだったし、実際、草稿を大学の懸賞論文に応募したら入賞した。しかし先生は満足されなかった。
当時はポータブルワープロがでたばかりで、それを使ったが、ディスプレイに表示される文字は8文字。FDはなくて、オーディオテープにファックス音みたいなものを録音して、書き込み・読み込みをする時代だ。それでも手書きよりずいぶん楽だと思った。11月に祖父が他界し、冬には大腸カタルに罹り、ほとんどリライトできずに卒論提出日を迎えた。ワープロ提出が認められておらず、妹が清書を手伝った。その時、大学は全学ストライキ。バリケードの中を混乱した事務局に提出しに行った。友人たちがバリケードの内側に居るので、何となくスト破りのような後ろめたさがあった。
ストライキに対して大学がロックアウトを繰り出し、口述試験は人っ子一人いない中、冷え切った教室で先生と僕との一対一で90分に及んだ。冒頭、先生は「君の論文の3つの可能性と3つの限界を述べる」と宣言され、質疑応答というより、講義のような雰囲気だった。最後に「何か言いたいことは」と問われ、何も言えなったのを覚えている。当日は雪が積もり、一面真っ白なキャンパスに足跡をつけながら、ロックアウトの正門を開けてもらって外に出て、市ヶ谷から神楽坂、そして早稲田まで歩いてみた。大学院に行こうかどうか迷っていた頃だから、口述試験でのコメントが非常にこたえた。何よりも、草稿からほとんで進歩していない卒論を提出せざるを得なかったこと、つまり10月に先生からいただいたコメントがいかせずに提出したことが悔やまれた。
その後、その先生とは会うことはなかった。いつの間にか年賀状のやりとりも途絶えてしまった。が、数年前、ある学会の懇親会でお会いした。恐る恐る声をおかけしたところ、覚えていてくださった。とても嬉しかった。他の人から「先生が君のこと教え子って言ってるけど、明治だっけ?」と尋ねられた。どうやら先生は僕のことを「教え子」と言ってくださったようだ。卒論を書いてから20年、どうにか先生から少し認められたような気がした。

One comment

  1. 25メートル泳ぎ切ってくれ

    ´? ??????償゚???

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