霊性と資格─日本におけるスピリチュアル・ケア・ワーカー養成をめぐって─

「宗教と社会」学会第12回学術大会(大阪大学)での発表。スピリチュアルケアの研修を受けたり、岐阜でレンタカーを借りて千本寺様までお話をうかがいに行きました。


1、問題の所在
 本報告の目的は、スピリチュアル・ケアに関わる人材養成をめぐる聞き取り調査(研修会の受講、養成機関やそこでの教師、受講者、スピリチュアル・ケア・ワーカーへのインタビュー)から、本来、非制度的特徴を第一義とするスピリチュアリティが制度に組み込まれるプロセスで浮上するスピリチュアリティの諸性格を検討することにある。
 ところで、鈴木大拙は今からちょうど60年前に『日本的霊性』の中で、「霊性とは宗教意識と言ってよい」とし、「一般に解している宗教は、制度化したもので、個人的宗教経験を土台にして、その上に集団意識的工作を加えたものである。(略)宗教的思想、宗教的儀礼、宗教秩序、宗教的情念の表象などというものがあっても、それらは必ずしも宗教経験それ自体ではない。霊性はこの自体と関連している」と論じている。
 確かにスピリチュアリティの特徴の一つは非制度的な宗教性にあるといってよい。その意味でスピリチュアリティは、宗教制度から横溢し、しかもその現象は、先進諸国に共通してみられるグローバルなものとして我々の前に横たわっている。
 しかしながら同時に、このような非制度的なスピリチュアリティを何らかの形で制度の俎上に乗せ、訓練を施されたスピリチュアリティの担い手を養成する教育機関もできつつある。スピリチュアル・ケアに関わる人材養成は、その典型である。スピリチュアル・ケア・ワーカーの養成は、スピリチュアリティが「教団」という機構の一部に組み入れられ、その思想や技術が教師から受講者に「教室」で教授され、主に「病院」の現場でその効果が発揮されることが予想されるという、制度化されたスピリチュアリティのやりとりが念頭に置かれているのかもしれない。
 スピリチュアリティは制度的な枠の中でのやりとになじみづらいものがある。しかし、だからこそ、スピリチュアリティがあえて制度化される際に生じる諸課題を整理することによって、把捉しづらいスピリチュアリティの輪郭が浮かび上がってくるものと思われる。
2、スピリチュアル・ケアへの関心の高まり
 スピリチュアル・ケアの発想や実践自体は、宗教と医療との関係のごとく古くからあるものであるが、それが制度として確立していくのは最近のことである。これにはWHOの1990年の報告書「がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア」において、身体的、心理的、社会的ケアとともにスピリチュアル・ケアが指摘されたことが一つの背景となっているとみてよいだろう。報告書では11章構成のうち、第7章を「霊的な(spiritual)側面」にあてており、そこでは「霊的」の定義「人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た経験を表す言葉」が示されている。もちろん同じくWHOが1998年に「健康」の定義をめぐる議論で、従来の身体的・精神的・社会的とならんでスピリチュアルな側面を加えようとしたことも、スピリチュアル・ケアへの関心を高める重要なはずみとなっている。
 日本におけるスピリチュアル・ケアの展開は欧米より遅れたが、ターミナル・ケアの分野で90年代後半より、テクニカル・タームとしての「スピリチュアリティ」は普及し始めてきた。例えば、朝日新聞社系のデータベース(朝日新聞、AERA、週刊朝日)で、「スピリチュアル and ケア」を検索すれば、25件の記事がヒットするが、初出は1996年の7月16日に見られる(「「霊的」な痛み 日本的理解探る動きも(ホスピス事情12)」)。また、薄井篤子(2002:207)が指摘するように、緩和医療の誕生とそこでの患者のQOLの尊重という流れの中で、医療・看護の従事者とソーシャルワーカー、宗教者、患者家族、ボランティアなど幅広い層が関わる学会、研究会、市民グループが誕生してきている。
 そうした学会の一つである日本死の臨床研究会(1977年設立)では、神谷綾子がレビューするように設立当初から「宗教的痛み」「霊的痛み」「宗教的ケア」といった用語で、当該問題が議論され、90年代に入って英語かカタカナ表記に落ち着いてきている。1999年の第23回大会でシンポジウム「Spiritual Pain」が、2003年には「全人的ケア―スピリチュアル・ケアの現状と将来」をテーマに第10回関東支部大会が開催されている。日本ホスピス在宅ケア研究会(1992年設立)では、2002年にスピリチュアルケア部会ができ、すでに部会誌『スピリチュアルケア』も発刊されている。
 このよう中で、スピリチュアル・ケアに関わるスタッフの養成が求められ、いくつかの機関が動き出している。1998年にカトリック司祭のウァルエマール・キッペス師によって久留米で設立された臨床パストラルケア教育センターや2002年に発足した高野山真言宗のスピリチュアルケア・ワーカー養成講習会などが、それである。また、2003年に誕生した東京スピリチュアル・ケア協会のように、「古今東西の哲学的・宗教的叡智を援用もしくは善用」(ウェブサイトより)と、既存の宗教とは一定程度距離をとっていることを表明する団体もある(ただし現在は活動を調整中であり、本格化はしていない)。
・臨床パストラルケア教育センター
 臨床パストラルケア教育センターは、「病む人とその家族、その友人及び医療スタッフなど、スピリチュアルペインを抱えている人々が、スピリチュアルケアを受けられる社会の実現を目指して」(臨床パストラルケア教育研修センター2003:3)発足した。実施されている研修は、臨床パストラル・カウンセラー資格認定コース、臨床パストラルケアボランティア資格認定コース、臨床パストラルケア研修コースに分かれていて、これまで認定したカウンセラー約30名、ボランティアは5名で、受講者は看護士や精神科医など、医療スタッフが多いという。
・スピリチュアルケア・ワーカー養成講習会
 高野山真言宗社会福祉委員会では、社会活動の一環として、ひきこもり対策に取り組み、そうした児童を高野山高校での受け入れを開始、その指導・援助者の養成がきっかけでスタッフ養成が始まったという。そして「日本的なスピリチュアルケアとは何かを考え、現代の医療や福祉の場面で活動できる臨床的僧侶の役割を注視し、スピリチュアルケアの専門的理論と実践講習を企画、実習することとした」(大下大圓2003:35)。研修は心の専門員養成講習とスピリチュアルケア・ワーカー養成講習に分かれていて、現在、心の専門員養成講習を終えた25名のうち、約20名がスピリチュアルケア・ワーカー養成講習への進学を希望している。受講者の6、7割が僧侶であるが、その他、看護士、福祉施設職員、主婦もいるという。












































研修名称 研修科目 研修方法 その他
●臨床パストラルケア教育センター
A臨床パストラル・カウンセラー資格認定コース













 
?心理学的傾聴

?人間関係とコミュニケーション

?価値観の明確化

?哲学的人間学

?神学的・宗教的人間論

?人格の統合

・?〜?各5日間


 
1.講義

2.患者訪問と記録

3.心理学的グループワーク

4.スーパーバイザーによる個人指導

5.瞑想・礼拝

6.人間としての完成の歩み
自分の信念に関する哲学あるいは神学

・90分×60コマ



3年以上のパストラルケアの実務





 
B臨床パストラルケアボランティア資格認定コース









 
上記?・?より1つを選択

?価値観の明確化

上記?〜?より1つを選択

・各5日間






 
1.講義

2.患者訪問と記録

3.心理学的グループワーク

4.スーパーバイザーによる個人指導

5.瞑想・礼拝
自分の信念に関する哲学あるいは神学

・90分×10コマ








 
C臨床パストラルケア研修コース



 
Bコースと同じ





 
Bコースと同じ





 






 
●高野山真言宗
A心の相談員養成講習会





















 
1.カウンセリング理論・演習

2.臨床心理学・演習

3.福祉理論

4.マネジメント論

5.代替療法

6.精神保健・医療理論

7.仏教論・密教論

8.密教福祉援助法

9.医療福祉施設実習

10.実践レポート

・60単位=120時間
1.講義

2.演習

3.実習


















 






















 
Bスピリチュアルケア・ワーカー養成講習会

















 
A研修に加え(あるいはそれ同等の有資格者=臨床心理士・精神保健福祉士などで)

1.臨床心理学

2.コーディネーター論

3.スピリチュアルケア論

4.臨床実習

5.社会活動

6.実践活動

・80単位=160時間
1.講義

2.演習

3.実習
















 
スピリチュアルケア・ワーカー認定には実務が必要















 

3、スピリチュアリティはどう伝えられているか
 さて、以上にように非制度的なスピリチュアリティをスピリチュアル・ケアという資格制度に乗せようという動きがでつつある中で、当事者はスピリチュアリティについて、どのように考えているのであろうか。ここでは、便宜上、それを(1)教団、(2)教室、(3)医療現場の3つの場面に分けて考察していきたい。(1)では特定教団がスピリチュアリティをどのように拘束、つまり自らの教義や儀礼と結びつけてスピリチュアリティをとらえているかどうかが問題となる。(2)では、未信者も含めた受講者に教師が、(3)では、スピリチュアリティの担い手が患者に、どうスピリチュアリティを伝えうるかが問題となる。
(1)教団から切り離され、担い手の価値観に根ざしたスピリチュアリティ
 スピリチュアル・ケアの人材養成をめぐって、教師はスピリチュアリティを教団とどう結びつけているのだろうか。これに関して、程度の差はあるものの、自らの教団とスピリチュアリティとを切り離して認識しているといえる。臨床パストラルケア教育センターの所長であるキッペス師は、インタビューの際に開口一番「(この研修は)カトリックではないんです」と断言し、スピリチュアリティと理解とカトリック信者であることの分離を強調している。しかしそのキペッス師も哲学・神学の重要性は指摘する。臨床パストラル・カウンセラー研修には90×60コマの「哲学・神学」が必修とされ、このことについて、キッペス師は、
(多くの日本人が言うように)「宗教はどれも同じ」とは思わない。自分が自分のことをはっきりしないと、考えがないとケア・ワークにならない。自分が自分の人間論をつかんでいないと失礼。ほとんどの看護士には、それがない。人生で何で生まれてくるのか、死ぬのかを考えたことがないのに病室に入るのは失礼だと思う。何で人間が苦しんでいるのか、医者が考えていない。基本的なことがわかっていなければ、スピリチュアルケアができない。
と現状を批判する。
 一方、スピリチュアルケア・ワーカー養成講習会の実質的なオーガナイザーである大下大圓師は、講習会を最初は高野山大学で実施することを構想していたが、大学側から宗門に折衝の相手を変えたという。しかし、「スピリチュアルケア・ワーカーの研修についてはいつまでも本山に置くんではなく、社会の中―具体的にはNPOなどにして、もう少し中立的なもの、高野山真言宗ではなく、日本的スピリチュアルケアを学ぶ場があるとしたい」と、資格認定自体は宗門と切り離した構想には意欲をしめしている。また、キッペス師と同様に「関わる側がしっかりとした死生観をもっていないと関われないでしょう」と、霊性の担い手の価値観について強固なものを前提としている。
 このように臨床パストラルケア教育センターもスピリチュアルケア・ワーカー養成講習会も、特的に教団の内側から始まった運動であるにもかかわらず、自らの教義や儀礼と結びつけてスピリチュアリティをタイトに拘束してはいない。もちろん両研修にカトリックや真言密教の宗教施設や儀礼は少なからぬ影響を与えていると思われるが、むしろ、そこでは受講生の一人一人の価値観の形成に重きが置かれている。
(2)教団用語を使わずに伝えるスピリチュアリティ
 特定の教団と切り離されたスピリチュアリティは、教室でどのように教師から受講者に伝えられているのであろうか。2つの研修とも、教室外での実習もさることながら、教室内でのロールプレイなとのワークを重んじている。大下師は、先の死生観を持つことの重要さとからめて、受講者の死生観を「揺り動かす」ロールプレイの実践を展開するという。大下師とともに養成講習会で講師やスーパーバイザーをつとめる大塚秀高師は「スピリチュアリティは教えられない。それは言葉にすると、スピリチュアリティがなくなる。宗教が宗教である元気みたいなものを回復すると、霊性を失う」という。臨床心理士でもある大塚師は、「教えられるテクニックはある。臨床のテクニックや催眠など、、、しかし何のための生きるのか、死ぬのかは教えられない」としながらも、「受講者の苦悩を導き出し、自己開示してからでないと(スピリチュアリティは)伝わらない」といい、講義は必ずクライアント体験から始めるという。
 報告者が受講した臨床パストラルケア研修の一日研修でも、講義と並んでロールプレイなどのワークがセットになっていた。さらに、受講者のほとんどがミサで聖体拝領をしていたことから、受講者は大半はカトリック関係者と思われるが、ワークでは教会用語が用いられなかった。





























































時間 研修内容 備考
09:30-09:35 オリエンテーション  
09:35-09:45 自分と共に居る時間 沈黙の時間
09:45-10:45

 
講義

隣の人と挨拶を交わすワーク


 
  (休憩)  
10:55-12:30

 
講義

健康に関するワーク


 
  (昼食)  
13:45-14:15

 
ギター奏者によるミニコンサート

 
2つのギターが共鳴しあうこととの紹介
14:45-15:10



 
体験談

講義

スピリチュアリティに関するワーク




 
  (休憩)  
15:25-16:45







 
ガン告知に関するロールプレイ

自分と共に居る時間

受講者で輪になって手をつなぎ合唱

ふりかえり

後かたづけ


沈黙の時間5分

滝廉太郎「花」

初参加者のスピーチ

 
16:50-17:40 ミサ 希望者のみ

 キッペス師は、どれだけスピリチュアリティが伝わるかということに関して、「訓練である。もしかするとカトリック信者よりもスピリチュアリティがよく伝わるかもしれない」と述べたうえで、カトリック信者には「カトリック用語を使わないでください」「自分の言葉で喋るように」という指導をするという。例えば神ということ言わすに「自分の中に支えがある」「信頼できる対象がある」「内なる声」が用いられる。これは「自分の言葉で語ることは自分の体験になる。借りている言葉で言いますと良い言葉になりますが、(体験を)失ってしまうかもしれない」という意図によるものだという。
 同じことは「宗教家がスピリチュアルケアに関わるのは難しい」と、先の大塚師も述べているが、本来、スピリチュアリティに関わる宗教家だからこそ、一端、自らが寄って立つ文脈を壊し、そこから離れて自らの言葉で語り始める時、他者に語りうるスピリチュアリティが獲得されるものと考えられる。
(3)育まれるスピリチュアリティ
 あえて教団用語を伝えずにスピリチュアリティを伝える技術は、医療現場でも実践されている。例えば、大下師が臨床現場(高桑内科クリニック)で患者に対して用いる瞑想法がCD「希望の瞑想」になっているが、そこには次のようなメッセージが語られている。
仏さまをイメージできる人はその方からエネルギーをもらうようにします。また、曼陀羅をイメージしていただいても結構です。
特定の信仰のない方は大いなる宇宙的な大自然のエネルギーをイメージします。
わかりにくい方は、暖かな太陽のエネルギーを感じてみてください。
 諏訪中央病院でスピリチュアル・ケアに従事している松本市の神宮寺の高橋通方師は、医療現場では相手の話を聞き、手を握ることが中心で、そこに仏教用語を用いた話は介在しないという。キッペス師もその著書『スピリチュアルケア』で「スピリチュアルケアはアドバイスを与える行為ではない」(1999:269)と述べ、医療現場では患者と共に語るのではなく、患者について語ることが行われている点を批判している(1999:275-276)。
 このようにスピリチュアル・ケアの現場では、宗教的な教化・教導のイメージはなく、むしろ患者との人間関係や分かち合われる体験の重要性の指摘される。そしてそこではスピリチュアル・ケア・ワーカー自体のスピリチュアルな成長も促される。パストラル・カウンセラーの資格を認定され、病院に看護士として復帰して2ヶ月半になる平野のぞみさんは「自分の中の声」「内なる声」を信じることで、自分の中のスピリチュアルな次元を認め、人間にはスピリチュアル次元があるんだということを確信するに至ったという。そして患者との交流の中で、
重い病気であったり、痴呆だったりしても、霊的な部分に関わらせていただいていると、その人の中から出てきたと思われる反応が返ってきます。それが日々育っていくというか、健康な部分に接しているというか、そういうケアがあるんだなぁという確信をもって仕事をさせていただいております。
と述べ、「病院勤めが苦痛ではなくなった」と自分の変化を強調している。
4、まとめ
 これまでスピリチュアリティが資格をともなう制度の俎上に乗せられとき、どのようなやりとりがなされているのかを瞥見してきた。そのことで浮かび上がったスピリチュアリティの性格として以下に3点を指摘したい。
 二つの研修では、スピリチュアリティの資格認定を行うものの、スピリチュアリティの定式化や身に付いた/ついていないとか、深まった/深まっていないという担い手のスピリチュアリティの吟味には、それほど多くの関心を払っていない。むしろそこには、スピリチュアリティを教団の枠から解放し、自らの価値観を背景とした個々人の中で位置づけることによって、スピリチュアリティの力を担い手に身につけさせていく志向性が確認できる。言い換えれば(1)スピリチュアリティは制度の中にあっても極めて非制度的かつ個人的な性格を帯びていることが再確認されたといえよう。
 そしてはこうした性格は教団用語を用いずにパラフレイズするという教育や現場での実践と密接に結びついていると理解できる。教団がスピリチュアリティを自らの枠内に取り込もうと資格制度を作りあげる過程でも、スピリチュアリティが伝えられる現場では、教団から離れ、教団用語から解放されていく志向性が強く確認される。それは(2)スピリチュアリティが定式化や概念化されるものというより、常に形を変え、養成現場の教師と受講者や医療現場のワーカーと患者との関係によって育まれ、成長していく性格のものであることあることを示している。
 ただ、制度化された教団とスピリチュアリティが相容れない訳ではない。スピリチュアリティの担い手たちは、そのことを強く自覚している。キッペス師は、カトリック病院が宗教法人立から社会福祉・医療法人に鞍替えする傾向を嘆き、「そうするとカトリック精神がなくなってしまう。そうなる前にパストラルケアを確立してほしい」と発願し、人材育成に乗り出したという。
 大塚師は、講習会制度について「(宗教の)自己回復運動は一つのキーワード。宗教が宗教たらんとする霊性の回復」という。大下師はスピリチュアルケア・ワーカー養成を「坊さんのリカレント教育の一環」と位置づけ、
理論と修行していただけで、坊さんになれたが、それではそれでは不十分というのが僕の見解。それに加えて現代の課題というものを学習しながら、その問題にアタックできる専門家を養成したい。宗教家が宗教儀式をやっている時代じゃないだろう。社会に入って行ったり、社会に必要となったり、、、入っていける力を養いたい。
この研修は僧侶の人の目覚めにもなった。僧侶自身のスピリチュアリティも磨かれていった。みんながワーカーになるんではなくても、研修を受ける人が気づけばいいんで、みんながそういことに気づいていった。人間の内面化されていたものが重要だったことを・・・
と語る。
 つまりスピリチュアリティの導入により、教団の活性化なり、宗教の再生なりが期待されているのがわかる。日本でスピリチュアル・ケア・ワーカー養成が始まったばかりの今、実際がその期待が実を結んでいるかどうかは不明であろう。しかしながら、(3)少なくとも当事者にとって、スピリチュアリティが教団、さらには宗教自身の根幹を支えるものとして認識されていることは、スピリチュアリティの重要な性格として指摘しなければならないだろう。
謝辞(下記の方々のお世話になりました)
高橋通方師(神宮寺住職)
田中雅博師(西明寺住職、普門院診療所医師)
大塚秀高師(本智院住職、星槎大学助教授、スピリチュアルケア・ワーカー養成講習会スーパーバイザー)
ファルデマール・キッペス師(カトリック司祭、臨床パストラスケア教育センター所長)
大下大圓師(千光寺住職、スピリチュアルケア・ワーカー養成講習会スーパーバイザー)
引用文献
薄井篤子2002「スピリチュアル・ケアと宗教」『現代宗教2002』
大下大圓2003「現代医療福祉現場への密教福祉の導入―スピリチュアルケアワーカー養成講習の目指すもの」『密教学会報』41
神谷綾子2000「スピリチュアルケアということ」、カール・ベッカー『生と死のケアを考える』
ウァルデマール・キッペス1999『スピリチュアルケア―病む人とその家族・および医療スタッフのための心のケア』サンパウロ
世界保健機構編1993『がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア―がん患者の生命へのよき支援のために』武田文和訳、金原出版
臨床パストラルケア教育研修センター2003『臨床パストラル研修案内【2003年度版】』臨床パストラルケア教育研修センター

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