自由と進歩の法政大学

都心の気温が35度を超えているそうな。そんな中、学部時代の母校に行って来た。
実はこのところ、母校がらみでOBから、いろいろと連絡がくる。そんな中で「退学処分を撤回せよ! 法政大学統一OB会」の情宣活動が行われるというので、顔を出してみた。


■逮捕者延べ37人
事の発端は3月14日に法政大学当局によって、200名もの警察官導入がはかられ、立て看板撤去に反対した学生29人を逮捕したことによる。その後、この逮捕を不当として抗議する学生が次々とキャンパスで逮捕され、その数は37名となった。そして、こうした逮捕者の中から文学部生3名の退学処分(5月17日、文学部教授会)が下され、法学部生2名には停学(校地内立ち入りを禁ずるもの)1年と半年(7月14日、法学部教授会)が決められた。
■僕が法政を誇りに思うこと
僕は1982年から86年にかけて文学部哲学科の属し、その後、91年から01年まで第一教養部の兼任講師をつとめた。入学当初は決して本意ではない法政に、それほど愛着があった訳ではない。しかし、哲学科生全員加盟の学術団体である法政大学哲学会(学生会館302号室)で自主ゼミに関わり、83・84年度に会の執行部となる中で、法政は僕のかけがいのない存在となっていった。
当時僕らは「新たな〈知〉の創造を!」をスローガンとしていた。学生による活動の中から学生の学びのあり方を模索し、学生文化を構築・発信しているという自負があった。〈知〉と書くときに山括弧には特に思い入れがあった。校地は狭く汚く、講義の多くはマスプロで、他の六大学に比べて、いろいろな意味で見劣りする法政の学生として、この「新たな〈知〉の創造を!」というスローガン、そして実践は、絶対に譲れない、いわば法大生としてのプライドであった。
学生会館での学生自主管理の活動は、楽しいこともあったが、砂をかむような虚しさや、涙がこぼれる辛さもあった。しかし、このプライドが僕を支え、今の僕のかなりの部分を形成しているといっても、決してオーバーな表現ではない。
■学生の自主活動を奪って何が残るのか
もちろん法政の魅力は、他にもさまざまあるだろう。僕は、次々の建てられる校舎、設置させる新学部の報に触れて、母校の発展を頼もしく思っている一人でもある。しかし法政の理念は「自由と進歩」ではなかったか。
三木清が教鞭をとり、大内兵衛が総長をつとめ、彼の名前を冠する庭園があり、僕が入学した年の反核30万人行動のビラを教員が講義中にまき、おびただしい数のタテカン、大音響のアジテーションをバックに正門から校舎までわずか数十歩の間に配られるビラ、ビラ、ビラ、、、そんな中から僕は、自分の学びのあり方を模索し、自分の進路を決めていった。
大学にはいろいろな校風がある。もちろん学生の自主的な活動などなくても、立派な大学もあるだろう。学生文化などとは無縁の大学もあるだろう。もっと言えば、教育などしなくても研究だけでやっていける大学だってある。しかし僕にとっての法政は、学生の自主的な活動と切手も切り離せないものであった。「自由と進歩」の校風に学生の活動は絶対に欠かせないはずだ。そして今、それが失われつつあることを知り、これをとても残念に思う。
■法政よ、どこにいく
今回、久しぶりに法政のキャンパスを歩いてみた。僕らが活動をした学生会館はなく、いったい学生はどこで活動をしているのだろう。ピロティ下や55年館1階の薄暗く船底のような学生ホールで不自由な活動を強いられている様子は数十年前と変わらない。学生は法政当局の威信の象徴のようなボアソナードタワーや、一口坂に次々に建てられる小綺麗な建造物を、どのような気持ちで見ているのだろうか。
法政から学生の自主的な活動がなくなることを、僕は憂える。こうした事態に至るまで無関心であったことを、一人のOBとして恥ずかしく思う。もう一つの母校であり本務校である大正大学の学生文化のあり方も見つめつつ、母校の動向に注目していきたい。

6 comments

  1. 弓山達也 より:

    通りすがりさん、どうもコメントありがとう。
    立命館には何度か行き、平和ミュージアムや学生の諸活動に触れると、建学の精神である「平和と民主主義」という理念がひしひしと伝わってきます。
    僕が「学生の活動」と言う時に、それは「活動家」の活動に限定して語っているわけでありません。
    普通のサークル活動もあるでしょうし、ゼミの活動もあるでしょうし、大学主導の学生活動もあるでしょう。法政にも「自由と進歩」を体現するような学生の活動が育ってほしいと願っています。
    公安が監視する大学にしたのは誰かということを言い始めると、権力が先か学生運動が先かという鶏卵論争になってしまうかもしれません。
    権力の介入を招いたしまった学生の突出さ(あればの話ですが)は指摘しなければなりません。しかし権力導入を許した大学当局や、そもそも学生の活動に監視の目を光らせる取締当局にも、僕は批判の矛先を向けるべきであると思います。当然、無関心な学生や教職員の責任も重大です。
    通りすがりさんが、通りすがりでなく、こうした議論の輪に加わってくださることから、「自由と進歩」の学風が築かれていくんだと思います。

  2. 通りすがり より:

    二十人くらいの現役法大生に聞いた範囲で知りえたこと。
    私が聞く範囲では、現役法大生の知人達は、立命館みたいにどんどん綺麗になって、イメージアップしていくようで、うれしいって言う人が多いです。でも、立命館の方がイメージアップしていると思っているようです。経営学者の学長だから、どんどん新しいことをやろうとするけど、変なわけのわからない学部を増やしてそんなにうまくいっていないので、立命館の方がイメージアップ作戦がうまいと思っているようです。(市ヶ谷の人と多摩の人で温度差はありました)
    私が聞く範囲では、一部の活動家の人達のために、法政に行ってるだけでこわいイメージで見られるのは嫌だとおっしゃる方が多いです。女の子で、法政に行ってることを親に心配される子もいました。
    私が聞く範囲では、活動家は邪魔だと思っている人ばかりでした。土手から公安が双眼鏡でキャンパスを監視しているのを見て、こんなことをされないといけない大学に入っちゃったことにがっかりしている人が多かったです。活動家は数十人みたいなので、知り合う機会はなかったですが、非活動家の人に聞いたら全然違う結果になったと思います。
    「存在が意識を規定する」そうなので、学長達が、大学をイメージアップさせて、受験料収入を増やそうとするのは当然だと思いました。

  3. 通りすがり より:

    そうですか。
    「自由と進歩」って難しいですね。「存在が意識を規定する」そうなので、活動家達みたいな「意識が高い人達」からしたら、学校当局や公安がやっていることは、自由と進歩を否定することになるんでしょうけど、活動家達みたいな人達が目障りで邪魔なふつうに学生生活を楽しんでいいところに就職したいというささやかな幸せを望んでいる人からしたら、学校当局と公安に取り締まってもらって、イメージアップして、企業からも色眼鏡で見られないでいいようにしてもらうのが、大学の「自由と進歩」なんでしょうね。
    立命館みたいに、こわいイメージが薄まって少しおしゃれなイメージが出たほうが、女子学生の受験生も増えて、儲かって、学力レベルが上がっていいんでしょうね。でも、勉強だけできるようになったら、「意識が高い人」が減っておもしろみがなくなるということにもなるんでしょうね。

  4. 通りすがり より:

    こうした議論の輪に加わることもちょっと思ったんですが、左寄りの活動に関心があっていろんな会に行ったんですが、どこも自説のすばらしさに賛同しない人を見下す態度だったので、こりたので、ネットでちょっと意見を言うだけにしておきます。

  5. 無料出会い より:

    久しぶりに楽しいサイトをみれました

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