僕の卒論提出(2)卒論指導

いわゆる卒論指導は、ほとんどなかった。「夏休み明けに草稿提出」というプレッシャーはあったが、案の定、夏休み明けに草稿はできあがらなかった。所属していた大学では懸賞論文制度や学科の学生論文集があって、その締切りが10月で、自分の中で、「夏休み明け」を勝手に「10月」と解釈し直していた。
どうにかこうにか懸賞論文の締切りに草稿ができあがり、まずは懸賞論文に提出。原稿用紙で60枚ほどで、自分としては、かなりいいせんいっていると思った。国会図書館で先行文献にあたり、金光教や天理教にも足を運び、教団資料をコピーさせていただいたりいした。だから自信をもって、そのままコピーし、先生の研究室に郵送した。
当時、大学では学費値上げ阻止闘争が闘われていた。ハンガーストライキの泊まり込みが学友数名で展開されていて、僕のクラスの学生2名がハンスト中だった。草稿を郵送後、ハンストの激励に行き、30時間ほど寝ていなかったせいか、ハンストのテントの中で眠りこけてしまった。ウトウトとするうちに「おれたちゃ、ハンストなのに、お前は卒論かよ」みたいなことが聞こえてきたが、そのまま眠りについた。
翌週、先生の研究室にお邪魔した。教団資料だけで書いた草稿に、先生はいたく不満だったようだ。何点か近世文書の史料を教えていただいたが、僕には十分に理解できず、不案内な他大学のキャンパスということも手伝って、寂しく家路についたのを覚えている。

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