新宗教・新新宗教・民衆宗教

日本仏教研究会編『日本の仏教』第II期2[日本仏教の研究法 歴史と展望](法蔵館、2000年)のコラムに寄稿したものです。
一、新しい宗教運動の登場
周知の通り、十九世紀中葉以降、数次にわたって新しい宗教運動が登場してきた。幕末維新期に創唱され発展した黒住教・天理教・金光教(第一次)、二十世紀初頭に伸びた大本や太霊道(第二次)、昭和前期とりわけ第二次世界大戦後に急成長した創価学会・立正佼成会・生長の家・世界救世教(第三次)、一九七〇年代後半ば以降に台頭した阿含宗・GLA・世界真光文明教団(第四次)などが、そうした宗教運動としてあげられる。これらに関する研究動向は井上順孝他編『新宗教研究調査ハンドブック』(雄山閣、一九八一年)や同『新宗教事典』(弘文堂、一九九一年)に詳しいが、ここではこうした宗教運動に対するさまざまな呼称(新宗教、新興宗教、新新宗教、民衆宗教など)をめぐって、当該研究史の整理を試みてみたい。


二、戦後の新宗教研究
一連の宗教運動に対して宗教学や社会学では「新宗教」の語が与えられている。それは、この語が価値評価を強くこめて使用される度合が比較的少なかったという経緯による。戦前においては新しい宗教運動は常に好奇に目にさらされ、取締当局の監視と干渉のものとに活動することを余儀なくされていた。そしてジャーナリズムや研究者は「淫祠邪教」「類似宗教」というレッテルをもって否定的にこうした運動を取り上げる傾向が強かった。もっとも幕末維新期に創唱された宗教運動のうち、神道色の濃いものは「教派神道」として公認されて宗教行政に組み込まれていたために、比較的冷静な分析が加えられる場合もあった。田中義能・中山慶一・鶴藤幾太による教派神道研究がそれであり、後の新宗教研究の重要なテーマである新宗教と民俗宗教との連続性などにも、すでに関心が寄せられていた。
敗戦後も同じような新たな宗教運動への蔑視の風潮は続いたが、一方でこうした運動の大衆動員に着目した佐木秋夫・小口偉一・高木宏夫らが、啓蒙主義的かつ批判的な観点から創価学会や生長の家などの研究を進め、こうした場合の宗教運動は「新興宗教」と呼ばれた。他方、後述するように幕末維新期の宗教運動の歴史的意義を見出し、積極的に評価していこうとする動きが歴史学にあらわれ、そこでは「民衆宗教」という語が用いられている。
現在の新宗教研究は、こうした「淫祠邪教」のイメージがつきまとう「新興宗教」という語や、逆に社会変革の志向性を持つものと積極的に評価されてきた「民衆宗教」という語を避け、相対的に価値中立的な「新宗教」を選ぶに至ったといえよう。新宗教研究は個別教団や教祖の事例研究、カリスマ論や教団組織論を用いた実証研究など、多岐に渡っている。その中でも特筆すべきは、新宗教がどのような基盤から登場したかに焦点が当てられ、それを山伏・先達・御師などの民間宗教者の指導のもとに展開した民俗宗教に求め、それとの交渉のなかから新しい宗教性が生み出されていく過程や、また日蓮宗八品派に属した本門仏立宗や日蓮正宗との密接な関係を保っていた創価学会などのように、伝統的仏教との関係からとらえるような視点が提起されたことであろう。また啓蒙主義的な観点から対象にアプローチするのではなく、当事者の経験と信仰の意味を内面に立ち入って理解しようとするような内在的理解も新宗教研究の特徴の一つである。
また一九七〇年代半ばから台頭してきた宗教運動への注目も重要であろう。西山茂「新宗教の現況」(『歴史公論』五―七、一九七九年)はこれらを「新新宗教」と名付け、終末論的な根本主義を掲げるものと呪術色の濃い神秘主義を標榜する二つのタイプの教団があると規定した。もっとも西山はその後、根本主義もまた、モダニズム特有の自由主義的な経典解釈と価値の多元主義に逆らっているという意味で、呪術的神秘主義と共通性を持っているとして、もっぱら神秘呪術的性格の強いタイプに焦点をしぼり、同様の特徴が大正期の新宗教にも確認できることから、上位概念としての「霊術系新宗」を設定してきた。
三、民衆宗教研究の動向
ところで、戦後の新宗教研究に大きな弾みをつけたのは村上重良『近代民衆宗教史の研究』(増訂版、法蔵館、一九六三年)である。村上は富士講・天理教・黒住教・金光教・大本を扱いながら、特に前二者が一神教的な神観の定立、民衆の救済、現世中心主義、平和観、反権力性を備えた「近代宗教」への模索と前進をしながらも、担い手の階級性やそもそも超越者を中心とする宗教イデオロギーが有する本質的な限界によって、権力への迎合と呪術中心の傾向から脱却できない姿を描き出すことに成功している。
こうした村上の業績を意識的に継承しようとしたのは、宗教学や社会学における新宗教研究ではなく、歴史学の民衆宗教研究であり、また村上と並んで民衆宗教研究を牽引したのは安丸良夫であった。安丸の『日本の近代化と民衆思想』(青木書店、一九七四年)は丸山教を中心に、天理教や大本などにも触れながら、社会変動期における諸問題が民衆に自己鍛練・自己規律による思想形成を迫り、これに基礎づけられた勤勉・倹約・正直・忍従などの通俗道徳が民衆の自己変革と社会批判を可能にしていったことを指摘した。しかしながらこの社会批判である「世直し観念」も、それが民俗信仰的な神道説の系譜を継承する限り、論理的思想的な発展の蓄積が妨げられ、他方、天皇制イデオロギーと癒着する可能性を有していたという。
村上や安丸によって切り拓かれた民衆宗教研究を継承した研究者として小沢浩・神田秀雄・桂島宣弘をあげることができよう。そして、こうした立場では富士講にはじまり、如来教・黒住教・天理教・金光教・天理教・丸山教・大本が扱われている。時期的には大正中期を下限とし、それ以降は「新興宗教」と呼ぶ暗黙の前提があるという。そして神田秀雄「近世後期における宗教意識の変容と統合」(『日本史研究』三八六、一九九三年)によれば、「近代においても容易に解決されずに経過した大問題に固有の解答を提起したことが、幕末維新期を中心に成立した創唱性の高い宗教に共通する歴史的な性格だったと規定しうるのであり、その歴史的性格をさらに正確に記述していくことが、今日、歴史学の立場からする民衆宗教研究のもっとも重要な課題である」とされる。
四、一九九〇年代の宗教状況を踏まえた宗教運動論へ
近年、この民衆宗教研究から新宗教研究に対して「現代における諸宗教の存在をそのまま前提とし、歴史的な位置づけを大幅に捨象しながら諸宗教の分析・分類に向かう」(神田、前掲論文)、「日本における国民国家的イデオロギー(具体的には天皇制)はまさに宗教的次元での思想的相剋を通じて形成されているのだが、「新宗教」論に立つ研究は、そうした明白な事実を捨象した議論に自らを陥らせる危険性をも孕んでいるといえよう」(神田秀雄「国民的統合と民衆宗教」、衣笠安喜編『近世思想史研究の現在』思文閣出版、一九九五)といった問題提起がなされるようになった。つまり新宗教研究では、国民国家的イデオロギーとの相剋を経て形成された新宗教の歴史性と、そこでの位置づけや評価が捨象されているという。
筆者は、この問題は新宗教研究の方法論上の問題と密接に関わっていると考えている。前述のように民俗宗教との連続性を強調する新宗教研究では、「民俗」といった非歴史的な宗教基盤に引き寄せつつ宗教運動を論じ、これが歴史性の捨象につながっているとみることができよう。また、内在的理解は、宗教現象を当事者の感情や心の機微ともいうべきミクロな観点から見ようとするものといえ、これは個人の信仰世界を社会状況から強引に解釈しようとする尊大な無理解を避けながらも、歴史性の捨象という批判を免れることはできない。
しかしながら民衆宗教研究とても現代の宗教状況に関しては十分に評価できているとはいえないし、そもそも現代への言及はわずかしか見られない。従って重要なことは民衆宗教研究と新宗教研究との架橋であり、民衆宗教研究に求められているものは現代へと射程を伸ばすことであり、新宗教研究に必要なのものは歴史の評価に関わる視点といえよう。現代を近代から連なる一つのプロジェクトとするならば、近代における民衆宗教の支配的イデオロギーとの相剋は、現代の宗教状況を無視しては、その総体がとらえられず、また現代の宗教状況も近代から連なる歴史性から規定されていることが理解されなくてはならないだろう。例えば反社会的な宗教運動の出現に対して研究者はその宗教史的位置づけや評価や質について寡黙ではいられないであろうし、幕末維新期の民衆宗教が求めたであろう民衆の主体の変革が可能な限り保証された、この「豊か」で「自由」な社会の到来を前に、近代社会と民衆宗教との関係の帰結をどう思想史的に総括するのか。一九九〇代年以降に起こりつつある現代の宗教状況とそれを取り巻く社会状況の大きな変化が、より一層、 宗教運動論の深化を要請している。

3 comments

  1. 翻訳blog より:

    オウムのこと

     麻原彰晃の死刑が確定した。 地下鉄サリン事件は1995年3月20日だったが、私

  2. 今ネットサーフィンで挨拶してます。これからもよろしく

  3. 今ネットサーフィンで挨拶してます。これからもよろしく

翻訳blog にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*