シンポジウムで司会

大正大学80周年創立記念国際学術シンポジウム「「いのちと宗教」の教育を考える」のSESSION1「「いのちの教育」とスピリチュアリティ」で司会とコメンテータをつとめる。流れはこんな感じ。
10:00−10:10学長挨拶(大正大学学長 星野英紀)
10:10−11:20問題提起とプレゼンテーション
11:20−12:30ディスカッション
・岩田文昭 (大阪教育大学教授)教員養成におけるいのち教育
・近藤卓(東海大学教授)基本的自尊感情といのちの教育
・Carl Becker(京都大学教授)いのち教育と日本的スピリチュアリティ
発題も議論も興味深く、朝からの企画にしては、80名を超える聴衆で大いに盛り上がった。「いのち」という人間にとっての価値、人生の意味を教育の現場でどう伝えるか、伝える教師をどう育成するか、わが国の教育の重要な論点のひとつに迫ったという自負がある。
また本学のような建学の精神に宗教的理念を掲げる大学における宗教者養成を含む教育ともダイレクトに関わりを持つテーマだ。本学の仏教関係者にはもっと来てほしかったとも思う。
発題の先生には本当に感謝。今後、スピリチュアリティを研究する戦略上のヒントや教育・研究のうえで大きな示唆をいただく。24日は近藤先生が会長をつとめる子どもといのちの教育研究会の研究大会。再会の約束をかわす。
以下が僕の問題提起の原稿。
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 2006年の「今年の漢字」((財)日本漢字能力検定協会主催で全国公募による一年の世相漢字)は「命」であった。皇室における親王の誕生、いじめによる子供の自殺をはじめ、自殺の多発、虐待・飲酒運転による事故等の痛ましい事件や事故、北朝鮮での核実験など、「いのち」に思いを馳せたり不安を覚えたりする一年であったこと、そして一つしかない「いのち」の重み、大切さを痛感した年であったことが、その理由だという。
 世相のみならず教育にとっても「いのち」が重要なキーワードであることは言うまでもない。昨年末の教育基本法の改正では第二条に教育の目標の一つとして「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと」が新たに明記された。考えてみると、この10年、教育界では「いのち」をめぐって議論が続いた。「子供に[生きる力]と[ゆとり]を」を掲げた「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」(中央教育審議会第一次答申、1996年7月19日)では、これからの学校教育で育成すべき資質・能力の一つとして「他人を思いやる心、生命や人権を尊重する心、自然や美しいものに感動する心、正義感、公徳心、ボランティア精神、郷土や国を愛する心、世界の平和、国際親善に努める心など豊かな人間性」があげられ、その後も、中教審では「新しい時代を拓く心を育てるために―次世代を育てる心を失う危機―」(1998年6月30日答申)などで、「生きる力」の核となる豊かな人間性として「生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理観」をあげてきた。
 昔日の社会では自明のものとされてきた「いのち」の大切さを、ことさらに叫ばねばならない教育界の背景には、学校・家庭・地域における教育の立ちゆかなさ―いじめ、自殺、家族の機能不全、少年犯罪の凶悪化、モラル低下などが、そして子どもたちの「いのち」に対する感覚や意識の低下が、私たちの社会と未来を根底から揺るがしつつあるという危機感がある。上記のように中教審が「いのち」の文言を検討している最中の1997年夏、あるニュース番組で高校生が発した問いをきっかけに、「なぜ人を殺してはいけないか」という雑誌・新聞の特集や書籍の刊行が相次いだが、私たちは有効な答えを見出せないまま21世紀を迎えた。
 「いのち」について、何をどう教えればよいのだろう。多くの場面で模索が続いている。2002年度から文部科学省によって全国の小・中学校で一斉に配布された「心のノート」はその一つの答えであるとみてよい。児童生徒同士や家族との語らいを念頭においた、このワークブックでは、把捉しづらい「いのち」に対して(1)生命は自分のものであるが、それは与えられたという意味で、自分のものだけではないという「与えられたいのち」観、(2)人間の生命は宇宙や自然や人間を超えた「大いなるもの」と通じ合うという「通じ合ういのち」観、(3)そこでの「いのち」は、輝かせることが使命・目的とされる「輝くいのち」観という枠組みを与えている。また文科省は2005・06年度に児童生徒の心に響く道徳教育推進事業として「命を大切にする心をはぐくむ教育の推進に関する研究」を43都道府県で92の保育園と小中高等学校で実施し、目下、全国各地で最終年度末の研究発表会が展開されている。
 「いのち」をどう伝えるかについては、学校だけでなく、市民団体・学術団体・宗教団体などで探求が続けてられている。デス・エデュケーション、ホリスティック教育、オルタナティブ教育など、さまざまな立場や潮流があるが、「いのち」の価値を伝え共有する教育的な試みを「いのちの教育」という言葉に集約していいだろう。教育だけなく、医療や看護や福祉の現場でも、生命倫理の議論やQOLの取り組みが示すように、「いのち」の問題は重要である。さらに「いのち」の問題は、本来、宗教が大きく関わってきた。神道が示す生命観や仏教の死生観は、今も日本人の「いのち」観を規定している。しかし公教育の現場では、こうした宗教伝統が有する「いのち」に対する感覚や観念が十分に伝えられないジレンマもある。もっとも医療・看護の現場では個別の宗教伝統と一定の距離をとった宗教的なケアのあり方がスピリチュアルケアとして定着し、従事者の教育体制も整いつつある。スピリチュアリティとは目に見ないつながりや自己を超えた存在との関わりを示す語で、教育と宗教の連携の可能性を考えるうえでも示唆的であるかもしれない。
 本シンポジウムは以上のような問題関心から「いのち」「教育」「スピリチュアリティ」の関わりを考えるものである。発題者の岩田文昭先生はデス・エデュケーションの日本版である「いのち教育」を実践しながら、その可能性と意義を研究されている。近藤卓先生は子どもといのちの教育研究会会長として長年にわたり「いのちの教育」の実践と研究に従事されている。カール・ベッカー先生はスピリチュアルケアの研究と従事者育成にあたられている。
 大正大学は天台宗、真言宗豊山派・智山派、浄土宗の設立になる宗門大学であり、仏性を開顕して人格を完成することを建学の精神に掲げてきた。このシンポジウム「「いのちの教育」とスピリチュアリティ」は、こうした本学の今後の教育理念の実践を指し示す意味でも極めて重要な企画になると確信している。

One comment

  1. 幼児プレイ より:

    毎日ブログみても大丈夫ですか?

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