オウム研究の現状と課題

→1996年の日本宗教学会の学術大会の模様を中心に、オウム研究の現状を『読売新聞』(1996年10月23日)に書きました。大会当日は台風に見舞われ、会場の國學院大学に缶詰になりましたっけ。
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 九月二十一日、二十二日、オウム真理教の阿佐ヶ谷道場において、出家信者と彼らに面会を求める家族との話し合いの場が教団によって設定された。多くの信者が脱会する中、いまさらという気もするが、家族の間に鋭い剣を投げ込んできたオウムが、このような場を制度として設けたのは、この教団のある種の変容として注目できよう。両日は台風の影響もあってか予定より少ない約二十組の家族の面談があったという。そして奇しくも同じ日、東京渋谷の国学院大学で宗教研究に携わる者にとって国内最大の大会である日本宗教学会第五五回学術大会が開催された。以下に、オウムとこれと関わる研究の現状と課題について報告していく。
 大会では全部で三百近い発表のうち、直接、オウムに関する発表は筆者も含めて四本であった。内容は実際にオウムの地方道場で参与観察を続けながら、こうした内閉的な教団への宗教研究者の関与の可能性と限界を論じたもの、オウムの文献や信者のインタビューを通して教団の変容、信者の志向性、教祖と信者との関係を論じたものであった。発表者はいずれも二十歳代後半から三十歳代前半で、いわゆる「オウム世代」にあたる。六月に愛知学院大学で開催された「宗教と社会」学会第四回学術大会で「『宗教』としてのオウム真理教」というワークショップを企画・主催したメンバーの多くも、やはりこの世代である。ちょうど全共闘世代が連合赤軍事件に深く洞察を凝らしてきたのと同じように、この世代にとってオウムは決して他人事とは思えないのである。
 ところで発表では「なぜサリンをまいたのか」「なぜ若者がオウムに入信したのか」という、ジャーナリズムが繰り返し取り上げてきた問題関心は意識的に抑制され、これまで培われてきた新宗教や現代宗教への研究の蓄積をいかした基礎研究という傾向で共通していた。オウムの犯罪性やインチキ性の追及に懸命になっていた、大方のジャーナリズムからすれば、こうした基礎研究は物足りなく歯がゆく映るかもしれない。だが、重要なことは迂回するように見えても、基本情報の集積とそれ基づく精緻な分析である。そしてこのことは何もアカデミズムに限ったことではなく、ジャーナリズムにも基本的に求められるものであリ、実際、「もうオウムは終った」という風潮の中で、優れた取材・報道も少なからず続けられている。もちろん、これまでの宗教研究の枠組だけでオウムはとらえられず、オウムと格闘する中で宗教研究の新たな可能性が拓り開けると筆者は考えている。
 確かに大会でのオウム関連の発表の数は、ひと頃、一億総オウム・ウオッチャーといわれた状況から見ると決して多くはない。しかし大会では直接オウムには触れずとも、宗教の暴力性や原理主義の問題、霊感商法で告発されている教団の事例、オウムの背景とも指摘されるニューエイジ運動に関する発表が目についた。こうした現在進行中の宗教運動に関する研究の成果は、これまで学会で発表される機会はそう多くはなかった。その意味でこうした研究動向はオウムの一連の事件に触発され、連動していると見てよいだろう。
 一方、海外でもオウムをはじめとする日本の新宗教あるいは現代宗教の研究が始められている。すでに昨年フィラデルフィアで開催されたアメリカ宗教学会ではオウムの分科会があったし、ロンドン大学のキングス・カレッジでは日本の新宗教研究プロジェクトが数年前から始まっている。また、この夏、筆者が出会った韓国精神文化研究所の助教授も日本研究者のオウムとの関わりに興味を持ち研究を開始したと語っていた。
 報道によれば、先月からオウムの支部・道場からの撤退と破産管財人への明け渡しが本格化しているという。表向きはそうかもしれないが、実際は一筋縄にはいかないようだ。いくつかの支部に問い合わせればわかることだが、かつてのサティアンショップのような「営業」はしていないものの、教団活動は持続されており、電話の向こうで「来てくださいね。待ってますよ」と女性の声がはずむ。裁判で次々と明らかになる教団の犯罪を彼女たちはどう見ているのだろうか。一部の信者の犯罪と自分の信仰は別と考えているのだろうか。また教団広報によれば、信者同志でアパートなどで共同生活を営んでいるばあいも少なくなく、中には教団でさえ把握していないケースもあるらしい。教団が解体に向かうとともに、オウム流の「信仰」の一層の硬直化や活動の潜伏化といった状況に拍車がかかることが社会的に懸念されるだろう。 もっとも、これを「マインドコントロールされている」とか「カルトの仕業」と説明するのは簡単であるが、ではそれは「熱心な信仰」や、そもそも「宗教」とどう異なるのか。こうした概念の再検討は、研究者が調査対象である教団とどう距離をとるかの問題などとならんで、今後の宗教研究の大きな課題である。またオウムと同様の内閉的な教団の登場が先進諸国で共通して見られる中、その国際比較も必要であり、研究チームもできている。この他、オウムの問題は教育やマスメディア等の分野に波紋を投げかけ、そして家族や地域社会のあり方をも問い直すきっかけとなった。十一月に開催される日本社会学会の学術大会では「科学技術と宗教」のテーマで科学技術論の立場からオウムに関する発表がなされるなど、今後はより学際的なアプローチが志向されよう。

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