癒しを求める自分探し世代の行方

→1996年にフィリ・プロジェクツ主催のフィリ・フェスティバルが開催されました。その時の取材を『新宗教新聞』(1996年4月25日)に書きました。批判的な内容になっていますが、企画自体は日本のニューエイジ・シーンに特筆されるものであったと考えています。


 日本初!「癒し」と「自分探し」の一大見本市―こう銘打ったフィリ・フェスティバル96が盛況のうちに幕を閉じた。筆者が二日間参加した限り、このニューエイジと精神世界の祭典は、この分野での日本での到達点を示すものといえ、また三日間でのべ八千人弱という主催者発表の参加者数も十分にうなずける数字であったかと思う。
 こうした動向は一九六〇年代後半にアメリカで始まり、日本では一九七〇年代には一部の若者の間では知られていた。その後、特に一九八六年のシャーリー・マクレーン『アウト・オウ・ア・リム』の翻訳と、そこで紹介されたチャネリングの普及が、この傾向に拍車をかけるきっけとなった。その意味で、このフェスティバルは八〇年代後半に自己啓発セミナー、占い、各種女性誌にみられた「自分探し」ブームから、ここ数年、時代のキーワードになってきた「癒し」のブームまでの十年間の総決算ともいえよう。
 だが、こうした風潮を「新たな世紀」の到来と手放しで喜ぶほど、私たちは楽観的ではなくなっている。というのも、このような動向から社会に牙を剥き、人の生命をも脅かす危険性が生じることも私たちはすでに知っているからだ。二〇歳代後半から三〇歳代前半という、今回のフェスティバル参加者と世代的にちょうど重なるオウム真理教の信者の多くも、同じように「自分探し」や「癒し」を神秘体験に求め、「新たな世紀」を待望していた。筆者はオウム真理教に青年層が魅せられたのも、ニューエイジや精神世界の台頭も同じ背景を有していると考えている。そこには個人主義のラディカルな進行と、それにともなうコミュニケーション不全や自己喪失を何とか回復しようとする若者の姿がある。だが、本来、他者との有機的な関係によって形成される「自分らしさ」を見つけることができず、癒しを求める自分探しの世代の焦燥感やいらだちも、そこには見え隠れしている。
 もちろん、今回のフェスティバルがオウムと同じといっているのではない。ただ、晴海の東京国際見本市会場の巨大なスペースを何十ものブースで仕切り、閉ざされた空間のなかで追求される「自分探し」や「癒し」で彼らは本当にそれを見つけたのだろうか。そして、オウム真理教のような、社会から遮断されたところでの「自分探し」や「癒し」が、結局は「自分だけが心地好ければいい」という利己主義の独善性に陥った、その同じ落とし穴がニューエイジや精神世界の荒野にも潜んでいるように思うのは筆者だけだろうか。

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