オウム真理教における体験談の変遷とその意味

→1996年6月16日、「宗教と社会」学会ワークショップ《「宗教」としてのオウム真理教》の発表原稿です。
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1、問題の所在
 これまでの新宗教研究における体験談の分析は、もっぱら回心としての体験談やその物語性、また教団活動や信仰体系全体の中における機能や位置を解明することに向けられてきた。そこでは体験談を「宗教的創造性の現れる場」[島薗]、「宗教的に新しく生まれかわった宗教体験」[日野]ととらえ、苦難を救いとして再解釈するメカニズム[渡辺]としてみていこうとする姿勢が一般的であった。確かに体験談には教団によって定式化された教義に吸い上げられる以前の、いきいきとした信仰のあり様が認めらるばあいが多い。疑いと信仰に揺れ動く内的な葛藤、他者との軋轢、超越的存在との交流と戸惑いなど、信仰のダイナミズムを経て、最終的にこれらを乗り越えた勝利の姿が体験談には示されているといえよう。
 しかし、体験談には信者が教団あるいは教祖との関係に埋没し、先の信仰のダイナミズムを失っていく過程をもみることできる。特にそれが神秘的な体験であればあるほど、外界との乖離と信仰対象へのコミットメンの度合いはいずれも大きくなり、「わかる者にしかわからない」硬直した世界を形成してく。体験談には信仰の萠芽といった宗教の創造性のみならず、信仰の硬直をも読み取ることが可能なのではないだろうか。また、教団によって編集された体験談からは、単に個人の信仰世界だけでなく、教団の思惑や戦略までも看取することができ、ここから体験談分析と教団組織論・運動論との架橋も可能ではないかと考える。
 こうした点から、本発表の目的はオウム真理教の教団機関誌『マハーヤーナ』に掲載された体験談の分析を通して、この教団が成就の体験を強く追求してきたことの意味を明らかにすることにある(なお、資料の関係上、名前はホーリー・ネームや尊称を用いることする)。この機関誌は、未信者が入手できるものは1987年7月号から1991年5月号に限られているが、この時期はオウム真理教が、「麻原先生」を中心とする教団草創期から宗教教団としての立ち上げ(87年7月ごろ)、宗教法人の認証(89年8月)、総選挙への出馬と敗北(90年2月)、熊本県波野村進出と衝突(90年5月〜)の道を歩み、現在明らかになりつつある、いわば裏の事件史としては「田口修二さんリンチ殺害」(89年2月)、「坂本弁護士一家殺害事件」(89年11月)、「ボツリヌス菌散布未遂事件」(90年4月)などがあった。そしてこの時期、『マハーヤーナ』に掲載される体験談は以下に述べるように大きく分けて3期の変遷を経ており、体験談分析を通して教団の変容に迫る作業も無駄ではないと思う。
 ところでオウム真理教にとって体験談はどのような位置にあるのだろうか。この教団がイニシエーションや修行などによる神秘体験を前面に押し出して活動してきたことはすでに知られてる。だが、ここには「体験しない者にはわからない」というアポリアが常に潜んでいる。そのため、体験談は未だ体験がない初級信者にとっては、信仰者の理想の階梯を示すものとしてあり、そのことは機関誌の中で上級信者の体験と自らの体験を重ねあわせて理解する傾向があることからもうかがえる。また、この機関誌が書店にも積極的に持ち込まれており、教団側が未信者の目にもとまることを考えていたことは十分に予想され、その意味で体験談は未信者や社会に対する教団の姿勢がうかがえるともいえよう。
2、『マハーヤーナ』における体験談の変容
 『マハーヤーナ』における体験談は次の3期の変遷を経ている。
(1)第?期〔1987.07号〜1988.05号〕初期成就者の輩出
 第?期は後に教団内で重要な役割を果たす8大弟子ともいうべき初期成就者〔ケイマ(石井久子)、アングリマーラ(岡崎[佐伯]一明)、シャンティ(大内早苗)、マイトレーヤ(上佑史浩)、ブラフマニー(山本まゆみ)、ウッパラバンナ(都沢和子)、ラクシュミー(飯田エリ子)、ミラレパ(新実智光)〕の輩出期にあたる。この時期の体験談は次のケイマのもに代表される〈苦行→尊師の強い指導→帰依→成就(光の体験)〉を特徴とする。
快感が走る。震動する。しびれる。そして、太陽の光のようにまぶしく、ものすごく強い、明るい黄金色の光が頭上から眼前にかけて昇った。
 金色の光が、雨のように降りそそいでいる。その光の中で、私は至福感に浸っていた。
 この太陽は、その後何回も昇り、そして最後に黄金色の渦が下降し、私の身体を取り巻いた。
 このとき、私は光の中に存在していた。いや、真実の私は光そのものだったのだ。その空間の中に、ただ一人私はいた。ただ一人だが、すべてを含んでいた。本当の幸福、真実の自由は、私の中にあることを悟った。真実の私は光の身体であって、肉体ではないことを悟った。
―真実の私は、光であることを知った―。
同様の体験は他の初期成就者の体験談からもうかがえる〔「その円形の中心に三つの点があってそれぞれ白い発光体と青緑みたいな発光体がぽあーんと小さい円で見えたんです」(アングリマーラ)、「まぶしい光、金色のつぶつぶ。そして白い光が輪をつくる」(シャンティ)、「暝想してみるとオレンジの光がぴかっと見えましたね」(マイトレーヤ)、「何か三昧状態になって違う次元に行ってるんだけども、記憶があまりないんですよ」(ブラフマニー)、「真ん中紫、そのまわり金色、そのまわりが銀。それがふわーっとひろがる」(ウッパラバンナ)、「目を開けていても、閉じていても、独房中「光」という感じになりました」(ラクシュミー)、「どんどんどんどん光が増してきて、最後は黄色い光でしたね。(略)この部屋全体が黄色い光に包まれていて‥‥。光の中に没入した状態だったんです」(ミラレパ)〕。ただしアングリマーラ、マイトレーヤ、ブラフマニー、ラクシュミーはそれほど強烈な体験ではなく、麻原の宣言によって成就したことを認識している。
(2)第?期〔1988.05号〜1990.11号〕一般信者から成就者が続出
 第?期は、独房修行を経ない現世成就者コーンダンニャ(山田一貴)や在家のチッタ(満生均史)を含め、一般信者からも多数の成就者が出た時期である。1988年には「尊師が導入された画期的な修行システム」忍辱精進極厳修行により、マンジュシュリー・ミトラ(村井秀夫)やアーナンダ(井上嘉浩)をはじめ、45名の成就者が出たことが報じられている(「実現!四十五名の成就者誕生!伝説は二千五百年の時を越えて」1989.01号)。この傾向は1989年に一層強くなり、機関誌では「89年の成就に向けて」(1989.03号)、「クンダリーニ・ヨーガ成就者、続々誕生!」(1989.11+12号) 、そして11月の極厳修行で61名、12月の極厳修行で128名が成就し、1989年の成就者合計は242名になったと伝えている(「巻頭カラー特集 極厳修行レポート!! 弟子たちよ、遥かなる救済の道を進め!」1990.01+02号)。翌号では「特報! 驚異の極厳修行プログラム 続出する在家成就者! 短期成就の秘密に迫る」という記事もみられる。
 さて、こうした中で体験談は次のような特徴をもっている。神秘体験は第?期の光のイメージを中心とする覚醒は同様に確認できる〔「黄色に近い光に包まれたように感じる。周りが輝いている」(チッタ)、「真っ暗な宇宙空間だったんですよ。そこに星みたいな光点がねバーッと動いて」(マンジュシュリー・ミトラ)、「チカチカチカーッとフラッシュのような感じで。そして、バーッと光が降りてくると」(アーナンダ)〕。だが、体験談からは苦行の要素が乏しくなり、むしろ成就が簡単に手に入れられたり、また突然もたらされているというものが目立つ。コーンダンニャにとっては「悟りって、こんなものか」「これってひょっとすると、成就したのではないか」と思わせるほどあっけないものであった。チッタは麻原より「私はあの人を、信徒で第一号の成就者として仕上げようと思っている」と目され、マンジュシュリー・ミトラは「短期間での成就の期待が懸かった」修行者であり、アーナンダは麻原より「お前は、二週間で成就しなければ東京に送り返す」と言われ、成就が急かされているのがわかる。また、この時期はじまったこととして児童〔麻原彰晃の三女アーチャリー(5歳)、長女ドゥルガー(10歳)、次女カーリー(8歳)、在家信徒の子供ムクタナンダ(4歳)〕の成就もあげられる。
 第?期の体験談の特徴は、第?期に比して成就者の苦行や逡巡を押し出した個性的なそれよりも、むしろ修行法の洗練による成就者の大量出現の「奇跡」を強調する点に重きがおかれている。体験談からは神秘体験が簡便な方法で手に入れられたり、また性急な方法でもたらされていることが読み取ることができる。「クンダリーニ・ヨーガ成就者、ただ今続出中!」(1990.08号)では、2週間のうち「尊師が道場に顔を出されたのは二回」だが、飴と特殊なミラクルポンドのイニシエーションで成就者が続出したことが報じられ、インスタントな成就や神秘体験が、かえって教団の修行法の正さや確かさを証明するといった論調が強まっていった。
 同時に機関誌をみると、この時期は教義的にもハルマゲドンの予言〔「巻頭特別企画 世紀末の救済に向けて 麻原彰晃『黙示録』の封印を解く」(1988.12号)、「巻頭特別寄稿 ノストラダムスの大予言―“最後の真実”が今明される!」(1989.03号・04号)、「速報! ノストラダムスは示す! 予言された天への導き人は私である」(1990.06+07号)〕やタントラ・ヴァジラヤーナ(1989.01号)とポアの教え〔「ウィルスが例えば上に上がったなら、そのウィルスを殺した人は、ウィルスを高い世界に導いたというそのカルマによって上に上がるかもしれない」(1988.03号)、(金魚や小鳥を修行者に生まれ変わらせたいという質問に)「やっぱりポアをかけるしかないね。それはね。しかも私がかけるしかないんじゃないか」(1988.10号)など、動物を譬にとりながらも(聖なる)目的のためには殺生も含めた手段も辞さない態度〕が打ち出されている。こう考えると、第?期の体験談における成就の性急化や簡便化は、こうした教えを背景とした切迫感や、手段を恣意的に合理化する傾向と軌を一にしているのがわかる。
(3)第?期〔1990.11号〜1991.05号〕病気治しの体験談と初期成就者の御利益話
 第?期は、それまで程度の差こそあったものの、体験談の中心をなしていた神秘体験に関する言及がほとんどなくなっている。その代わりに?「信徒体験談 病は癒える」、?「信仰体験談 未来の窓」、?初期成就者の体験談の連載が開始される。?は病気治しに関するもの。?は在家信者による、ほぼ同様の構造〈不本意な人生→オウム真理教入信→修行や教学学習の体験→心身や運命の変化〉をもつ体験談。?は出家生活の中で得た体験談となっているが、神秘主義的な色彩は抑制され、むしろ教義に即した説法に近いものとなっている。「クンダリーニ・ヨーガ成就者特集」も2回あるが、やはり、第?・?期の成就者の体験談に見られた神秘的要素はここでは薄まっている。例えばクリシュナナンダ(林郁夫)のばあいは「修行が始まったときと同じように、彼は突然クンダリーニ・ヨーガの成就と判定された。一体何が基準となったのか、彼には見当もつかなっかた」(1991.04号)、ヴァジラティッサ(中川智正)のばあいは「信徒のときからこれといった行をしなくても、クンダリーニの覚醒、ダルドリー・シッディ、チャクラやエネルギーの霊視など、様々な神秘体験をしたためだろうか、彼はほとんど修行らしい修行をしたことがなかった。(略)限界までの修行が出来ないまま、一週間の極厳修行が終わった。彼はラージャ・ヨーガ成就の認定を受け、ヴァジラティッサというホーリー・ネームを授かった」(1991.05号)と、淡々と、しかも体験談というよりは取材形式で報告されている。なお、この傾向は1991年9月に創刊された『えんじょい・はっぴねす』(〜1993年9月)にも引き継がれている。
3、オウム真理教にとっての成就体験とは
 『マハーヤーナ』の体験談の特色は、?編集者の説明と質問、?当事者の手記や回想、?尊師の修行中または修行後のコメントという形式をとるところにある。特に?の教団トップのコメントは他の新宗教教団の体験談にはあまりみられない特徴ではないだろうか。一般に体験談は人生の紆余曲折と信仰の深まりについて語り手の体験が述べられ、受け手もそこに自らの生を重ね合わせて解釈をする語り手と受け手間の、また受け手の内的なダイナミズムを有する。しかしオウム真理教のばあい、体験の意味を明かにするのは尊師だけである。しかも、オウム真理教は少なくとも第?期には信仰の階梯に関する基本教理が定まっており、あとはその図式に信者の体験を尊師がどう配置するかだけである。そのため信者は自らの体験であるにもかかわらず、これを理解するためには尊師に依存しなければならない。神秘的であろうとなかろうと成就の体験が、オウム真理教では(自分が救われるにしろ、他者を救うにしろ)救済の最も重要な指標となるため、尊師へのこの依存は揺るがすことはできない。では、それは体験談のなかでどのように描かれているのだろうか。
 体験談においては、まず自己の極小化と尊師の極大化が、次いで彼への絶対的な帰依が語られる。第?期の例でいえば語り手は「私自身(エゴ)には、真実は何一つない」(ケイマ)、「自分はなんて汚い人間なんだろう」(ウッパラバンナ)、「自分がこの世からいなくなってしまえば、どんなによいか」(ラクシュミー)と自らの塵灰にも等しい感覚が語られ、そして「グルは真理です」(シャンティー)「この方にすべてを委ねよう!」(ブラフマニー)と尊師への絶対的な帰依に帰結する。そして自己を極小化した信者にとっては、自らの修行体験だけではなく、人生のさまざまな体験や出来事も尊師によってのみ、その意味が明かにされると考えられている。第?期の先の信者でいえば「帰依というのは代償や結果を求めないはずだ。/尊師がやれといわれたことは、見返を求めず喜んでできなくては」(マンジュシュリー・ミトラ)、「私がここにあるのもすべてはグルによるんだということ、それを常に思ってグルの意思を実践する、それが課題だと思っています。」(アーナンダ)となっている。
 このようななか、さまざまな修行の階梯の逸脱や錯綜が尊師の意向によって合理化されている。例えば、体験談を中心に構成された1989年01号(「栄えあれ、降りそそぐ光の祝福―生死を越えた八名の肖像」では、8名中6名はワークの必要などで修行が短縮または中断された形で成就が宣言されている。典型的なケースは「それはクンダリーニ・ヨーガの成就だ。事務の仕事が忙しいから、もう東京に帰れ」(ウーパリー)、「尊師のところに行くと、成就と言われました。それから『即、九州へ行け』ということになりました」(ガンポパ)がある。世俗的な判断では、こうした体験は理不尽なものかもしれない。しかし神秘体験のみならず、人生の意味そのものの真意を告げる者が尊師に限定されいるならば、そこには疑問を差しはさむ余地は残されていないだろう。
 オウム真理教ではラージャ・ヨーガからクンダリーニ・ヨーガを経てジュニアーナ・ヨーガ、マハー・ムドラー‥‥という成就の階梯があり、マハー・ムドラーの成就は信者の当面の到達点(正悟師レベル)を示す。だが、マハー・ムドラーはいわゆる「苦行」をともなう身体技法であると同時に「データの入れ替え」(1990.09号)が重んじられる。そこではグルが「心の奥深いものを現象化させ(略)それが本質的に苦しみであることを弟子に理解させ」(『アヌッタラ・サッチャ』No.1)、「それゆえ、グルに対する完全な帰依が必要となる」といい、「条件が悪ければ悪いほど、マハー・ムドラーにとっては好条件となる」(1989.11+12号)とされる。ここにオウム真理教的なグル崇拝が成立する。
 理不尽とも思える苦しみを突きつけられても、これを帰依と信の力で受け入れて克服することが求められ、元信者によれば、尊師の破戒も違法行為も、信者にとっては、これを受け入れることがマハー・ムドラー成就の証しとされるいう。苦行や神秘体験を経ずともマハー・ムドラー成就があり得るならば、第?期の体験談で神秘主義的性格を後退させていったのも理解できよう。
4、むすびにかえて
 以上のことをまとめると次のようになるだろう。本発表は体験談分析を通して信仰の硬直、さらには教団の変容にアプローチすることが可能であるとの立場から、『マハーヤーナ』に掲載された体験談から、この教団における自己の極小化と尊師の極大化といった帰依の構造や成就の性急化や簡便化についてみてきた。特に神秘主義的な体験談が希薄になっていく点に注目するならば、それは第一に教団自体が神秘主義的性格を後退させていく過程ととらえられよう。修行を期待して出家したところ、待っていたのはワークの日々という元信者の証言は一般によく知られている。むろん、道場で神秘体験を求めて修行にいそしむ信者は少なからずいたであろうが、過酷な修行が薬物をはじめとする非合法的手段へ、「修行するぞ!」とともに「徹底的にデータを入れ換えるぞ!」が登場し、より簡便かつ性急な手段に道を譲ることなっていった。第二に『マハーヤーナ』から『えんじょい・はっぴねす』に引き継がれる御利益話の穏やかな主張は、当時の教団の低迷と危険性を胚胎させていく一方での「表向きの顔」として理解できるかもしれない。しかしそれよりも重要なことは、第三として、先にも述べたように修行の階梯の上位に位置するマハー・ムドラーが苦行や神秘体験を経ずに得られるものなら、性急にステージの上昇や現状打破を重んじるよういなったオウム真理教において、神秘主義的性格が薄れていったのはむしろ当然ともいえる。
 このように、オウム真理教の体験談からは、成就体験の解釈主体は一元的に尊師に限定され、信者による自己の極小化と尊師の極大化における帰依の構造がみえてくる。もちろん、体験談のなかには、疑いと信仰に揺れ動く内的な葛藤や戸惑いといった信仰のダイナミズムも確認できる。だが、そこには自らの体験を解釈し、人に伝え、信仰に結実させていくという宗教的創造性は稀薄であり、一元的に解釈がほどこされ、教理の枠組みへの、時として恣意的な位置づけがなされ、尊師への絶対帰依に向かわしめるという信仰の硬直化も看取できる。
 もっとも本発表のように教団機関誌に掲載されたもののみを体験談として対象とすることには限界があるだろうし、これまでも教団の操作などの制約が指摘され[孝本]、また文字資料から「語り」へのシフトが提起されてきた[萩原]。その意味で信者の生の体験談の収集と分析が今後求められよう。だが、機関誌掲載の体験談に教団の思惑や戦略が込められているとするならば、それを積極的に読み取る作業もできる。そこから教団の変容にアプローチする教団組織論や運動論とのリンクも可能になってくるとも思われる。いずれにせよ、オウム真理教の現役信者や元信者の体験談が大量に出回っている今、新宗教研究における体験談分析に新たな視座が必要となっているといえよう。
【参考文献】
孝本貢「民衆のなかの先祖観の一側面(二)―妙智会『信仰体験記』の分析」、下出積與編『日本における倫理と宗教』吉川弘文館、1980
島薗進「宗教言語としての体験談」(研究報告34)東京外国語大学海外事情研究所、1986
萩原修子「『イエスの方舟』の凝集力―『語り』による分析」、坂井信生編『西日本の新宗教運動の比較研究』1、九州大学文学部宗教学研究室、発行年無
日野謙一「大本教の大正期の発展について―信徒の回心状況から」、宗教社会学研究会編『宗教・その日常性と非日常性』雄山閣、1982
渡辺雅子「救いの論理―天照皇大神宮教の場合」、宗教社会学研究会編『宗教の意味世界』雄山閣、1980
『マハーヤーナ』体験談関係総目次 (○印は特集記事)
No.01(1987.07)
高弟インタビュー「マザー・シャクティー・ケイマ」
菩薩の詩―修行者たちの体験
 奇跡の霊石、ヒヒロイカネ(大内利裕)
 集中セミナーに参加して?(村井秀夫)
 集中セミナーに参加して?(村井佳子)
 バルドーの体験とNさんの霊体(山本まゆみ)
No.02(1987.08)
○マザーシャクティー・ケイマ成就!「そのとき、私は光だった」
No.03(1987.09)
菩薩の詩「六月の集中セミナー体験談」
○アングリマーラ大師ここに誕生す
No.04(1987.10)
私のオウム―「別所幸弘さん」
○マザー・シャクティー・シャンティ成就す
No.05(1987.11)
私のオウム 野崎英子さん
菩薩の詩「私のセミナー体験」
○今蘇った、救済者マイトレーヤ
No.06(1987.12)
私のオウム―「中山芳雄さん」
○ブラフマニー大師解脱す! 真理の扉を開く、信と帰依
No.07(1988.01+02)
私のオウム 池田三保子さん
菩薩の詩「人生八十七年、私の修行」
○ウッパラバンナ大師成就す! 大いなるジヴァの祝福―奇跡を呼んだ天性の素質
No.08(1988.03)
菩薩の詩
○ラクシュミー大師成就す!「探し求めた真実の愛」(前編)
No.09(1988.04)
私のオウム 小宮英子さん
菩薩の詩
○ラクシュミー大師成就す!「探し求めた真実の愛」(後編)
No.10(1988.05)
私のオウム 中田清秀さん
○ミラレパ大師・ラーフラ大師成就!
 ミラレパ大師成就す!「魔境を超えて―打ち勝った信と帰依」
 ラーフラ大師成就す!「成就―それはシヴァ神からの贈り物」
No.11(1988.06)
私のオウム 藤谷実さん
○プンナ・マンターニプッタ大師成就「真我への旅立ち―永遠なる愛と共に」(前編)
No.12(1988.07)
プンナ・マンターニプッタ大師成就「真我への旅立ち―永遠なる愛と共に」(後編)
菩薩の詩―体験!クンダリーニの覚醒
私のオウム 満生均史さん
○アニャータ・ケイマ大師誕生す!「新たな足跡を残して―歩み始めた仏陀への道」
No.13(1988.08)
○菩薩の詩特集「超能力」―麻原尊師
○コーンダンニャ大師成就す!「夢―ユートピアを追いかけて」
No.14(1988.09)
私のオウム古川孝さん
○菩薩の詩特集「超能力」―麻原尊師2
○マチク・ラプドンマ大師成就す!「悲しみの果てにあるものは‥‥」
No.15(1988.10)
○ウッパラバンナ大師、クンダリーニ・ヨーガ成就!「永遠なる帰依への祈り―偉大なるグルへ」
No.16(1988.11)
私のオウム「大阪ボーディサットヴァの会」和歌山県の皆さん
○ついに誕生!在家信徒の成就者チッタ尊者成就す!「純粋で透明な―真理の湖へと目指して」
No.17(1988.12)
パタンジャリ大師成就す「弟子」
No.18(1989.01)
○栄えあれ、降りそそぐ光の祝福―生死を越えた八名の肖像
 マハー・カッサパ大師成就す!「空」への飛翔―彼岸の輝きの中に
 マンジュシュリー・ミトラ大師成就す!限りない真理の世界へ、そして今、出発点に立つ
 ガンポパ大師成就す!尊師の許へ―シャンバラをこの地球に作りたい
 アッサージ大師成就す!新しき日に祝福あれ!
 ダーキニー大師成就す!グルは真理です―つかみ取ってほしい帰依の心
 ウパーリ大師成就す!歓喜―求め続けた光の中へ
 ラクシュミー大師成就す!“カルマ落としの立位礼拝”―なしたことは返ってくる
 アーナンダ大師成就す!遥かなる大乗の彼岸へ―誓う終生の帰依
No.19(1989.02)
○ウマー・パールヴァティー・アーチャリー誕生!ハルマゲドンを前に、シヴァ神が授けられた一つの魂
No.20(1989.03)
○ティローパ大師成就す!
No.21(1989.04)
○在家成就者座談会泥中に咲く蓮華のように
No.22(1989.05)
私のオウム金沢支部代表
○ドゥルガー、カーリー誕生す!超人類に向けて―体いっぱいに真理!
No.23(1989.06+07)
私のオウム〈シッシャ編〉
○マハーカッチャーヤナ大師成就す!魂の平安を求めて―グルの懐の中に
【『病は癒える』創刊】
No.24(1989.08)
私のオウム野田賢治さん
○マハー・ケイマ大師誕生す!すべての魂にマハー・ニルヴァーナの愛を
No.25(1989.09)
私のオウム松崎美喜子さん
○アジタ大師成就す!美と感動―その幻影を超えて
【巻頭インタビュー麻原彰晃、政治を論ず日本よ、その胸に救済の時を刻め!】
No.26(1989.10)
私のオウム
No.27(1989.11+12)
在家成就者誕生チッタ尊者成就す!孤独な求道の旅の果てに
私のオウム青山吉伸さん
○アニャータ・マハー・ケイマ大師誕生す!―偉大なる心の旅―涙と苦悩の日々に別れを告げて
【別に真理党に関する増刊号付】
No.28(1990.01+02)
○ムクタナンダ君成就す!「白銀の道を、真理の道を」
○弟子たちよ、遥かな救済の道を進め!
No.29(1990.03)
輝きを放って―咲け!若き真理の花々よ【オウム四姉妹】
驚異の極厳修行プログラム続出する在家成就者!短期成就の秘密に迫る
○アニャータ・マイトレーヤ大師誕生す!「約束された救済者への道」
No.30(1990.04)
○アパーヤージャハ行者、クンダリーニ・ヨーガ成就す!「果たされた宿願―真理を守る盾となって」
No.31(1990.05)
私の修行体験談(マハー・マーヤ正悟師)冥想―神通力1
No.32(1990.06+07)
私の修行体験談(マハー・マーヤ正悟師)冥想―神通力2
No.33(1990.08)
No.34(1990.09)
私の修行体験暝想―神通力3「未来への扉から」マハー・マーヤ正悟師
No.35(1990.10)
【麻原彰晃尊師説法特集】
No.36(1990.11)
私の修行体験暝想―神通力4「神聖な儀式―シャクティーパットの復活」マハー・マーヤ正悟師
No.37(1990.12)
信徒体験談病は癒える“真理は私を病から救った”
信徒体験談未来の扉
サマナの詩「いつか覚者に」マハーカッサパ師
救済のしおり「“パンドラの箱”の底から」ミラレパ正悟師
偉大なるグルの肖像キサーゴータミー正悟師
No.38(1991.01)
私の修行体験談暝想―神通力「一冊のノートから―波野村での出来事」マハー・ヤーマ正悟師
No.39(1991.02)
信徒体験談病は癒える“真理は私を病から救った”
信徒体験談未来への扉
偉大なるグルの肖像プンナ・マンターニプッタ正悟師
救済のしおり「素敵な変身!」ウッパラヴァンナー正悟師
真理ユートピア「変幻自在の世界」マンジュシュリー・ミトラ正悟師
サマナの詩「喜びの日々」ソーナー師
私の修行体験談暝想―神通力「神秘の世界から声が聞こえる!」ヤソーダラー正悟師
真理―光の世界へのいざない「慈悲の光、イシエーション」マハー・ケイマ正大師
No.40(1991.03)
信徒体験談未来の扉
偉大なるグルの肖像アパーヤージャ正悟師
救済のしおり「喜びは薄紅色に染って」プンナ・マンターニプッタ正悟師
真理ユートピア「阿修羅の世界の発明家」マンジュシュリー・ミトラ正悟師
サマナの詩「いつの日かシャンバラに」スバーブ師
私の修行体験談暝想―神通力「究竟の空の境地」ヤソーダラー正悟師
真理―光の世界へのいざない「心の扉を開いて」マハー・ケイマ正大師
No.41(1991.04)
信徒体験談未来の扉
○クンダリーニ・ヨーガ成就者特集救済の序曲1
透明な未来を求めてミッター師
真実の愛をかみしめてウッタマー師
救済の嵐チェータナー師
道クリシュナナンダ師
グルは涙の中にヴァーラナ師
偉大なるグルの肖像ウハー・パールヴァティー・アーチャリー
信徒体験談病は癒える
サマナの詩「魂の楽園」ガンポパ師
No.42(1991.05)
信徒体験談病は癒える“真理はわたしを病から救った”
○クンダリーニ・ヨーガ成就者特集救済の序曲2
遥かなる誓いヴァジラティッサ師
愛のかけらをチャーパー師
空へタントラサンガー師
この愛を微笑みにしてラーシャー師
約束の時マーラー師
信徒体験談未来の扉
サマナの詩「最高の人生」スッカー師
救済のしおり「変身のとき」キサーゴータミー正悟師
私の修行体験談暝想―神通力「供養とカルマの交換」ヤソーダラー正悟師

4 comments

  1. 名無しの大学生 より:

    もう16年ほど前のことなので、記憶が曖昧になっているかも知れないのですが、協力できることがあれば是非連絡を下さい。
    僕としても、大学で心理学を勉強するようになり、今一度見直したいテーマなので、こちらこそお話を伺いたい次第です。

  2. 名無しの大学生 より:

    はじめまして。
    ちょっとした過去の振り返りから、このブログを拝見させていただきました。
    ムクタナンダという名前があったころは、このような構造を認知していなかったのですけど、今こうやって社会復帰して、各種の「オウム」に関する理論を見ていくと、過去の自分に対して新しい見方ができる気がします。
    突然のコメント失礼しました。
    これからも研究・講演を頑張ってください。

  3. 弓山達也 より:

    ご本人からの書き込みということで理解してよろしいでしょうか。
    コメントありがとうございます。気持ちや身辺を整理されているとのこと、お会いしたことはありませんが、ほっとした気持ちでコメントを読みました。何かの機会にお話をうかがえれば嬉しいです。

  4. 出会い より:

    優良出会いサイトだから安心です

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