14歳の地図

→1997年に「Starting Over」が出された時からファンになりました。ファンクラブやメーリングリストに入会し、東京ドームのライブにも行きました。この文書はこの年の秋にSPEED-MLにアップしたメール「14歳の地図」を『祈月書院報』(1998年)用に若干加筆して「十四歳の心象風景」として発表したものです。MLではほとんど相手にされませんでしたが、何人かの方とはオフでも情報交換しました。以前のホームページでは、「好き好き大好きSPEED」というタイトルを付けていたせいか、大ひんしゅくをかったエッセーでもあります。
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はじめに
 昨年、「現代宗教に関する話題を」ということで秋期研修会で話をさせていただき、その内容は拙稿「現代世界の宗教」(井上順孝他編『宗教学を学ぶ』有斐閣)や「『悟り』と『解脱』を求める若者たち」(大正大学編『仏教の人間学』?、みち書房)として発表した。従ってここでは現代宗教論にはあえて触れず、研修会で筆者に課せられた宿題をいくつか新しい題材を用いて説明してみたい。それは一言で述べると現代青年の心象風景とでもいうべきもので、研修会で筆者はサブカルチャーを用いて、それを説明しようと試みたと記憶している。そしてここでは今年になって世間の耳目を集めた十四歳の少女・少年たちにスポットを当てて、再びこれを論じてみたい。
平均年齢十四歳の少女たち
  欲しいものは いつでもあふれているから
  立ち止まってる 暇はないよね
  刺激がもっと欲しい
一九九六年八月にリリースされたデビューCD「BODY&SOUL」で、ダンスヴォーカルユニットのスピードは、こう歌い始める。スピードは沖縄出身の平均年齢約十四歳の少女四人からなり、彼女たちのセカンドシングル「STEADY」やファーストアルバム「Starting Over」はいずれもミリオンセラーとなっている。今年の夏、初めての単独ライヴを行い、警視庁の「秋の全国交通安全週間」のポスターも記憶に新しい。
スピードは同世代の絶大な人気を集めている。その理由の一つはスピードの歌が、よくある恋愛や友情のみにとどまっていないことであろう。例えば冒頭のフレーズは高度消費社会のからくり―それはあふれるモノによって掻き立てられ増大する欲望と苦悩―を見事に衝いている。「BODY&SOUL」に限らず、スピードの歌には現代社会が醸しだす期待感と焦燥感の交錯がうまくアレンジされている。歌詞は作曲も手がける伊秩弘将氏によるもので、これを中学生に歌わせるというコンセプトには敬服せざるをえない。
従って「作られたアイドル」をもってその世代を論じることは意味のないことかもしれない。しかしスピードの曲を、例えばMAXのような他のグループが歌ってもサマにならないのは、日本テレビ系「THE今夜もヒッパレ」(独自の邦楽ベスト10を出演者が自分の持ち歌以外を歌うところが特徴の番組)などを見れば明らかだろう。伊秩氏の歌詞はスピードというユニットを得て初めて輝きだす。つまり重要なことはスピードという十四歳特有の〈からだと心〉の変化やアンバランスが生み出すであろう妙にピュアで、それでいて舌足らずローティーンの少女たちのヴォーカルとダンスによって体現されている十四歳の心象風景を描き出すことであろう。
標準化された世界の苦しみ
このことはサードシングル「Go! Go! Heaven」でかなり明白になってくる。
  矛盾だらけの世の中じゃ
  いいも悪いも興味がないよね
  Go! Go! Heaven抱えきれないMy Soul
  何が一番大切か
  今はわからないまま 踊り続けてる
偏差値教育や金儲け主義を批判しながらも、わが子の受験や利殖には奔走する大人たち。そんな「矛盾だらけの世の中」なんか興味がないと笑い飛ばす彼女たちの表情は底抜けに明るい。確かに高度に「豊かさ」と「自由」が達成され、私たちはモノだけでなく気の遠くなるような情報や価値観に満たされている。だがデータに埋もれて「何が一番大切か」、「いい」「悪い」の指針をどれだけの人が示せるというのだ。基本的には「なんでもあり」の価値相対主義、つまり人に迷惑をかけなければ何をしてもいい風潮の蔓延である。
「豊かさ」と「自由」の代償に得た、どこまでものっぺりと標準化された社会は、常に焦燥感をもたらしてやまない。この居心地の悪さはマニアックな人気を博したアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公碇シンジの次の言葉に如実に示されている。彼もまたどこにも居場所を見つけられず、「夢とか希望のことも考えたことがない。14歳の今まで、なるようになってきたし、これからもそうだろう。だから何かの事故かなんかで死んでしまっても、別にかまわないと思ってた」と独白するのだ。
閉塞感からの突破
こうした閉塞感からの突破をスピードは「踊り続けてる」ことで成し遂げようとする。ビデオクリップで見せる激しいはダンスは日常性からの突破を目指し、激しくせつない。そして「Go! Go! Heaven」の最後はこう締めくくられる。
  歪んだこの世界から
  抜け出していつか たどりつきたいよ
  Go! Go! Heaven
  この闇を突き抜け
  私たちだけの天国へ
  嘘も汚れもない空を見つけに行こう
ピュアで透明な世界。しかしここでは「人類」とか「国家」という共同性は拒絶され、「私たちだけの天国」のみが希求されている。先鋭化したピュアな世界への憧れが叫びにも近い高音で緊張感を増す。こうした志向性は、妄想の中で友と「透明な存在」同士の密約を交わした、あの「酒鬼薔薇聖斗」を、ふと連想させる。彼もまた当時十四歳であった。
「いいも悪いも」その基準を失ってしまった現代における居心地の悪さと、そこからの突破。スピードに体現されている、この志向性を碇シンジも酒鬼薔薇聖斗も、そして多くの「十四歳」が、いま共有しいているに違いない。

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