倹約の精神史

→長野県の中条村の生活改善運動について「〈倹約〉の昭和史」『国学院大学日本文化研究所報』(No.155、1990年7月)という文書を書きました。おやきと野沢菜が懐かしいです。
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 先日、長野県のある山村で、昭和三五年から平成二年までの村の成人式の記念写真を見た。晴着や髪形の変遷が一目瞭然で興味深いが、五五年から女性が全員平服になっている。理由を尋ねると、生活改善の一環だという。村では、この他にも時間励行、結婚式・葬式等の簡素化、虚礼廃止などを生活改善の申し合せ事項としている。ところがこれらはあまり定着していないようで、成人式の女性の服装に関しても、写真を見ていくと、平服が徐々に派手になり、六二年には着物が解禁、今ではほとんどの女性が振袖を着ている。
 生活のあり方全般を見直し、消費を抑え、生産を高める生活改善の運動は、昭和期において全国規模で波状的かつ重層的に展開されている。七年から一六年までの経済更生運動、二三年からの生活改善普及事業、三〇年からの新生活運動である。もちろん三つの運動はそれぞれ性格を異にする。特に経済更生運動は戦時体制に組み込まれ挫折してしまう。昭和初年の農業恐慌によって疲弊しきった農山漁村の再建を目的としたこの運動は、土地労力利用の合理化、経営の改善、生産の改良、生産物・経営用品の統制の自力更生の段階を経て、補助金と低利資金援助による特別助成を実施する。だが「支那事変ニ伴フ経済界ノ変局ハ私的経済的見地ニ於ケル生活安定ノ如キヲ許サズ一切ヲ挙ゲテ国家目的遂行ニ嚮フベキ」という農林省の総括で予算は削減、人馬と資財は戦場に、そして農村では食糧増産と消費節約の生活改善が至上命令となっていく。
 経済更生運動とは異なり、戦後の農林省の生活改善普及事業と総理府の援助で進められた新生活運動は、ともに運動の理念や活動目標に民主的、合理的、文化的といった語句が並び、いかにもこの時期の運動らしい。生活改善普及事業は生活の合理化、考える農民の育成を重点目標に、衣食住の改善から始まった。生活改良普及員が直接農家や生活改善グループに接して、生活改善についての農民の自発的努力を助長することを目的に、最近では過疎化や高齢化に対処するため、地域農業の組織化などに取り組んでいる。新生活運動は出発当時、新日本の建設を目標に、中心課題を公衆道徳の高揚、食生活の改善、環境衛生の整備においた。個別的には冠婚葬祭の改善、ハエ蚊の駆除、虚礼廃止を進めていたが、四〇年代後半から、「資源とエネルギーと大切にする運動」「新しいコミュニティづくり運動」が二大方針になっている。
二つの運動は、衣食住の改善や主婦を中心とした地域活動など、具体的日常生活において多大な成果をあげた。しかし先の成人式の着物のように、冠婚葬祭や人とのつきあいの簡素化のことになると、なかなかうまくいかない。むろん倹約・勤勉・節制を美徳とする体質があって、生活改善も激しい抵抗に遭うとことはなく、ある程度までは承認される。しかしつきあい方を変えるという段階にまでくると、生活改善は受け入れられない。
 本来これらの運動は農民の主体性に基づくことを建前としているのだから「承認する」「受け入れる」といった発想自体おかしいのであるが、村で話を聞いてみると「生活改善は役場の仕事」といった認識はごく普通のようだ。つまり生活改善の運動も農民の内発
的な自己規律を喚起するには至らず、上からの〈倹約〉といった感じで受け取られているのだろう。この辺が表面的には同じ勤倹力行・刻苦勉励の自己規律でも、神の前でいわば内発的に自己の行動や思考を律するプロテスタンティズムの〈禁欲〉と、上からの号令や人間関係で自己を律する〈倹約〉との違いなのかもしれない。
 上からの〈倹約〉という意識がある限り、また戦前の経済更生運動で生活改善についての苦い経験があればより一層、本来の意味での自己規律を可能にするような生活改善の運動は難しい。豊かさを目指して始まった〈倹約〉も、少し生活が豊かになったり、実際そうでなくても「一億総中流」の豊かさの幻想の中で、商業ジャーナリズムの喧騒にさらされると、その存在意義は急速に色あせてしまう。「鉄鎖以外失うべきものを持たない」とくれば「獲得するものは世界である」という、かの勇ましい宣言になるのであるが、なまじ失うものがあったりすると保身的になりやすい。我々の健全なる自己規律の敵は、まさに我々の「豊かさ」だったりするのかもしれない。

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