新宗教における分派分立の研究―天理教系教団をめぐって―(博士論文の梗概)

2000年9月に大正大学より学位をいただいた博士論文の梗概です。
——————–


一、研究の目的・視点と構成
(1)目的と視点
 天理教は昭和二〇年代まで、近代日本における最大の新宗教教団であった。昭和三年には教会数が一万を越えて一〇三四二となり、信者数もすでに明治末から四〇〇万台といわれていた。また天理教は、敗戦まで十分に表現できなかったものの、教祖中山みきと本席飯降伊蔵による天啓録に基づくまとまった教義、明治初年には骨格が定まった儀礼、そして教会本部を頂点とした教会の親子関係のヒエラルキーによる教団組織を有していた。従って近代になって成立してくる新宗教が天理教の影響を受けていることはむしろ当然であった。
 同時に天理教は多くの分派を生み出したことでも知られている。本論文では、このように天理教から分派した教団、そしてそれに連なりさらに分派分立を重ねた教団を、全体として天理教系教団と呼び、母体となった教団に注目し、これを天理教直系教団、ほんみち―天理三輪講系教団、天理神之口明場所系教団の三つの教団群に分けた。そしてこうした教団を対象に、?分派分立の特徴とその背景を明らかにし、?その中で救済論の変遷を論じ、?この救済の論理と関連づけて分派分立のメカニズムを解明することを目的としている。
 ここで留意すべき点は、天理教系教団の分派分立が教義や儀礼に基づく救済の追求の過程で引き起こされる傾向にあるということである。従って分派分立のメカニズムを研究するには、まず救済の論理に内在する緊張のダイナミズムを解明する視点が必要であると考えられる。そこで本論文では、?組織の凝集性と個的体験、?伝統の継承と断絶、?救済の力の顕現と抑制の三つの視点から天理教系教団の分派分立のメカニズムを研究していくものである。
(2)全体の構成
 本論文は全部で八章から成る。序章では問題の所在が明らかにされ、先行研究について触れた後に本論文の対象である天理教系教団の鳥瞰図が示される。第一章と第二章で第?部「天啓の終焉と天啓者待望の昂まり」を構成し、ここでは中山みき在世中から大正初年までの天理教系教団が主に扱われる。みきと彼女の後継者である飯降伊蔵が死去したことにより、天啓の継承をめぐって天理教内で動揺と混乱が生じ、これを背景に分派教団が成立する過程を明らかにする。
 第?部「終末預言の運動へ」をなす第三章と第四章は天理教系教団の中で最も規模の大きいほんみちとその影響を強く受けた教団を扱う。時期は大正末から昭和前期までである。これらの教団は終末論的性格を多かれ少なかれ共有し、この性格が醸成される要因とその後の変容に焦点が当てられる。
 第五章と第六章では戦後の状況が扱われ、これが第?部「秘儀と霊能の拡がり」となっている。第二部で確認された終末論的性格が変容する方向の一つに霊能と秘儀による神秘呪術の強調があるが、戦後独立した天理教系教団はこうした神秘呪術を前面に押し出しながら、分派分立をしていった。第六章では天理教から数えて幾重にも分派を重ねた教団に関わり、現在は独自の活動を展開している、ある霊能者的人物に注目し、彼を天理教系教団の分派史の中に位置づける。そして、終章ではこれまでの議論を振り返りながら総括し、改めて天理教系教団の分派分立のメカニズムを明らかにし、最後にこの研究がこれまでの宗教研究にどのように寄与するのかを述べていく。
 なお、本論文の目次は以下の通りである。
序 章 研究の目的・対象・方法
 第一節 問題の所在
 第二節 先行研究の概観
 第三節 研究対象の鳥瞰図
 第?部 天啓の終焉と天啓者待望の昂まり
第一章 教祖の後継者と分派の論理
 第一節 中山みきから飯降伊蔵へ
 第二節 教祖・本席時代の分派活動
 第三節 分派の特徴
 第四節 救済の論理と分派活動
第二章 大正期における天啓者待望
 第一節 教祖の死去と教団
 第二節 天啓者待望の諸相
 第三節 天啓者待望の特徴
 第四節 天啓者待望の行方
 第?部 終末預言の運動へ
第三章 ほんみちの出現と社会状況
 第一節 大西愛治郎と天理研究会不敬事件
 第二節 大西愛治郎の天皇観
 第三節 不敬事件発生の動機と誘因
 第四節 昭和三年天理研究会不敬事件の位置
第四章 終末論的宗教運動の挫折と変容
 第一節 ほんみち以降の天理教系教団
 第二節 終末論的宗教運動の諸相
 第三節 運動挫折の要因
 第四節 挫折後の三つの方向
 第五節 運動の現在
 第?部 秘儀と霊能の拡がり
第五章 霊能の継承と分派分立
 第一節 山田梅次郎と天理神之口明場所
 第二節 分派分立の状況
 第三節 霊能の継承
 第四節 分派分立の諸要因
第六章 芹沢光治良の晩年と天理教
 第一節 芹沢光治良の晩年
 第二節 神秘体験の推移
 第三節 神秘体験の背景
 第四章 芹沢光治良=伊藤青年の位置づけ
終 章 研究の総括―分派分立のメカニズム
 第一節 天理教系教団における分派分立のメカニズム
 第二節 新宗教における分派分立
 第三節 研究の総括と宗教研究における本論文の位置と意義
二、本論文の内容―分派分立の特徴とメカニズム
(1)分派分立の特徴
【天理教系教団における分派分立の特徴とその背景】 第一に天理教系教団は母教団に注目すると大きく三つのグループに分けることができ、しかもその三つがそれぞれ発生時期や特徴を共有していることがわかる。天理教から直接分派した直系の教団の成立時期は分散しているが、母教団に衝撃を与えた大西愛治郎、井出クニ、茨木基敬の分派は大正初年に起こった。これらは大正五年の教祖三十年祭前後に天理教内で生じた天啓者待望を背景にしているといえる。
 次いでほんみち―天理三輪講系の分派運動の展開は大正末から昭和一〇年代前半に集中している。この時の分派教団は多かれ少なかれ終末論的性格を分け持っており、こうした性格ゆえにいずれも治安維持法や不敬罪で関係者が検挙されている。その背景には深まりゆく十五年戦争や国際社会での日本の孤立化といった危機的状況があるほか、ここでも昭和一〇年・一二年の教祖五十年祭・立教百年祭の年限に何らかの意味を感じ取った信者たちの動きがあった。
 そして天理神之口明場所系の分派分立は昭和二〇年代から四〇年代初頭にかけて起こっている。この時は天啓者待望も終末論的性格も確認することはできず、むしろ神秘的、呪術的な癒しを執り行う霊能者的人物の輩出とその制度化が特徴である。その背景には日々の悩み事や病気を霊能者によって解決してほしいという広範な民衆の希求が横たわっていた。
【救済論の変遷】 第二に天理教からこの三つの教団群への系譜には、かなり明確な救済論の変遷が指摘できる。天理教直系では天啓による救済が求められており、ほんみち―天理三輪講系では、ある意味で西山茂がいう「メシア的教祖」による社会変革をも含んだ根本的な世界救けが基調をなしていた。そしてこうした社会的な志向が強まれば強まるほど、病気治しのような個人的な救済はみられなくなった。ところが天理神之口明場所系では反対に終末論的性格が後退し、これに代わって直接的かつ具体的な救済が掲げられるようになった。ただし、ここであげたような天啓による救いにしろ、終末論的性格を孕んだ世界救けにしろ、直接的かつ具体的な救済にしろ、いずれも中山みきが示した天理教の伝統の中にその要素を見出すことできる。しかも分派分立教団の創始者たちもそのことをはっきりと自覚しており、むしろ、だからこそその活動は自分たちが教祖の本流を汲む者であるという意識に支えられていた。
【救済の論理と分派分立のメカニズム】 第三に分派分立の特徴や救済論の変遷からもわかる通り、天理教系教団の分派分立はあまり社会変動と結びついていないことは注目に値する。確かに先にも述べたようにほんみち―天理三輪講系の教団の成立や運動展開、そして解体には当時の宗教統制や社会状況が密接に絡んでいた。だが、ほんみちの宣伝文書で主張されたことは、社会的な事象を天理教やほんみちの論理に従ってどう解釈するかで、当事者たちの関心は常に自らが継承する宗教伝統に向けられていたといえよう。一般に分派分立には経済的・政治的な要因が考えられがちであるが、天理教系教団では、分派分立のメカニズムが救済の教義や儀礼などの救済の論理と密接に結びついている。そこでは当事者が天理教の救済の論理を独自の体験と解釈で獲得しようとすることで、結果として分派分立を引き起こし、母教団から見れば「異端」に連なるという逆説を生み出している。
 本論文ではこの逆説のメカニズムを、さらに他教団との比較を通して、?組織の凝集性と個的体験、?伝統の継承と断絶、?救済の力の顕現と抑制という三つのダイナミズムから読み解くものであり、その内容は以下の通りである。
(2)分派分立のメカニズム
【組織の凝集性と個的体験】 まず第一に分派分立を、組織の凝集性と当事者の個的な体験との葛藤からみる。天理教における分派分立は有力教会の制度・組織上の分派というケースは稀で、むしろ信者の神意感得の体験などが分派分立の形成のきっかけとなることが多い。天理教では布教の導きの親子関係、人類誕生の地という意義を与えられている聖地、そしてそこでしか行われない秘儀があり、これらが天理教の強い凝集性の核となっている。分派は「ぢば」への信仰を乗り越えて、独自の聖性原理を天啓や神秘的な救済の力によって打ち立てるような教祖的・霊能者的人物によって、教団の周辺部で発生する。
 こうした点は霊友会の昭和六年から一六年にかけての「第一次分裂」、二三年から二六年にかけての「第二次分裂」や、世界救世教が昭和四五年から自立的な支部を本部に制度的に一元化しようとしたことにより、これに反発する形で多くの分派を生み出したこととは対照的である。いずれのばあいも、本部に対する支部の相対的な独立性の高さが、本部での何らかの事件(不祥事や創始者の死)をきっかけに、組織的な分派につながるという構造を有している。この点で本部を頂点とした教団全体の凝集性が強い天理教が、組織的な分派を許さず、教団周辺の特異な人物に人々が集まりはじめて、それが結果として分派につながるという構造とは様相を異にする。
【伝統の継承と断絶】 第二に母教団の伝統との関係に注目して分派分立をながめると、天理教系教団には、天理教の影響が濃厚に認められ、積極的に自らこそ天理教の伝統を保持しているのだという主張がされることがわかる。ここで問題となるのは分派分立を成し遂げた当事者が天理教の伝統のどの側面を継承しているか、またはどの側面は断絶しているかである。そのばあい天理教の体制(世襲制や教団運営)を拒絶し、直接、教祖とつながることが求められる。そして教祖が死去しているとなれば、そのつながりは霊的・神秘的な直感によってもたらされ、この霊的・神秘的な直感をバネに天理教の教団体制への批判がなされる。特に明治・大正期の天理教では教祖が再生するとか、教祖と本席を継いで新たな天啓者が登場するとも解釈できるような伝承が残されており、この教義的な間隙が、分派分立をする際の大きな立脚点となった。そしてどれだけ教祖・本席の示した伝統に忠実であるかが自らの正統性を証明する争点となるのである。この発想は、直接天理教から分派した教団以外にも引き継がれ、母教団への批判と天理教に対する批判は常に重なっている。
 この点では、先に述べた世界救世教の一元化をめぐる分派活動が天理教系教団の事例に近い。一元化をめぐる分派では教祖(岡田茂吉)信仰と彼が示した浄霊の強調が確認できる。このばあい母教団である世界救世教の制度化と末端レベルにおける教祖の法脈への強い意識が、かえって教祖回帰の形での分派を招来したといえる。同じようなことはGLA系教団でも、高橋信次から娘佳子への継承にともなって、GLAを去った教師が高橋信次の教えを引き継ぐのだという主張を掲げたことにもみられる。さらに教団の現体制を批判しながら教祖の示した伝統に回帰する動きは、何も分派分立した教団だけにみられる特徴ではない。金光教でも教祖と直接まみえたことのない二世信者が大正期に教祖回帰の運動を起こし、それはややもすると教団批判の様相を強く帯びたものであった。伝統仏教でも戦後の都市化と核家族化の危機に対して宗祖回帰の運動が起こり、これも少なからず現行の宗団体制への批判を孕んでいた。
【救済の力の顕現と抑制】 第三に救済の力がどのようにコントロールされているかという点から考察したい。天理教では信者の救済活動に対して、いくつかの救済の業が約束され、「さづけ」と呼ばれる親神の守護を取り次ぐ業が信者に与えられていた。しかしこうした救済の特別の力が、時として特異な流れを生みだすことも事実である。天理教系教団の創始者には、この特別な力に秀でた者が多い。
 このような救済の力をめぐる混乱は、多くの教団でみられることで、こうした教団では何らかの形で救済の力を整流する機構を持っている。例えば霊能者による救済を重んじる真如苑では、霊能の階梯は本部のチェック機構を経て決められ、霊能の発動も本部と道場というように決められた場所に制限されてコントロールされている。また「真光の業」で知られる崇教真光では、教団内に恢弘部という部署が設けられ、道場での活動が逸脱していないかをチェックするようになっている。こうした統制だけでなく、新宗教では多くの機会を通じて、教義の習得が強く求められる。ここでは病気治しや神言・霊言などを伝えるような具体的かつ直接的な救済の業は、真の教義を知るための方便であったり、入り口であったりするという説明がなされがちである。また、救いの根元は教祖をはじめとするごく限れた人物に限定されていることが強調される。そして必要以上に救済の力に頼ろうとしたり、またその力に秀でた者が教義の正統性を軽じたりしないように指導が行われる。むろん救済の力を急に、また厳しく抑制することによって、そのことで離反が生じないとも限らず、救済の力のコントロールは分派分立を生み出さないために神経質にならざるをえない問題である。
 なお、天理教ではこうした救済の力の源泉はあくまでも中山みきや飯降伊蔵とされ、自分たちはその後継者であるという意識が看取できる。天理教は高い組織の凝集性を有し、そこでは救済の力の顕現と抑制の微妙なコントロールがなされ、両者のバランスが保たれている。しかしこれに対して救済の力の顕現に抜きんでたり、またそのことによって個的な信念が高まり組織の凝集性を凌駕したりする時、分派分立がおこるのだと考えてよいだろう。
三、結語
 本論文の研究の立場は宗教史研究と宗教学的研究の双方にまたがるものである。従って本論文がこれまでの宗教研究において、どのような意義を持っているのかを確認していきたい。
(1)宗教史研究における本研究の位置と意義
 天理教はその規模と社会的な影響力から、宗教史研究の中でこの教団に関する研究は相当の厚みをもっている。また、天保九年の立教になる天理教は、同時期に創唱された黒住教や金光教とならんで、その史料的蓄積から幕末維新期の代表的な宗教運動として研究の対象とされてきた。特に宗教史研究の中でも民衆宗教史と呼ばれる分野では天理教への言及は多い。
 これらの研究の多くは教祖の思想性と天理教の発生過程という教団草創期に、もっぱら関心が向けられていた。本論文で扱ったような明治から昭和前期までの天理教は、国家神道体制化に組み込まれ、権力に妥協していく過程としてしか論及されないことが多く、こうした研究の中で、分派分立の問題に触れられることは稀であった。村上重良、梅原正紀、宮地正人のように、国家権力によって弾圧された民衆宗教という視点からほんみちを個別に取り上げる研究はあっても、分派分立の全体像を天理教との関係の中から論じる研究はほとんどなかったいうことができる。その意味で、本論文によって明らかにされた分派分立の歴史的事実と、天理教、ほんみち―天理三輪講、天理神之口明場所といった主要な母教団とその子教団との影響関係を分析の俎上に乗せたことは、近代日本宗教史の間隙を埋めるものであるといえる。戦前の民衆の信仰生活に対する天理教の影響力や浸透度を考えると、分派分立の全体像を提示し、その広がりを論じたことは決して無駄な作業ではなかったといえる。
(2)宗教学における本研究の位置と意義
 宗教学では分派分立のメカニズムを母教団から子教団への継承性や人間関係、そして教義や活動に内在する緊張からアプローチするものが主流であった。特に西山茂、古賀和則、対馬路人、渡辺雅子らの宗教社会学的研究は、その代表といえる。本論文もこうした研究動向に連なるものである。ただ、本論文の考察の主たる対象は分派分立を成し遂げた当事者にあって、新たに派を分かつ際の所属教団との影響・緊張関係を論じるという立場をとってきた。とりわけそこでの教義や儀礼の救済の論理に引きつけて論じてきたことは、これまでの議論からも明らかであろう。そして本論文で定式化しえたことは、?天理教系教団では、当事者の神意感得や神秘体験の個的体験が、信者をつなぎ止める教団の凝集性を乗り越える時に分派が生じる。?しかもその体験は母教団によって培われた宗教伝統と密接に結びつき、さらに教内に伝わる伝承や原典そのものを用いての教義的な正統化がはかられる。?そして法的な規制や取締りもさることながら、むしろ救済の力の顕現と抑制のバランスが崩れた時、言い換えればその宗教伝統の内的な論理に従って分派は生じる。天理教系教団の多くはこのような過程を経て成立したのである。
 このようにして明らかになった分派分立のメカニズムは宗教学の中でも発生論的研究と呼ばれるものに寄与するところが大であると考えられる。新宗教の発生論的研究は教学的研究、社会史的研究、民俗信仰論的研究によって成り立ち、そしてこの三つの流れが合流したところに現在の主要な研究動向、つまり内在的理解の方向がある。だが、教学的研究においては分派分立の問題はタブー視されるか、せいぜい異端の問題としてしか論じられない。それは最も教学的研究が進んでいる天理教においても同様である。民俗信仰論的研究は、分派分立におけるシャーマニズムの役割を解明する上で示唆を与えるものと思われるが、現在までこうした研究動向が分派分立の問題を扱ったことはない。社会史的研究は新宗教の発生過程を社会変動と関連づけて解明する研究動向であり、確かに、ほんみちや大本の周辺で起きた分派教団は、天皇の宗教的権威が宣揚され、また日本の国際的な危機状況の中から登場してきたともいえ、こうした研究のアプローチも可能であると思われる。
 だが、本論文で明らかにしたように天理教系教団に限っていえば、分派分立の多くは社会状況との関連よりも、むしろそれぞれの救済上の問題から発生するという形をとった。だからこそ、本論文ではこの分派分立にアプローチする上で、当事者の内的な救済の論理に従って教団の凝集性と個的体験、伝統の継承と断絶、救済の力の顕現と抑制という三つの視点を提起したのである。その意味で本研究は当事者の経験と信仰の意味を内面に立ち入って理解し、その心の悩みをできるだけリアルにとらえ、また宗教経験によってどのような新しいものの見方が開けたのかを理解しようとする内在的理解の枠内に位置づけることができよう。
 ただし、従来の内在的理解の方向は島薗進の天理教・金光教研究に代表されるように、教祖の信仰世界に注目することで新宗教の民俗宗教との連続性を解明することに力が注がれてきた。そこでは、それまでの突発的発生論を退けつつ、宗教運動の発生基盤を山伏・先達・御師などの民間宗教者の指導のもとに展開した民俗宗教に求め、教祖は自らの苦悩を宗教的な問いかけへと発展させ、民俗宗教との交渉のなかから新しい宗教性を生み出していく過程が論じられている。しかし本論文では当事者の救済に関わる信仰世界に注目しながらも、そこで明らかにしようとしたことは彼らがかつて身をおいた母教団との影響関係である。その意味で、民俗宗教との連続性に重きがおかれがちな新宗教の発生に関する内在的理解の方向の中でも、本研究は先行する組織宗教との連続性と非連続性を論じた点で、新宗教の発生論的研究に新たな局面を追究したものであると考えられる。
 総じて、本論文で目指したことは、昭和二〇年代まで最大の新宗教教団だった天理教の分派分立の影響関係を確定すること。そしてこの分派分立のメカニズムを社会還元論的にではなく、当事者が先行する宗教伝統から獲得した救済の論理に内在するものとして定式化すること。さらにそのことで新宗教の発生を内在的に理解する研究動向に新しい可能性を示すこと。以上三点にまとめることができる。

One comment

  1. はじめまして。面白い文章なので、コメントを残します。失礼しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*