よくわかる新宗教

→1995年から1996年にかけて『産経新聞』宗教欄で「よくわかるシリーズ」が連載。私は新宗教部門を担当しました。
——————–


第一回/璽光尊事件の不幸な幕開け
 ここに一葉の写真がある。昭和二十二年早春、雪の金沢。そこには六十九連勝記録をもつ元横綱双葉山、そして囲碁の天才呉清源らが写っている。手を合わせ、体を揺らし、深刻な面持ちのなかにもほのかな期待の笑みがうかがえる。ある程度の年代の方ならすぐわかるはずである。
 璽光尊事件――それは敗戦まもない頃、神示に基づき、女性教祖の璽光尊率いる教団・璽宇が世直しを掲げて独自の内閣構想を打ち出し、「元号」を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてマッカーサーに自らの「皇居参内」を命じ、やがて金沢に「遷都」し、そこで県警を相手に大立回りを演じた事件である。彼女は金沢で天変地異の預言を喧伝して私造紙幣を発行し、人々に少なからぬ影響を与えていた。そして数十名の警察隊による急襲と乱闘の末、璽光尊をはじめとする教団幹部は身柄を拘束された。璽光尊は精神鑑定により誇大妄想症と診断され釈放。双葉山、続いて呉清源は教団を去った。対馬路人関西学院大学教授は、大がかりな取締りのわりには事件が急速に収拾した背景には、検挙を急ぐ警察、宗教弾圧という形を避けるよう介入・指導したGHQ、双葉山奪還を目指すグループの思惑が複雑に錯綜していると指摘する。だが、いずれにせよ事件の一連の過程で、マスコミによる「璽光尊=狂人「璽宇=邪教」観が世に知れ渡り、この教団は各地を転々とし、今でも現存するものの社会的には葬り去られたといってよいだろう。
 そして、これは璽宇だけの問題でなかった。この事件の翌年に天照皇大神宮教の北村さよが「踊る神さま」として世間の耳目を集めた。彼女が求めた、荒廃した人心の浄化のメッセージは取りあげられることなく、ただ歌説法というユニークな布教方法のみが興味本位で報道されていった。この北村さよ、そして手かざしの浄霊やMOAブランドで知られる世界救世教の岡田茂吉もやはりマスコミに「第二の璽光尊」と呼ばれた。璽宇に代表されるファナティックな信仰、世間を騒がせる厄介者のイメージは、ある意味で新宗教全体のレッテルとなったといってよい。むろん、これは戦前からの新宗教に対する猛烈な批判キャンペーンの連続ともとらえられるわけだが、少なくとも戦後の新宗教のイメージは、璽光尊から始まった。そしてこの新宗教観は今も変わっていない。いや、璽宇と同じように独自の省庁制や終末預言を特徴とするオウム真理教や霊感・霊視商法のの事件もあって、むしろ強まっているともいえよう。
 ――この連載では、日本近代の幕開けから現代に至るまでの新宗教の歴史を今の現状と重ねつつ、わかりやすく解説するものである。そうすることによってオウム真理教という一見特殊に見える教団の登場も、新宗教の流れのなかに位置づけられ、冷静にとらえかえすこともできるのではないだろうかと思う。
第二回/新宗教の源流
 前回、戦後の新宗教には熱狂的な信仰や厄介者のイメージが常につきまとっていると述べた。特に「新興宗教」という言葉には、正統ではない、危ないといった侮蔑的な響きさえある。だが、新宗教といっても必ずしも「新」の要素だけではない。新宗教の歴史を注意深くみてると、意外に古い伝統や庶民性に根ざしていることがわかる。
 例えば実行教・丸山教・扶桑教といった教団は富士山への信仰を要とし、教団組織は明治に入ってからだが、その信仰は江戸時代中頃までさかのぼることができる。当時は実際に富士山への登拝はできなくても、富士山を模した塚への礼拝やお籠りがリクリエーションとして盛んに行われていた。御嶽教も木曽御嶽山信仰を基盤としており、山岳宗教から発生した新宗教は少なくない。
 江戸時代末期に創唱された黒住教・天理教・金光教は、教祖の教えの独自性が核となっているが、その背景に庶民信仰との影響関係をみることもできる。黒住宗忠は伊勢参りに熱心だったし、中山みきや金光大神はそれぞれ山伏行者や石鎚信仰の先達との交流のなかから自ら啓示を受けるようになっている。教団側では教祖の独自性や革新性を強調するばあいが多いが、いずれにせよ、当時の庶民信仰の要素を無視しては教祖の教えは理解できない。
 こう考えると、新宗教、特に「第一次宗教ブーム」と呼ばれた幕末維新期の新宗教は、ある日突然新たな装いで現れたのではなく、こうしたごく普通の庶民の宗教的世界から生れ、組織化されたという見方もできる。教祖も宗教的なエリートではないし、信者もごく普通の人々が中心であった。その意味でこれらの教団に対して新宗教という呼称を用いず、むしろ民衆宗教という用語を好んで使う研究者もいる。教祖にせよ、信者にせよ、自分たちが何か特別なことをしているという意識はどれほどあったのだろうか。むしろ私たちが考えるより、ごく普通の生活感覚で信仰に関わっていたのではないかと想像するが、これなどは新宗教の 「新」とは何かを問い直すこととともに、新宗教研究の今後の課題といえよう。
第三回/国家と新宗教との対決
 前回述べた幕末維新期、つまり第一次宗教ブームの教団が社会にそれなりに定着し始めた明治末から昭和初年。再び第二次宗教ブームともいうべき活発な新宗教の活動が見られる。これには教団の性格からいって三つくらの特徴が指摘できる。
 まず第一に明治後期に生まれて大正期に拡大した大本と太霊道(たいれいどう)。この二教団は霊の操作による病気治しや社会への働きかけで注目を集めた。第二にこの大本と天理教の分派であるほんみち。これらは強い終末預言を唱えて世間の耳目を集め、大本は大正十年と昭和十年に、ほんみちは昭和三年と十三年に大規模な取締りを受けている。第三に昭和初年のひとのみち教団(現PL教団)と霊友会の大都市における発展があげられる。ひとのみち教団も昭和十一年に取締りを受けている。
 第二次宗教ブームは西欧列強の仲間入りを果した日本が、太平洋戦争に突入しようとした時期でもある。現人神(あらひとがみ)天皇をいただく日本は極めて神権的国家の色彩が強く、旧憲法では「信教の自由」が認められていながらも、国家の論理と合い容れない性格や権威体系を有する教団は、不敬罪や治安維持法を中心に徹底的に取締られた。事実、新宗教のなかには天皇の権威や国家体制を否定する教義を掲げた教団もあったが、内務省のマル秘資料などをみると、宗教者一般の言動が厳しい監視や干渉の対象となっていたのがわかる。こうしてキリスト教や仏教の新興勢力もやはり打撃を加えられた。
 昨年の宗教法人法改正やオウム真理教に対する破防法適応の議論の際に、国家による宗教団体の過度な統制の懸念が宗教界から出されたのは、このような「宗教弾圧」の苦い思い出に起因している。先の教団は太霊道以外はいずれも現在では数十万から数百万信者を誇る大所帯となっている。だが、その草創期は、決して楽なものではなく、この時期は他にも辛酸をなめた教団は多い。教団の中には崩壊したものもあれば、幹部が獄死しているばあいもある。新宗教が再び活発に運動を展開するようになるのは戦争の終結をまたねばならなかった。(12文字×73行)
第四回/都市のなかで
 敗戦は日本にとって大きな打撃であったが、同時にこれは、それまで取締当局の監視と干渉のもとで活動がままならなかった新宗教教団が、満を持して布教に乗り出す好機でもあった。特に、昭和二〇年代、三〇年代には、現在、大教団と呼ばれる教団が急成長を遂げた。
 敗戦直後には、この連載の最初にも述べた璽宇(じう)や天照皇大神宮教が登場するが、そのあとに霊友会、PL教団、生長の家、世界救世教、立正佼成会、創価学会といった教団が続いた。もっともこれらの教団はその起源を戦前に求めることができるが、大きく成長するのは主に戦後である。
 例えば、立正佼成会は主婦層、中小経営者・労働者層を中心に祖先崇拝の実践と「法座」と呼ばれる信仰体験にそくした語り合いの小グループの魅力で進出した。創価学会も家庭集会である「座談会」と折伏(しゃくぶく)という積極的かつ多角的な布教展開で、やはり中小経営者・労働者層に強くアピールした。いずれも法華経を基盤に、貧しさ、病気、家庭不和などの解決といった現世利益(げんぜりやく)を力強く約束して都市部で教勢を伸ばした。
 前回触れたように、霊友会と、戦前はひとのみち教団といったPL教団は、昭和初年に都市部でかなりの信者を集めていた。霊友会は東京でひとのみち教団は大阪で庶民層を中心に現世利益を掲げた布教を成功させていたのである。
 この時期の特徴はやはり都市での運動展開であろう。農村から出てきて都会のかたすみでひっそりと暮らしている、どちらかという豊かではない人々に、こうした教団は個人と家庭の幸せを説いて、彼らの心をとらえた。この時期、第三次宗教ブームの都市での展開は、第一次宗教ブームの教団が農村から始まり、いわば 「村落宗教」の様相さえ呈していたのとも異なるし、天下国家を論じた大本やほんみちとも区別される。
 むろん、こうした新宗教の活動が、日本の敗戦から朝鮮戦争特需をばねに、そして高度経済成長下で進行した都市化と核家族化の流れに照応しているのはいうまでもない。
第五回/社会を写す鏡
 昭和二十年代から三十年代にかけて、霊友会、パーフェクト・リバティ教団、生長の家、世界救世教、立正佼成会、創価学会といった教団が躍進を遂げたことは前回述べた。社会学者の調査によれば、昭和二十年代前半の東京の立正佼成会では、入信理由は病気四八%、貧困一八%、家庭不和一八%。また、昭和三十七年の福岡市の創価学会員では、病気二八%、人に言われて二五%、家族関係一六%、お金一三%となっている。新宗教の入信理由は貧・病・争(人間関係)といわれ、これは当時のまだ貧しかったころの日本の社会状況を反映していた。
 しかし、高度経済成長によって日本が曲がりなりも「豊かな社会」を実現したとき、貧・病・争の解決を掲げて活動をしてきた新宗教の存在基盤は危うくなった。事実、先の教団で過去二十年間教勢を伸ばし続けているところは少なく、多くは横ばいか低迷を余儀なくされている。
 こうしたなか、新しいタイプの教団が急成長した。オウム真理教の麻原彰晃が一時期身を置き、「阿含 (あごん)の星祭り」で知られる阿含宗、手がざしの「真光の業」を重んじる崇教真光(すうきょうまひかり)や世界真光文明教団、幸福の科学の大川隆法やSF作家の平井和正らに大きな影響を与えた高橋信次のGLAなどがそうした教団である。これらが昭和四十八年のオイルショック以降教勢を拡大させ、霊現象と秘儀や奇跡を重んじるところから、西山茂東洋大学教授は「霊術系新宗教」と呼んでいる。一般には新新宗教、第四次宗教ブームと呼ばれる教団群である。
 このころはノストラダムスの予言、エクソシスト(悪魔祓い師)、超能力など、科学では理解できないもが話題を集めた時期でもあった。第四次宗教ブームは、こうしたいわばオカルト文化を背景にしているとよく指摘される。確かに、崇教真光の青年信者の入信理由は霊界志向二四%、理由なし二三%、病気二二%、家庭の問題七%、終末観六%の順となっている。ここにもそれまでの新宗教にはない新しさがみられ、新宗教が当時の社会的風潮を写し出す鏡のような存在であることがわかるであろう。
第6回/手かざしの系譜
 これまで新宗教教団の成立に従って四つの宗教ブームをみてきた。新宗教というと一つひとつが独立しているかのような響きがあるが、詳しくみていくと影響関係やがあるばあいが少なくない。
 例えば大本とそこから分派した世界救世教。この二つの教団の影響は新宗教の世界では大きい。街頭でみかける手かざしの教団・神慈秀明会もこの系統である。そもそも大本では御手代 (みてしろ)と呼ばれるしゃもじをかざす病気治しがあった。大本の布教に専念していた、後の世界救世教教祖の岡田茂吉も、大本ででは扇を用いたり、また手をかざして病気治しを行っていた。
 この手かざしの浄霊が世界救世教の拡大の原動力となり、この教団から独立して世界真光文明教団を設立した岡田光玉(かうたま)は手かざしを真光の業と呼んだ。茂吉の死後、世界救世教からは十を越える教団が分派したが、先の神慈秀明会をはじめ、茂吉を明主(めいしゅ)と仰いで浄霊を用いる教団は多い。
 同じように大本も影響を与えた教団は十をくだらない。大本のエリート幹部の浅野和三郎は心霊科学研究会を開き、生長の家の教祖の谷口雅春は大本で編集の仕事に携わり、生長の家からは「世界人類が平和でありますように」の標語が有名な白光真宏会の五井昌久が出ている。
 このように世界救世教系の教団群を含めると、神道を基盤にした霊術の実践や研究など、多くの教団が大本の影響を受けているのがわかる。このことは大本の開祖出口なおや聖師出口王仁三郎の懐の深さや人間としての幅の広さをも反映しているといえよう。
第七回/分派と影響関係―掴みずらいその実態
 新宗教の分派と影響関係には二つのタイプがある。一つは支部や道場などが本部から組織的に分派するタイプ。もう一つは信者や教師が組織から離れて個人的に活動を始め、結果として新たな教団を興すことになるタイプ。前者の典型は霊友会で、ここからは孝道教団、立正佼成会、妙智会、妙道会などが独立している。
 後者としては天理教系の教団があげられる。もちろん天理教にも組織的な分派は希にあるが、基本的には教会が強い親子関係で結ばれ、本部の聖地でしか行われない秘儀もあり、簡単には分派できない仕組みになっている。だが、時として教祖・中山みきの後を継ぐとして天啓者を自称する信者が組織から離れ、そこに人が集まり、新たな教団ができることがある。朝日神社やほんみちはそうした教団であり、また、ほんみちとその系統の天理三輪講 (さんりんこう)、天理神之口明場所(かみのくちあけばしょ)などは、戦前、天皇に代わる天啓者を強く待望したため、いずれも治安維持法違反で関係者が検挙されている。
 戦後、天理神之口明場所からは霊能者を中心とする教団が十以上輩出され、そのなかには芹沢光治良の晩年の小説で重要な役割を果たす、中山みきの言葉を取り次ぐ「川口の伊藤青年」も含まれている。天理教の影響を受けた教団では、みきを教祖と仰いで天理教の用語や儀礼を踏襲することが多く、その意味で前回扱った大本系の特に世界救世教系教団と似ている。
 この他、新宗教のなかではGLA、本門仏立宗(ほんもんぶつりゅうしゅう)、中山身語正宗(しんごしょうしゅう)、祖神道(そしんどう)といった教団の影響が大きくて系統の教団も多い。だが、研究者としては分派や影響関係については話題が微妙なだけに調査もしずらく、関心はあるものの実態がつかみずらいというのが本音である。
第八回/オカルト志向と新宗教
 筆者は昭和三十八年生まれで、大学生の頃は大相撲の当時の新世代が三十八年生れだったことから「サンパチ組み」とか「新人類」のはしりとかと呼ばれ、最近では「オウム世代」といわれる世代に属する。仕事がらオウム真理教の信者に会うことがあるが、確かに彼らと世代的な共通点を感じる。特に男性のばあい、その共通点はオカルト志向と言い表せよう。
 オウム信者が空中浮揚といった超能力やハルマゲドンの到来を信じてきたことが、どうも理解できないという人は多い。だが筆者らの世代では漫画などの若者文化の影響で、超能力やハルマゲドンといったオカルトの世界には小さい頃から慣れ親しんできた。昭和四十年代後半、永井豪「デビルマン」では人類が滅び去る過程と善と悪との最終戦争がモチーフとされ、つのだじろう「恐怖新聞」「うしろの百太郎」では心霊現象がリアルに描かれていた。学校ではこっくりさんが大流行し、テレビではユリ・ゲラーや同年代の少年のスプーン曲げが話題となり、『ノストラダムスの大予言』『日本沈没』の情報も耳には入っていた。
 同時にこの頃はオイルショックによる高度経済成長の破綻で、将来に対する漠然とした不安を感じとっていたし、公害問題等で科学や産業が必ずしも人間を幸福にするとは限らないということも薄々わかりはじめていた。このようななかでオカルトの世界は現実とは別の「もう一つ世界」だったし、筆者のまわりでも、こうした世界があっても不思議ではないという雰囲気があった。
 昭和五十年代になっても、『ムー』『トワイライトゾーン』『ハロウィン』『マイバースデー』といったオカルト、ホラー、占いなどの専門誌が創刊され、また大友克洋「アキラ」や宮崎駿「風の谷のナウシカ」をはじめ人類の破局や超能力を扱った漫画も人気を博し、こうしたオカルト志向は持続されていった。オウムの体験談や脱会信者の手記をみると、このような雑誌や漫画に影響された人が多いことがわかる。オカルト志向は明らかにオウムをはじめとする現代の新宗教の展開の土壌となっている。
第九回 自分探し志向と新宗教
 前回、オウム世代の共通点として、男性のばあいはオカルト志向があると述べた。では女性のばあいはどうであろうか。もし単純化が許されれば、それは自分探し志向といえると筆者は考えている。
 筆者が面談した二十九歳のオウム真理教の女性信者は入信の理由を「人生の虚しさ」と表現していた。特に不幸というわけではないが、まわりは結婚していくし、昔みたいにちやほやされなくなるし、仕事はつまらない。そのようななかで常に何か目標を持ちたいと思ってきたが、それが何だかわからなかったと彼女は話す。そして出会ったのがオウムだった。
 こうした話は何もオウムに限ったことではなく、虚しさ、漠然とした不安、人生の意味を見出だせないといった理由は新宗教の入信動機として決して珍しくない。自分の存在が何だかわからず、本当の自分を追い求め悪戦苦闘する姿がそこには見え隠れしている。
 統計によれば、青少年の約三割が自分が「嫌い」または「やや嫌い」と答え、筆者が教鞭をとる看護専門学校でも、アンケートで 「人間はずるい、きたない」といった否定的な人間観を示す学生が毎年だいたい三割程度いる。
 こうした自分や人間そのものに対するある種の嫌気をバネに、「本当の自分」「もう一人の自分」の探求や潜在能力の開発についての関心が高まってきた。わずか数日間で魅力的になれるという自己啓発セミナー、潜在能力や多重人格に関する書籍の人気、女性誌を中心とした簡単な心理分析とその処方箋の特集、女優のような格好をしてプロの写真家が撮影してくれる変身写真館など、自分探し志向の諸現象はバブル期より目につきはじめ、現在も続いている。
 そもそも宗教はこうした自分探しに応えることを得意としてきた。その中でもオウム真理教をはじめとする最近の新宗教はそれをわかりやすい形で、時には短期間かつ安直な方法で可能にすると約束し、若者の心をとらえてきた。「オウムで救われた」と、今もこの教団を離れえない信者がいる理由の一つはここにある。むろん、その内容が今問われてべきなのはいうまでもないが‥‥。
第一〇回 精神世界ブームの昂まり
 これまで述べたように、オウム真理教登場の背景にはオカルト志向と自分探し志向が潜んでいる。青年層のこうした志向性をひっくるめて何と名付けるか、宗教学の分野でも話題になることが多い。日本のマスコミでは精神世界、アメリカではニューエイジという語が用いられる。島薗進東京大学教授は新霊性運動という用語を提唱するが、ここではニューエイジとよんでおこう。
 オカルトや自分探しも含めて、神秘や精神性を探求する動向は一九六〇年代後半にアメリカでおこった。関連の書籍には「精神性の発達」「意識のルネッサンス」「霊的な目覚め」といった言葉がちりばめられ、意識変革を目指している点で共通している。そこには、今の人々の意識や社会のあり方とは全く異なった新たな世紀の到来への待望が感じられる。ニューエイジは特定の組織をもつわけではないが、時代の雰囲気として広く共有されているといみてよいだろう。
 ニューエイジに関する情報は、日本では昭和四十年代後半には一部の青年層の間で知られていた。その後、特に六十一年のシャーリー・マクレーン『アウト・オウ・ア・リム』の翻訳と、そこで紹介されたチャネリング(宇宙意識との交流)の普及が、ニューエイジの大衆化に拍車をかけるきっけとなった。心の時代と呼ばれて二十年近く、バブル期に始まった自分探しブームから数えて約十年、日本でも着実にニューエイジは根づきつつある。
 一方、新宗教ブームといわれて久しいが、実は新宗教教団で信者数を伸ばしているところはそう多くない。大教団では横ばいか下降といったところである。そうすると、青年層の広い意味での宗教的関心は新宗教ではなく、ニューエイジの方に向かっているとみていいかもしれない。宗教教団のようにお布施や修行といった拘束力をもたないニューエイジは、確かに個人主義的な傾向の強い青年層に受け入れられやすい。事実、原宿や渋谷や青山にある、ニューエイジ関連の書籍やグッズを扱う店(ニューエイジショップ)は、休みになるといつも若者でいっぱいである。
第一一回 カルトと新宗教
 個人主義が広がるなかで、その風潮に合致したニューエイジ運動が青年層に浸透し、従って新宗教ブームといっても、教団組織が大きくなっているとは限らないと前回は述べた。だが、新宗教教団のうち、幸福の科学などは、教団の拘束力が比較的弱く、これが青年層にウケている理由とも考えられよう。オウム真理教も、道場に行ってみるとわかるのだが、信徒は来たい時に道場に来て、全員で行う儀礼は少なく、暝想する人、作業する人、ヨーガをする人、皆ばらばらである。こうした点が信徒にとって干渉されない心地よさともなり、事実、うっとうしい人間関係を捨てて出家を選んだ理由ともなっている。
 本来、人と人との密接な関係を基盤とする宗教にあっても、このように個人主義の影響を受けている。考えてみれば宗教に関する情報は巷にあふれ、現代人は特に教団に入らなくても宗教的欲求を満たすことができる。映画や小説を個々人の趣味で選ぶように、宗教も個々人の関心事に縮小されつつある。
 だが、その反面、こうした個人主義的な傾向と相反する宗教的動向も現れている。自分たちだけの価値観を守り、全人格的な関わりを求めるカルトなどがそうである。宗教社会学ではカルトとは世俗からの逃避と神秘体験の性格を有する教団のタイプなのだが、現在、一般には熱狂的な崇拝やこれを行う集団に対して侮蔑的な意味を込めて、この用語は使われている。
 カルトの存在を広く世界に知らしめたのは、チャールズ・マンソン率いるファミリーによる女優シャロン・テートらの惨殺(一九六九年)、南米ガイアナで起きたジム・ジョーンズの人民寺院九一二人の集団自殺(一九七八年)、テキサス州に本部を持つデイビッド・コレシュのブランチ・デヴィディアンの銃撃戦と集団死(一九九三年)、カナダとスイスで起きたリュック・ジュレが創始した太陽寺院教団の集団自殺(一九九四年)など、一連の凄惨な事件である。
 現代宗教は個人の自由な関わりと、カルトのような尖鋭化の二つの方向に分極化している。なぜ相反する動向が同時に起きるのか。次回、この連載のまとめとともに説明していきたい。
第一二回、新宗教の行方
 個人主義的傾向が広く受け入れられていくなか、個々人の自由な関わりを旨とするニューエイジのような運動と、逆に個人の自由を否定し、メンバーを強くつなぎとめるカルトのような運動の二つの相反する方向に、今の宗教動向は分極化している。だが、その背景にはあるのは、絶対的な価値観を失い、個々人がそれぞれの生きる意味や人生の目的を模索していかなかればならないといった、現代社会の価値相対主義という点で共通している。
 価値相対主義の現代では、人は林立する価値観のなかから自分の志向性に合ったものを選択すればいい。ニューエイジはもちろん、今の新宗教が行う、一般書店での書籍販売や、コンサートのようにチケットを購入して講演会を聞きに行くといった信者の自由なかかわりを強調する布教方法は、確かに現代人にとって気楽に宗教に触れる魅力となっている。お金を出せば「宗教」や「生きがい」を買える時代なのである。
 自由に自分の生きる意味や人生の目的を探すのは意義のあることだが、その反面、それは険しい道であり、責任は自分でとらなければならない。そんな大変さから逃れて一つの価値観を信ずることができれば、どんなに楽だろうか。セックスやグルメやファッションなど、若者が自由を謳歌しているのを道徳の衰退とみなし、絶対的な価値観を前面に押し出すことによってカルトは価値相対主義を乗り越えるのだと主張する。新宗教でも、自由に欲望を満たそうとすることを苦の根本ととらえ、強く改心を迫るばあいが多い。
 現代の価値相対主義をめぐって、ニューエイジ的傾向とカルト的傾向の二つの方向が同時進行していることを説明してきた。ニューエイジやカルトというと極端に聞こえるかも知れないが、今の新宗教も、これらの要素は多かれ少なかれ持っている。ニューエイジ、カルト、新宗教の垣根は低く、三者はなだらかに連なりながら現代の宗教動向を形成しているとみてよいだろう。価値相対主義の根本的な解決がないまま、混迷の度合いを深める現代にあって、ニューエイジやカルトを含めて広い意味での新宗教が度のような現れ方をするのか、その動向を見守り続けたいと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*