ニューエイジと救済宗教との間

→1999年6月「救済宗教とニューエイジとの間」(「宗教と社会」学会第7回学術大会ワークショップ)での発題です。


「神父様、私を信じてください」とサンチェスが叫んだ。
「写本はあなたがうちたてたものも、あなたの信仰も、侵害しません・・・・・」
(ジェームズ・レッドフィールド『聖なる予言』山川紘矢・亜希子訳、角川書店、1995年)
1、問題の所在
 このエッセーの目的は現代日本におけるニューエイジの代表的なリーダーとして佐藤初女と大徳寺昭輝という二人の人物をとりあげ、そのメッセージと彼女・彼らを取り巻く言説から、現代の宗教性/霊性を検討し、その救済宗教との連続性と非連続性に言及するものである。なお、救済宗教とは島薗進東大教授の用語であり、彼によれば「人間の限界や悲劇性に対する深い反省とそれに基づく自己抑制、および他者への無私の友愛や同胞愛の理想と文化的貯蔵庫として機能してきた」*1もので、具体的には仏教・キリスト教・イスラムなどの歴史宗教と大部分の新宗教(新霊性運動的なものは除く)を指す。また、参考文献に応じて「精神世界」「新霊性運動」という用語を使用するが、表題のニューエイジと同じものを指すと考える。
 ところでニューエイジと救済宗教との関係については、これまでその非連続性が強調されてきた。先の島薗も、新宗教の特徴の一つである個人主義を背景にした自立主義と大衆主義が進むと「もはや救済宗教の域を超え」、「歴史宗教→新宗教→新霊性運動と、聖なるものに対して個人が自律的に接しうるという信念が強まり、救済宗教から救済宗教ではない宗教、しかしマルクス主義と似て知的体系性をもったユートピア主義的な宗教へと変容していく」*2とする。「宗教と社会」学会という現代宗教に関心を寄せる研究者の集まりで、樫村愛子・福田はるみは、「精神世界が従来の教団宗教とは異なる固有の宗教的構造をもっていること」*3を指摘し、それを教義・組織に関わる脱制度化であると述べた*4。
 このように救済宗教との非連続性がもっぱら指摘されてきたニューエイジであるが、注意深くその運動や当事者の意識を観察すると、組織的も意識的にも救済宗教との連続性が確認できることが少なくない。例えば1995年にティク・ナット・ハンを招聘し、鎌倉の光明寺や伊勢原市の思親会(霊友会系の新宗教)などで彼のリトリート(ウォークング・メディテーション、受戒、講話、オーガニックフーズの食事、呼吸法などからなるセミナー)を実現させたのは、博報堂の社員を中心に浄土宗(総合研究所)と曹洞宗(宗務庁国際課)と新日本宗教団体連合会(事務局)の宗教者のボランティアグループであった。日本で自己啓発セミナーが流行(1980年代末)する前の1970年代後半から、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントの技法を取り入れようとしたのはカトリック*5であった。「完ぺきになれる人なんていないよ。“にんげんだもの”。」というメッセージで、ありのままの自己の受容を主張して人気を博している書家・詩人の相田みつをは曹洞禅の文化と無関係ではない*6。
 本報告では、以下に2人のニューエイジのリーダーを取り上げて、彼女・彼らの宗教性/霊性を検討し、救済宗教との連続性と非連続性を確認してみたい。
2、二人のリーダー―佐藤初女と大徳寺昭輝
 ここでは簡単に彼らの略歴を示し、そのニューエイジャーとしての諸特徴をあげてみたい*7。
(1)佐藤初女と森のイスキア
 佐藤初女(1921年〜)は青森市生。カトリック系の青森技芸学院(現青森明の星高校)を卒業後、小学校教員を経て結婚。30歳代前半で受洗。弘前学院短大非常勤講師を勤めながら、弘前染色工房を主宰し、高校の初代同窓会長や地元ボランティアグループの役員をしていたこともあって、いろいろと人の相談にのることが多くなり、1983年より憩いと安らぎの場として自宅2階を開放する。1992年には岩木山麓に「森のイスキア」を作る。ここでは特別な療法やワークショップなどは一切行われていない。宿泊者は佐藤とともに夕食を作り、一緒に食べ、お茶を飲みながら話をするだけである。ところが、「ここで癒された」「帰りに持たされたおにぎりを新幹線の中で食べて自殺を思いとどまった」という体験談が口コミで伝わり、人が集まり始め、彼女の活動で救われた人は30年間で700人といわれているる。中には過食症など深刻な悩みをかかえる者や不登校児童とその母親、家出をしてきた若者など長期滞在者もいる。
 このことが映画「地球交響曲 第二番」(龍村仁監督/1995年)で紹介された。映画では森のイスキアの春夏秋冬の風景を主旋律に、ダライ・ラマ14世、ジャック・マイヨール、フランク・ドレイクのエピソードが相互に響き合う構成となっている。この映画は商業ベースでは公開されなかったが、全国で上映運動が起こり、今年2月現在までに全国1205ヶ所、約56万人*8が、この映画を観た。そしてこれを機に全国から来訪者がみられるようになった。来訪者は20歳代の女性が多く、佐藤と会うなり、抱きついて号泣する場面もしばしばあるという。また企業などの各種団体*9から取材や講演依頼も多い。
(2)大徳寺昭輝と天命庵
 大徳寺昭輝(本名は伊藤幸長、1963年〜)は東京生。幼少の頃から特殊な力を持っていて、樹木と会話したり、神社仏閣で他の人には見えない老人の姿を見たりしたという。幼稚園ですでに仏典に親しみ、小学生の時には部屋に祭壇をしつらえ、自分用の経本も作ったという。やがてキリスト教を勉強するようにという夢告があり、釈迦が彼の手を引いてイエスにあわせるという夢をみる。中学高校とミッションスクールに通い、自然と友人の心の相談を行うようになり、高校一年の時に日本大学法学部の学園祭で「心の相談所」に呼ばれたこともあるという。
 1981年秋、夢に現れた天理教教祖中山みきに促される形で、ある分教会の信徒として、はじめて本部参拝をするが、その宿泊施設でも神秘体験をする。翌年、ある神社に参拝中、天啓を受け、それから3日間、無意識のうちに天理教の教えを家族に語り出し、最後に「私はおぢばに行かせていただきます」と応えると、この神秘体験は止んだという。
 その後、天理教の信徒教育機関(3ヶ月)である修養科に入る。修了後、アルバイトをしながら一年間、演劇を学ぶ。アルバイト先でも相談を受けるようになり、そして1985年に作家芹沢光治良と出会い、彼の小説『神の微笑』(1986年、新潮社)で「存命の教祖の言葉を取り次ぐ伊藤青年」と紹介される。当時、大徳寺は赤衣を着、毎月8日、18日、28日には中山みきや親神の言葉を取り次ぎ、参拝者一人ひとりに「お言葉」をさずけていた。『神の微笑』が出版された後は、四畳半と六畳二間の川口市営住宅に数百人を越える参拝者が集まり、やがて天命庵と呼ばれる信徒組織ができあがる。筆者が調査をはじめたのは1988年からであるが、参拝者名簿には現職の天理教の教会長や天理大学の教授の名前が含まれ、その多くは天理教信者であった。そして1990年、信奉者からの提供により、湯河原市内の別荘に活動拠点を移し、現在に至っている。
 大徳寺のメッセージは光治良の晩年の小説8作品で描かれ、彼の信奉者の拡大は光治良の一連の小説に負うところが大であることはいうまでもない。逆にすでに引退を表明した文壇最長老の光治良を、再び現役の第一線に押し上げたのも、彼の小説で黒子的な役回りを演じ、しかも実在する大徳寺の存在であった。新聞・雑誌がこの両者の神秘的な関係に興味を抱き、盛んに報道*10をしたこともあった。
(3)ニューエイジャー的諸特徴
 さて、二人は次の点で典型的なニューエイジのリーダーとみなされうるだろう。それは第一に意識変容を重んじる点である。佐藤のメッセージは「おむすびを強く握ったり、ラップでくるむと、おにぎりが苦しいって」「石が重いと、お漬けものが夜重いって言うのが聞こえる」「長かったスリコギがこんなに短くなって・・・、スリコギの命がゴマやクルミを通して体の中に入っているのよね」「残ったものを、同じ姿でまた食卓に出すと、なんかさらされているような気がして、だから手を加えてだすの」*11というようなものである。こうした言葉を通して、全てが生きていることや、来訪者一人ひとりがかけがいのない命を有していることに気づかされる仕組みになっている。
一方、大徳寺のメッセージも同様に人々に意識変容を求めるものである。大徳寺が活動を始めた当初、彼の主張は基本的には天理教の教理を踏襲するものであり、従って、意識変容といってもそれは「八つのほこり」による「心なおし」であった。しかし活動が湯河原に移ってから、徐々に天理教的伝統から脱する志向性が模索されはじめた。1997年に創刊された雑誌『天鶏』(大徳寺監修)巻頭言で、
「二十一世紀の前に
 心が不安になっております。そんな人々の心の開きのために、
 天鶏という言霊をもって
 心開きの時を感じあいましょう。」
と記され、天理教的な「心なおし」とは異なる表現で、意識の変化に主眼が置かれるようになった。活動もコンサートや個展を中心とした芸術活動が加わり、1998年1月から『大法輪』で連載「天の光」が始まると、メッセージには「光」「感じる」「大自然」「生命」という用語が散りばめられるようになった。
 第二にニューエイジの特徴である支持層の組織性の低さが、彼女・彼らの組織に認められる。佐藤の組織は森のイスキアと弘前市内の佐藤宅である弘前イスキアに集う主婦のボランティア7、8名が中心の他にはスタッフはいない。前述の通り、両イスキアにはリピーターも多いが、名簿等は作成されず、組織性は極めて低い。大徳寺の組織である天命庵もボランティアによって構成され、祭典日は数十人が手伝いにくるものの、それ以外の日は数人のスタッフで運営されている。ただ、彼の「お言葉」をテープやそれをワープロで活字化したもののコピーが数多く作成され、これを共有することで一種の連帯感が生じるものの、やはり組織性は低い。
 第三には組織性の低さと関連して、佐藤と大徳寺を取り巻く活動には、葛西賢太が指摘する精神世界に特有な「ゆるやかな共同性」*12という性格が認められる。彼女・彼らのメッセージは映画や小説というマスメディアを通して流布していった。岩木山麓と湯河原の活動拠点に足を運ばずとも、こうしたマスメディアを通しての共同性は確保されうる。だが、同時に二人のメッセージは映画の自主上映という形態や、小説の他にもダビングされたテープや手作りのコピー小冊子による口コミ=ミニコミ的な拡がりもみせている。こうしたネットワークに関わることは多少の草の根運動的な、あるいはボランティア的な努力が必要であり、これが単に同じ映画や小説を体験したという者以上のゆるやかな共同性を醸し出す役割を果たしている。
3、二人のメッセージに見られる宗教性/霊性
(1)メッセージの現在
 ここで二人のメッセージの現在を見ていこう。
 「地球交響曲 第二番」公開後、佐藤のメッセージは『おむすびの祈り―〈いのち〉と〈癒し〉の歳時記』(PHP研究所、1997年)と『朝一番のおいしいにおい』(女子パウロ会、1997年)としてまとめられた。佐藤はもともとカトリック信仰が篤く、2冊の著書からも、こうした宗派意識はうかがえる。だが、佐藤のメッセージは同時に単にカトリックの枠内に留まらない。
「宗教は一つじゃないかなって思うんだけど、これをカトリックに話しすればヨソの宗教に入っていってると思われて、心配してるんだけど・・・」
(宗教間対話の地方集会に出席して)「カトリックも、救世教もみんなひとつのもの。私はカトリックだから、カトリックを中心にもってって神を伝える。私は体験しかないから、体験を通して神様を中心に、神様だったらどうするかを考える。これは、どの宗教にも通じること。きっと神父様あたりが反対することだけど、でもこれが使命。ただカトリックがカトリックだけで固まっていても駄目。カトリックを伝えようとは思わないけど、誰かが会って感じてくださればカトリックが伝わっているんだと思う。」
こうした超宗派意識とともに、佐藤のメッセージの特徴は日常性への回帰にある。ここでいう日常性への回帰は、自分の現状のありのままを受容することであり、そこには自己の至らなさや怒りのような感情も受容していく態度が含まれる。佐藤は言う。
「癒しっていうのは、うけとめることだと思う。ほら、カウンセラーさんは答えを出そうとするじゃない。患者の二倍も三倍もしゃべってて、うけとめるってことをしない。私はうけとめるだけ。そりゃ、困った人が来て、毅然とした態度も必要だけど、まず黙ってうけとめることが必要だと思う。」
「気をくださいって、エネルギーをくださいって、抱きしめてくださいって人が来る。」
「感じることは素直に感じる。腹が立てばもの凄く煮えくり返る。そうすれば疲れて腹が立たなくなる。そして自分の好きなことをして解決していく。心が通えば解り合える。そのまま感じなさいって。」
一方、大徳寺昭輝はどうであろうか。彼は霊感少年から天理教に一時期身を置きながらもそこからの緩やかな脱皮を模索している。現在の祭典でも天理教の「みかぐらうた」が勤められるが、装束は衣冠束帯で磐座を囲み、古神道(自然宗教としての)を意識した形式になっている。講話では「祈りの理はおぢばといおりの二ヶ所に許されている」*13と述べられ、天理教に依存しない方向が示されている。『フィリ』『パワースペース』などのニューエイジ系の雑誌で紹介されるようになり、1997年に発行された著書『光のつむき』(光有堂)では、使われている用語法において「たんのう」「借り物貸し物」といった用語以外は、ほぼ天理教色は払拭されている。そしてそれに代わって次のような主張がみられる。
「光とは生命のことを言います。
 どんな時でも希望と喜びを持って生きてゆけば
 生命の輝きが人生を照らしてくれます。」
「大自然とは神仏であります。
 キリストも釈迦も大自然を師として学び
 大自然をつうじて教えを説かれました。
 大自然こそすべての親なのです。」
「神仏というのは遠い処にいるのではなく、自分自身の中にあります。人を思いやり、 いたわる心そのものが神仏であり、自分自身の中の神仏に出会うための入口が宗教で あります。
 神仏に出会うと、この世すべてが極楽であることがわかってきます。それは、すべて の万物の生命が神仏の生命であることがわかるからです。自分の中にいる神仏に感謝 して生きましょう。」
(2)二人の示す宗教性/霊性
 二人のメッセージや彼女・彼らを取り巻く言説を検討すると、そこには我々が自明としていきた「宗教」とはやや異なる性質のものが認められよう。ここではこれを宗教性/霊性と呼んでおこう。
 彼女・彼らのメッセージを検討してみると、そこにはいくつかの共通点がある。まず第一に自らが依拠してきた宗教的伝統との共存とそれを乗り越えようとする超宗派意識である。佐藤はカトリック信仰を基盤に他宗教にも真理を認め、カトリック教会にこだわらない活動をめざしている。大徳寺は自らのうちに中山みきが入り込んだという自覚を持ちながらも、現在では大自然が神そのものであるという境地に達している。
 第二に二人のメッセージからは自己や自分の感覚への信頼ないしは自己受容の意識が見られる。佐藤は怒ることも含め、自分に素直でいることに重きを置き、大徳寺は神仏は自らの内にいると主張する。
 かかる意識は、他者意識や人間一般に対する意識にも反映され、彼女・彼らのメッセージには、どのような人間でも受け入れることができるという他者受容の主張が常に見られる。実際、二人とも人が集まりはじめると早くから自宅を開放して、これに応えているが、こうした活動は彼女・彼らの主張するところでもあり、これが第三の共通点となっているといえよう。ただ、他者受容といっても、そこが極めて匿名性の高い空間となっていることも付け加えなくてはいけない。つまり「誰でも受け入れる」ことと「誰でもよい」ということとは表裏一体の関係にある。森のイスキアは見方を変えればヒーリング・ペンション(実際料金も決まっている)であり、佐藤と来訪者との関係は、面倒見のいいオーナーと客とのそれになぞらえることができる。また天命庵で大徳寺は参拝者一人ひとりの手をとって話をするが、そこでの関係は街角の占い師や霊能者と客との関係に近い(金銭は介在しないが、数十万円の書画の販売が行われる)。
 第四に、こうした匿名性と関連して、彼女・彼らの宗教性/霊性とマスメディアの関係である。そもそもこの二人を論じる際に留意しなければならないのは、当事者自身は何らニューエイジとしての自覚を持ち合わせていないということである。だが佐藤の出演した「地球交響曲 第二番」は一般にニューエイジ的作品として理解されている。大徳寺もニューエイジ的内容を盛り込んだ情報誌で取り上げられ、「心のアーティスト」*14「いわゆるニューエイジ思想の最良の部分にも通じる」*15と評価される。そして何より大徳寺を扱った芹沢小説は「ヒューマニスティックな内容をヨーロッパ流の合理主義的精神で照らし出す作風で知られる同氏だが、前記二作は同じくヒューマニズムに根ざしながらも、合理主義を越えて極めて“霊性”に満ちた内容となっている」*16と評されるのが一般的である。つまりすでに見たような彼女・彼らの何気ないメッセージに宗教性・霊性を付与するのに、マスメディアの果たした機能は無視できない。
4、まとめ
(1)二人の宗教性/霊性の新しさ
 本報告の目的は佐藤初女と大徳寺昭輝というニューエイジのリーダーをとりあげ、二人のメッセージと彼女・彼らを取り巻く言説から、現代の宗教性/霊性を検討し、その救済宗教との連続性と非連続性を確認するものであった。これまでの議論をまとめてみよう。
 二人の示す宗教性/霊性には、(1)自らが依拠してきた宗教的伝統との共存とそれを乗り越えようとする超宗派意識、(2)自己や自分の感覚への信頼ないしは自己受容の意識、(3)そしてそれに基づく「匿名化された」他者の受容、(4)マスメディアによる流布という特徴が確認された。本報告ではこうした二人の宗教性/霊性を、それまでの「宗教」とは異なる新しいものとしてとらえている。この視点から今一度説明してみよう。
 彼女・彼らにとって、自らが依拠してきた宗教的伝統(聖地・聖典・儀礼・・・)だけが、いわゆる「聖なるもの」を顕現しているのではない。ここであえて旧来の「聖なるもの」という用語を使うなら、それは二人にとって宇宙に遍在するものとして表象される。「全てにいのちがある」(佐藤)とか「大自然が神仏である」(大徳寺)という主張はそれを端的に示す。もちろん、こうしたことから全ての宗教は真理であるという宗教観が出てくるといえる。そして自らや他者もこうした宇宙の一部をなしているという意識から、自らの内面性や他者に対する素朴な信頼ないしは受容が主張され、実践される。
 だが、ここまででは絶対者との合一や「聖なるもの」の内在性と超越性をともに認める神秘主義とそう変わりはない。しかしながら、「全てにいのち」「大自然に神仏」を感得する彼女・彼らの意識には、一人ひとりの人格や個性はそれほど重要ではなく、他者の匿名化がもたらされている点は現代的であるといえるだろう。そしてだからこそ、人格的な対面状況を経ずとも、映画や小説などのマスメディアを通して、あるいはトークショーやコピーで自らのメッセージの伝達が可能になるという信念が生じうるのである。そしてこうした信念は、彼女・彼らの際立った特徴というより、二人を受容する者たちが多かれ少なかれ共有しているものであり、ここに先の「ゆるやかな共同性」が成り立ち、このような一群が現代世界の宗教性/霊性を形作っていると考えられるのである。
(2)二人の宗教性/霊性と救済宗教との連続性と非連続性
 もちろん、こうした状況の背景には、これまでニューエイジ研究者が明らかにしたように、情報化の進展や個人主義の浸透や豊かな社会の一般化などが、促進要因としてあることは間違いなく、進行する社会変化に順応する形でニューエイジはとらえられるかもしれない。そのためある種、新奇に見えるニューエイジであるが、当事者はむしろ先行する伝統的な救済宗教との連続性を意識しているばあいが少なくないことを最後に示したいと思う。
 本報告で取り上げた二人についていえば、彼女・彼らの意識はそれぞれカトリックと天理教という救済宗教の伝統に根ざしている。超宗派意識が認められるものの、その伝統を批判・凌駕するという志向性は希薄であろう。佐藤は森のイスキアで人々を迎え、食事をともにするのは新約聖書*17に基づいているという。大徳寺も信仰活動の重要な起点は中山みきの言葉を直接聞いたという体験であった。その意味で彼女・彼らは「熱心な」救済宗教の担い手とさえいえる。
 しかし実際は彼女・彼らは救済宗教からはずれた「新奇なもの」とみなされやすい*18。それはもともと二人が救済宗教の周辺的・個人的運動として出発したという経緯があるだろう。だが、それ以上に「全てにいのちが」「大自然が神仏」であるという意識が救済宗教の教団権威の布置を乱し、そのヒエラルキーに抵触するということもあげられる。しかも救済宗教の組織や制度に関心を示さない彼女・彼らの主張と行動は、救済宗教内の反体制勢力からは教団草創期の雰囲気とダブってみえて歓迎されることもある。彼女・彼らに限らずともニューエイジには、神社神道以前の古神道、キリスト教伝播以前のケルト文化、弥生的な農耕定住以前の縄文的霊性など、成立宗教以前の宗教性を奉じる超古代史的あるいは太古回帰的な傾向がある。が、こうした主張は教団側からは「新奇なもの」警戒されることとなる。
 いずれにせよ、宇宙の全てに「いのち」「神仏」を実感することによって、彼女・彼らは一方で自らが救済宗教に連なっている感覚を有するのであるが、それは他方、この二人を教団内で常に「新奇性」を帯びた存在としているのである。
*1島薗進『現代救済宗教論』青弓社、1992、p.12。
*2同上、p.23。
*3樫村愛子・福田はるみ「個人インタビュー調査から見た「精神世界」の宗教性と社会性」『宗教と社会』別冊(1998年)、1999、p.29。
*4確かに救済宗教との相違やこれを超克するという意識は、ニューエイジの当事者にも看取でき、例えば典型的なニューエイジの著作である『聖なる予言』においては、人間の霊的な進化を予言する写本を長らく封印し、その解明を妨げる敵役としてカトリック教会が登場することは、極めて象徴的であるといえよう。
*5シスターが個人的に導入を試みたセミナーもあれば、イエズス会のチョイスやフランシスコ会のSister and Daughter Encounter(SaDE)といった修道会内でマリッジ・エンカウンターを応用して作られたプログラムもある。
*6ちなみに本報告冒頭の引用は、霊的進化に目覚めたサンチェが、それを阻害しようとする神父に対して、ニューエイジ的信念とカトリックの信仰が何ら矛盾しないばかりか、イエスこそが霊的進化を望んだのではないかと問う場面である。
*7佐藤に関しては『東奥新聞』1995年8月23日、11月25日、大徳寺に関しては大野陽子『神は降りたのか―伊藤幸長氏にみる「啓示」』アメニティ・サイエンス、1991、pp.13-25、稲葉小太郎「神様の言葉を伝える伊藤青年」『大法輪』62-10、1995、小山博史「現代ニッポン癒しの現場12 心のアーティスト大徳寺昭輝」『パワースペース』21、1995を参照。
*8現在でも月に10ヶ所前後の上映がなされている。なお、「地球交響曲 第一番」は全国1478ヶ所、60万人、「同 第三番」は全国 632ヶ所、26万人の動員である。また1997年1月に「映画「地球交響曲」に共鳴し、そのことをきっかけとして、豊かな地球環境を守り、未来の新しい文化を築いてゆきたいという人々の心を支援する集まりです。「人と自然のより良い関係」をテーマに、老若男女を問わずひとりひとりの心と身体が元気になるような企画をあらゆるジャンルを超えて展開してゆきたいと考えています。」という主旨でガイアネットワーク新宿が誕生し、映画やトークショウを中心に毎月何らかの活動を行っている。維持・運営に関しては「当ネットワークは、出入り自由のやわらかなネットワークです。本会の経費は、各イベントの参加費、その他をもって充てます。会費制ではありません。本会の活動によって得た収益金の一部を寄付するものとします。寄付先は会のミーティングによって決定いたします。」とし、収益の一部を障害者施設に寄付している。同ネットワークのホームページ(http://www.gaia.to/)を参照。この他、同趣旨の団体として映画制作会社のオンザロードが取りまとめるガイアネットワーク(会員数1万以上)があり、自主上映の地域活動を行っている。
*9例えば資生堂やNTTの他、修養・健康団体(実践倫理宏正会、船井幸雄総合研究所、自然治癒力研究所)、学校関係や宗教団体(日蓮宗、崇教真光、立正佼成会、世界救世教、新日本宗教団体連合会)など。
*10例えば『静岡新聞』1986年8月3日、『毎日新聞』1989年10月4日、『週刊朝日』1992年7月10日、『東京新聞』1992年9月1日、『山陰中央新報』1994年2月10日、『東京新聞』1996年5月14日など。こうした記事のコピーが参拝者によって配布れている。
*11 1995年11月29日、森のイスキアでの聞き書き。以下の佐藤の発言もこの時のものである。
*12葛西賢太(「「精神世界」を支持する〈ゆるやかな共同性〉」『宗教と社会』4、1998、pp.134-138)は、「ゆるやかな共同性」の特徴として、?現代人の思考様式に影響を及ぼすような広範なメディアの増加、?よく似た内容を持つ諸説が諸地域に「同時多発」しているようにみえる状況、?コピー・ワープロ・ファックスといった新しい機器のによる情報発信、?情報発信者は情報編集者(センスの良さ)、?全体を統括する機関がないか、または弱い、の五点をあげている。
*13 1998年7月18日天命庵での聞き書き。
*14児山、前掲、p.104。
*15稲葉、前掲、p.85。
*16『中外日報』1988年11月18日。
*17「あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」(ガラテア人への手紙3-28)、「日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良いことはないからである。それこそは日の下で、神が賜った命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである」(伝道の書8-15)。
*18佐藤は「神父様は〜と思われるかもしれないけど」が口癖で異端とみなされることへの抑制が働いているが、報告者が森のイスキアを訪れた際に同席したある神父は佐藤の活動に異端的なところがないかという関心から来ていた。大徳寺はその活動によって1992年10月9日付けで天理教から懲戒・除籍処分となった

2 comments

  1. 通りすがりの者 より:

    ヤフーで、次の言葉で検索すると出てくる次のブログ
    ・一般法則論
    いわゆる神の存在証明が意味することについて

  2. I.K より:

     よくまとめておられると思います。
     大野陽子さんの本は、絶版どころか出版社も潰れて
    存在しないようですが……。
     実際、天理教より、親神の思いを理解するのはかなり難しいと思います。
     天命庵は、天理に戻る目的が果たせず、「戻らない」との発言もありますが、啓示では……。
     天理は「この世を治める道」です。
     各宗教.団体の役割は充分果たして頂きたいですね。

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