吉本隆明とオウム真理教

→1995年8月に吉本氏をインタビューし、その内容が産経新聞に連載されました。1回目から産経新聞社に抗議の電話が鳴り続けたと言い、我が家にも無言電話などがきました。連載後に書いた所感「吉本隆明氏の麻原被告評価―大衆感覚からの遊離明白/理念的克服が課題に」(『産経新聞』(夕)1995年9月15日)がこれです。しかし、この文書も批判の対象となりました。その経緯はここでは触れませんが、関心のある方は小浜逸郎『現代思想の困った人たち』をご覧ください。
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 吉本隆明氏のインタビューは八月二一日、東京本駒込の吉本氏宅で四時間にわたって行われた。内容は、全ては紹介できなかったが、皇国少年だった頃や六〇年安保闘争の思い出から今年の阪神大震災まで及び、吉本氏がオウム真理教事件を契機に戦後五〇年、そして自身を語るという内容になった。そのなかで、今回のインタビューの一番の目的は吉本氏がなぜ麻原彰晃をここまで高く評価するのか、その真意を問うことであった。
 「麻原さんを重く評価する」という吉本氏の主張は、多分世人には納得いくものではなく、否、それ以上に大きな反発を招いたことも想像に難くない。この「重く評価」の「重く」には、価値相対主義のニヒリズムを克服して、新たな文化創造を目指したとされる麻原を評価する一方で、社会に対して牙を剥いた犯罪性を厳しく弾劾せざるをえないという二重性を孕んでいた。この二重性に引き裂かれているのが今の吉本氏の状況であり、また既成の社会の抜本的な変革を目指そうとするするときに必然的におきる大きな矛盾でもあるのだ。
 紙面には載せられなかったが、吉本氏は麻原を認める一方で、こんな程度ではまだまだこの社会は突き崩せやしないと語った。そして吉本氏自身、麻原に思想的に打ち克ち、別のやり方で新たな価値を築いていく自負をも示していた。それがインタビュー最後の「負けられないぜ」の一言に込められていたのである。だが、吉本氏の麻原との対決は理念の中でのみ成就するものであろう。そして現在の緊迫した状況下で、それは生活者の感覚には現実性を欠いた、換言すれば吉本氏がいう「大衆の原像」から遊離した議論に映るに違いない。麻原の宗教性を評価するにしても、少なくとも彼が根底に有している出家エリート主義や、信者の求道心を自らの憎悪むきだしの攻撃性に染め替えた宗教指導者としての未熟さをも指摘しなければならない。
 いずれにせよ司法とは別次元で麻原の思想的陥穽を明らかにし、これを乗り越えていく作業が必要である。インタビューでも指摘した通り、筆者は一九八八年にオウム真理教に接触したことがあるが、初期の教団は極めて疑似家族的性格が強かった。しかしこれが疑似国家を志向したとき、オウムの悲惨は生じた。吉本流にいえば対幻想から共同幻想への飛躍であり、そこでの個人の同調・抑圧の問題である。こうした幻想性の肥大化が、戦前の家族国家観や八紘一宇の精神、さらにそれこそオウム真理教が擬せられるところの連合赤軍の悲惨にも通底していることは明らかであり、わが国における共同性の在り方を問ううえで、この問題は避けて通ることはできない。そしてこうした問題こそ、吉本氏が永年取り組んできた『共同幻想論』をはじめとする原理論に他ならないのである。
 現在進行中の裁判で、麻原の思想の全貌やオウム真理教が目指そうとしたことが徐々に解明し始めた。だが、何らかの判決が下ることはこの問題の解決の一つでしかなく、オウム真理教を生みだした社会的・宗教史的背景の解明の問題や、さらには麻原を理念的に乗り越えていくという思想的課題が、依然として我々の前に重く横たわっているのである。

2 comments

  1. ブログってどこが人気なんですか?

  2. 料理好きのためのブログです。

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