学会後始末

学会で知り合ったというか、電車の中で再会したミカエルから写真つきのメールがきた。嬉しいことに僕をプラハ中央駅まで送ってくれたヨゼフとのツーショットだ。辞書を引き引き返事を書きながら、ついでに知り合いになった研究者たちに写真を送付し、ふと思った。
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僕は留学経験があるわけでも、英語が達者なわけでもなし、フィールドが海外というわけでもない(むしろ大変ドメスティックな人間だ)。ただ、できれば毎年、少なくとも2年に一度は国際学会でで発表するようにしている。
最初は南アのダーバンで開かれたIAHR(国際宗教学宗教史会議)2000だった。國學院で後の学長となる故阿部美哉先生に偶然、渋谷で会って飲みに誘われ(連れてかれ)、酔った勢いでそのままダーバン行きとなった(その時はダーバンが都市の名前か国の名前かも知らなかった)。当時は国際学会というと敷居が高く、周りも心配してくれて壮行会まで開いてくれたのを思い出す。ただ聴衆は数名だった。
今回、セッションをともにしたマサやカッシーら、同世代の友人達と意識的に海外に発信していこうと決めたのも、この頃だ。僕がダーバンで発表した同じ夏に友人達はASR(アメリカ社会学会)2000でワシントンDCへ。この学会へは僕は翌年のアナハイム大会ASR2001で発表。そのままメキシコで開催されたSISR(国際宗教社会学会)2001を見に行った。この頃のセッションは司会も発題者もコメンテータも、ほぼ日本人で、日本で本番さながらに予行演習を行って旅立ったのが懐かしい。
2001年のASR2001には10名を超える聴衆が来たものの、テーマがカルト関連だったためか、その多くは教団関係者だった。SISR2003のトリノ大会は、さらに日本人度が増し、海外発信路線に翳りが見えた。「苦い思い出」と称してマサは距離を置くようになった。それでも頑張ったSISR2005のザグレブ大会では、最終日ながら、ようやく国際学会の体をなし(聴衆に日本人はほぼ皆無)、今回のライプチヒ大会では、僕らのセッションに海外からの発表者がエントリーしてきた。ヘイランやジュリアがそうした「同志」だし、エリックもガブリエルも僕らの意図を十分に理解してくれている。
国内ではスピリチュアリティというと「そんな浮っついたもんを、、、」とあまり相手にされないが(心ある研究者はその限りではない)、スピは2000年に入っての宗教研究の国際的なテーマであり、10年近く「スピが、スピが」とやり続けてきた甲斐もあったと自負している。今後の課題は、今回、エリックからのコメントにあったように、この問題を世界観や認識論の問題とどうリンクさせるか、そして国際比較だろう。つまり研究に奥行きと幅をもたせること。とてもシンプルだし(だいたい正しいことはシンプルに決まっている)、やり甲斐のあることだ。

2 comments

  1. 時間があるときは絶対みにこさせていただきますね

  2. イマラチオ より:

    これからもファイトですね

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