僕の卒論提出(1)担当とテーマ決定

卒論提出シーズンである。今年は20名を超える大所帯で、この時期、大学にいる時間のうち、かなりの時間を卒論指導(というか、どう体裁を整えるかの工夫)に費やす。ふと自分の時はどうだったんだろうと思い返してみた。
僕が学部を過ごした大学は典型的なマスプロ大学。一学年100名定員の学科に専任教員は6名。今いる学科と比べると専任教員一人あたりの学生数は、ざっと倍である。卒論担当教員の決め方も「自分の好きな教員に相談して、教員がオッケーといったら交渉成立」みたいな感じだった。僕は他学科の非常勤の先生(近世日本宗教史の大御所)に卒論指導をお願いした。そんなことがまかり通る、よい大学というか、よい時代だった。
先生は指導を引き受ける際に、計画書のようなものを持ってくること、草稿を夏休み明けに提出することを伝えられ、こう付け加えられた。
「夏休み明けに目鼻がたっていないような卒論は、だいたい読む価値がない」
次の週に計画書を持参すると、さっと目を通されて、「こんな概論をなぞっただけで核のないもんじゃ、どうしようもない」というようなことを言われた。僕としては原稿用紙で20枚の立派なもの、しかも欧米の世俗化理論と日本民俗学のイエ概念を架橋するという野心的な計画書を書いたつもりでいたが、出鼻をくじかれた。先生は鞄の中から、『日本宗教史研究年報』を取り出され、そこに掲載されていた金光教の教学論集の総目次を示された。
たぶん、先生は、一例であげられたのか、教学論集の中の実証的な研究を範にせよ言われたかったのかもしれないが、それが、僕が金光教と天理教の世界観の比較を卒論で行おうと決めた瞬間でもあった。

One comment

  1. 最高に楽しい時間でした

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*