アジアのスピリチュアリティ

 樫尾直樹編『アジア遊学 84号 アジアのスピリチュアリティ』(2006年2月)が刊行された。僕も論文を書いている。元になったのは昨年のSISR(国際宗教社会学会)での報告。ちょうど僕らのセッションを報告する文章を書いたので、それを掲載しておこう。
 樫尾直樹のコーディネートによるテーマセッション「東アジアの霊性」(Spirituality and Society in Contemporary East Asia)は学会最終日の2005年7月22日に開催された。発題者は司会も兼ねる樫尾直樹(慶應義塾大学)と弓山達也(大正大学)・佐々充昭(立命館大学)・藤野陽平(慶應義塾大学大学院)で、ディスカッサントはジャン=ピエール・ベルトン(フランス国立社会科学高等研究院・同科学研究センター)。聴衆はのべ15名ほど(日本人発題者中心の部会にして珍しく日本人聴衆は1人)であったが、全体高齢化社会の中でますます霊性の問題は重要だというコメントや、spiritualityの翻訳上の問題などに関する質問が寄せられ、好意的かつ活発な議論が展開された。以下、報告ごとにその要旨と議論の要約を記す。


 樫尾報告「課題としてのスピリチュアリティ研究―現代日本の事例―」(Spirituality Studies as our common task: a Case of Contemporary Japan)は、全体の問題提起も含むものであり、現代日本、とりわけ90年代以降、〈スピリチュアリティ〉(=霊性)が、広義の「健康」、つまり身体的健康だけではなく一般に精神的(心理的)、社会的健康を含みこんだ「健康」に関わる社会文化的諸領域で注目されてきていることが説明された。その社会文化的諸領域とは、たとえば、宗教はもちろんのこと、医療、看護介護、臨床心理・セラピー、生命倫理、食・エコロジー、教育、死の教育、職場、福祉、自助団体、大衆文化(マンガ、映画など)、癒し・ヒーリング、遍路などのさまざまな場であり、そこで〈スピリチュアリティ〉という言葉は積極的に使われるようになってきているという。
 そこで樫尾報告では、上記の社会文化的諸領域のいくつかにおける〈スピリチュアリティ〉概念を検討し、その諸特徴を指摘することによって、現代日本の〈スピリチュアリティ〉の位相の一端とスピリチュアリティ研究の課題を明らかにすることを目指した。
 結果、現代日本におけるスピリチュアリティの特徴は超越性、他者性、内面性、実践性の四つにまとめることができ、より具体的には、スピリチュアリティとは、個を超えた価値、生の実存的意味、大いなる存在に生かされている、あるいはそれとつながっているという感覚の三要素から構成されていることが明らかにされた。
 ディスカッサントからは、現代日本のスピリチュアリティ状況に関する基本的認識には同意する旨のコメントがあり、特に超越性と他者性に関して、その内実をより分かりやすく説明するように求められた。報告者は、とりわけ、当事者の他者への自己供犠、利他的行為の中にスピリチュアリティは顕現するが、その崇高性が社会文化的に、個を超越してそれに自らを投企しうる価値として受動的に謙虚に受けとめられるときはじめて超越性を獲得するというモメントがスピリチュアリティを特徴付けることを言明した。
 弓山報告「霊性と資格―日本におけるスピリチュアルケア・ワーカー養成について―」(Spirituality and Qualification: Spiritual Care Work in Japan)は、カトリック系の臨床パストラルケア教育センターと高野山真言宗のスピリチュアルケア・ワーカー養成講習会を取り上げて、制度の俎上に乗りづらいとされる霊性が、教室・病院といった制度の中で教えられ、伝えられる場面での諸特徴を指摘するものであった。それによれば2つの養成システムでは、宗教伝統の差こそあれ、教団から切り離された個人の価値観が強調される点、具体的には宗教用語を使わずに宗教性を伝える点などが等しく観察されるという。こうしたことから弓山報告では、スピリチュアルケアの現場における霊性には、(1)それまで指摘されてきた非制度的かつ個人的性格、(2)教団組織や宗教用語から解放される非定型的性格、(3)それでいて結果として教団を活性化し、宗教者の宗教性を育む宗教の根幹的な性格が認められると結論づけた。
 ディスカッサントからは、宗教を背景としない価値観は可能なのかという質問がなされ、報告者は日本における「恩」「縁」「情」の概念を取り上げ、これらが宗教と結びついているとは必ずしも認識されていないが、しかし日本人を強く規定する価値観となっていることを説明。そこに宗教抜きに価値観の可能性があるということが示唆された。
 佐々報告「現代韓国における気修練団体とスピリチュアリティ―グローバル化の中で再編されるアジア的「気」言説―」(The Ki Training Groups and Spirituality in Contemporary South Korea)は、丹田呼吸を中心とする伝統的な気修練法を普及する団体が数多く登場している韓国の現状に関するものであり、韓国における最大規模の気修練団体である「丹ワールド」の事例分析を通じて、現代韓国における「霊性(スピリチュアリティ)運動」の特色について考察を試みるものであった。
 丹ワールドは、健康や癒しを扱う株式会社として組織されているように、制度化された「宗教」を否定し、「霊性(スピリチュアリティ)」を強調している。また、丹ワールドは、アメリカをはじめ世界各地に約200ヶ所の支部を設立しながら国際的な活動を行う一方で、韓国内においては、檀君を韓民族の祖先として崇拝する檀君民族主義を宣揚するなど、ナショナリズムを鼓舞する運動を展開している。このようなグローバリズムとナショナリズムの共存は、統合と反統合という相反する要素を同時に内包するグローバル化自体の持つ特性に起因するものであると考えられる。また、丹ワールドにおけるグローバルな活動の中で、「丹田呼吸」は「脳呼吸(Brain Respiration)」、「気」は「生命エネルギー(Life Energy)」や「ボルテックス・エナジー(Vortex Energy)」というように、東アジアの伝統的な「気」概念が欧米のニューエイジ用語によって変容されながら伝統文化の脱構築と再創造が試みられている点が特に注目される。
 佐々報告に対して、ディスカッサントからは、韓国国民の約30%を占めるキリスト教徒の反応についての質問が出された。これに対して、報告者から、韓国宗教界がキリスト教系と非キリスト教系に二分されている事実を明らかにした上で、キリスト教陣営が「スピリチュアリティ」を「聖霊」と同義のものと見なす原理主義的な福音宣教を展開する一方、非キリスト教陣営は韓国キリスト教会の持つ排他的な集団主義に対する戦略的キーワードとして個人的な「スピリチュアリティ」を強調する傾向にある点が指摘された。
 藤野報告「台湾キリスト教における霊的な癒し―真耶穌教会の事例から―」(Spiritual Health in Taiwan: from a case of True Jesus Church)は、台湾の真耶穌教会というキリスト教会の信者による癒しに関する体験談を分析することで、台湾のキリスト教において健康にはどのような原因があるとみなされているかを考察するものである。報告では病いの研究の一環として広く行われてきた災因論に比べ、取り上げられにくかった福因論を健康観の研究として行っていくべきであるという意図が説明された。その際のキー概念としてキリスト教から引き継がれてきた神と人との関わりという概念としてのスピリットと、1970年代のニューエイジムーブメントなどから引き継がれている何か自己を越えたものを介在した繋がりとしてのスピリチュアリティを分けてとりあげられた。
 結論として当教会信者の癒しの体験談には神と人との繋がりとしての聖霊の介在だけではなく、祈りあうことによる人と人の繋がりが介在していることが明らかになった。当然キリスト教には他者のために祈るということが古くから行われてきたが、現代社会の中でそれが現実的な効果があるものとしてみなされているということはスピリチュアリティと呼ばれる一連のムーブメントに接近している現象であるといえ、そのような感覚が当教会の癒しの語りには広く見出すことができた。このような健康観は単に「病いが無い」という意味にとどまらないスピリチュアルに与えられた健康であるといえよう。
 藤野報告に対してディスカッサントからは当教会において祖先崇拝は行われているのかという質問があった。この質問は漢人とキリスト教の問題を考える上で、漢人社会にキリスト教が導入される際の交渉という非常に重要な意味を持っているが、それだけではなくスピリチュアリティの研究としても死者への繋がりとしての祖先祭祀という観点を想定した意義深い質問であった。それに対し報告者からは、当教会では祖先祭祀は行わないが、父母を敬えという十戒の言葉等を利用して生前に年配者を敬うべきである風に再解釈しているという現状が指摘された。

One comment

  1. 月刊「アジア遊学」

    月刊「アジア遊学」という月刊誌があり、2月25日発行号の特集が「アジアのスピリチュアリティ (副題は精神的基層を求めて)」。このスピリチュアリティ特集号が、先週末から書店にも並びだした。
    この特集号には…

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