自己実現の〈学び〉をどう構築するか―プロジェクト型講義の実践

→任期制特任専任講師として教えはじめ、折しも大学のFD関係の会議が始まり、自らも講義スタイルの見直しを迫られました。そのような時に双方向じゃないんだ!というコンセプトをしたためたものです。『大学時報』(274号、2000年9月号)所収。
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一 問題の所在―「勉強」から〈学び〉による自己実現へ
 私たち大学の教員の多くは、教員になる前に、またはなった後にも、専門教育における教授法や学生の指導に関して適切な訓練を受けていない。また、講義運営に関して愚痴はこぼすことはあっても、それを向上させるべく自分の講義スタイルを体系的かつ組織的に検討したこともないのではないだろうか。このような怠惰な「先生」と、入試という学業最後の難関を越えてしまった学生が織りなす講義がどのような状況になるかは、容易に想像できる。このレポートの目的は「魅力ある講義」の構築に向けて、私の試行錯誤を報告し、そこでの成果と課題について議論を共有することにある。
 具体的な報告の前に私が担当する講義の戦略について説明しておこう。大学の講義にはさまざまな目的がある。豊かな教養を身につける。専門知識を習得する。資格を取得する。・・・ 本講義の戦略は、学生を「勉強」から解放し、本来の〈学び〉に気づかせ、そこから自己実現に向かわせることである。入試や高校までの授業にゆとりができたというものの、わが国で二〇歳までの青少年の強い関心事の一つは受験にあることは間違いない。そこでは授業が、教員と生徒のエネルギーが、テストと入試という最終目標に向けて収斂されていく。
 受験生にとって「勉強」とは、文字通り「勉め強いる」ことにほかならない。彼らが大学入学後、この「勉め強いる」ことからの開放感に酔いしれることがあっても仕方のないことであろう。そしてむしろ重要なことは、大学で学生を迎える教員側が、彼らの「学ぶ」=「勉強」観を粉砕し、〈学び〉の本来の姿に気づかせることにあるのではないか。
 ここでいう本来の〈学び〉とは、〈知〉を学生自身が掴み取ることであると私は考えている。情報化社会といわれて久しい今、情報は氾濫しているが、それに比べて一人の教員が伝えられる情報は限られている。テキストを自分で読んだ方が、インターネットで検索した方が、同じ時間、一人の教員のお喋りにつき合うより、はるかに多くの情報量を入手できる。学生が大学の講義に魅力を感じないのには、いろいろな理由があるだろうが、一つにはこの「講義の物足りなさ」にあると言っていいだろう。
 では、講義における情報量を多くすればいいのだろうか。違う。講義で情報を伝えるという発想自体を破棄しなければいけない。つまり〈学び〉とは、情報を授けたり(「授業」という語がそうした発想に縛られている)、与えたりすることではない。〈学び〉とは、学生自身が溢れる情報の中から必要なものをどのようにして的確に見つけだし、それをどう加工して、他者に効果的に表現するよう工夫・体得することである。言い換えれば、〈学び〉とは彼らがどう〈知〉を自らの手で掴み取るかにかかっているのである。
 「勉強」の呪縛から解放され、自ら〈知〉を汲み取るツールと楽しさを身に付けたとき、学生は大きく成長する。否、「授業」に隷属した「生徒」から、自律した「学生」に変貌すると言った方がいい。私が〈学び〉によって自己実現を果たすというは、この姿を念頭においてる。
二 双方向型講義からプロジェクト型講義へ
 では、こうした講義での教員の役割は何であろうか―それはコーディネーターとしての役割である。このことを私の講義「現代人と宗教」(一年生選択必修・受講者八〇名弱)を例に説明してみよう。本講義は以下の特徴を有する。?複数教員の同時登壇による双方向型講義の追究、?会議と調査によるプロジェクト型講義への移行、?プレゼンテーションの重視と学生による自己採点である。
(1)双方向型講義の追究
 本講義の前期では、いわゆる双方向講義が追究される。八〇名弱という受講者は双方向型には適した人数ではないが、それを複数教員の同時登壇やレポート添削などでカバーする。ほぼ毎講義、ゲストスピーカーの招聘か視聴覚教材の使用を行い、そこで学生が小レポートを執筆し、それに対して教員がコメントをして、教員が喋って終わりになることがないように工夫をする。
           ○
(教員) ◎ →→  ○ ○
    ↓↑→→→○ ○ ○(学生)
      ◎→→→→ ○ ○
           ○
【パターンA】
          ○
       →→  ○ ○(学生)
(教員) ◎→→→○ ○ ○
       →→→→ ○ ◎(教員)
           ○
【パターンB】
 「魅力ある講義」として視聴覚教材の利用が指摘されるが、本講義では複数教員の登壇が効果的であることがわかった。一つのテーマに関しては異なる意見が展開されたり、時には「○○さんはこう言ったけど、僕は××と思う」という物言いに学生は関心を示す(パターンA)。また、教員の一人が学生に混じり、そこからもう一人の教員に質問したり、意見をいったりすることも、学生、特に一年生が質疑応答の仕方を実地に学ぶうえで重要である(パターンB)。
(2)プロジェクト型講義への移行
 だが、双方向型では学生自らが〈知〉を掴み取り、自己実現を果たすには、まだほど遠い。そこで、求められるのは後期におけるプロジェクト型講義への移行である。これは、学生が共同作業(プロジェクト)を通して、自分たちが考えていること、自分がやったことを形に表して相手に伝える場として講義を位置づけなおすことである。
 ここでは教員は講義を行わない。出席もとらない。成績は学生たちが話し合ってつけることになる。しかし学生は講義時間の何倍もの準備時間を費やさなければならないこと、調査にかかる交通費や資料複写代などは自己負担であることが改めて明確にされる。さらに「君たちは授業を受けるためではなく、いい仕事をするために、ここにいるのだ」ということが宣言され、発想転換が強く求められる。こうして受講者が八つのグループに分けられ、講義時間はこのグループの会議・発表の場となり、受講者は発表に向けてエネルギーをグループ活動に傾けなければないよう鼓舞鼓吹される。
 「いい仕事」をするため、そして彼らのモチベーションを高めるため、本講義では前期中から幾度となく「講義で何をしたい」のかに関するアンケートをとり、それに従って後期のグループ編制を練り上げてきた。最小三人、最大一五名のという大きくバランスを欠いたグループ編制であったが、彼らの第一希望を優先し、そのようにした。後期は試験期間のコマを含めて全一三回の講義のうち、グループ会議三回、プレ発表一回、発表八回、学生による講評一回が行われた。この際、学生のプロジェクト活動に向けて教員は気をつけなければいけない点がいくつかある。
 まず第一に、教員は学生のグループ活動を最大限支援しなければならない。グループエンカウンターでよく用いられる効果的な自己紹介の仕方や名簿作りに始まり、携帯・PHSの番号の交換の示唆、リーダーや連絡係の設置と彼らの精神的フォロー、会議場の確保など。多くの学生が他者交流が苦手であるということを教員は十分に意識しなければいけない。
 第二に各グループに研究課題の設定、調査、発表まで全行程を任せるものの、基本文献の紹介、適切なアドバイスは欠かせない。前年度の学生の作成したレジュメがあれば、一年生は発表のイメージを作りやすい。また本講義では調査先の設定に関しては、安全性と有効性に鑑み、学生の要望からいくつか教員が候補を出して、彼らがそれを選ぶという形態をとった。
 第三に調査は文献調査やインターネット検索で得た知識より、フィールドワークで得たそれを重視する。これは後述するように、学生が自ら〈知〉を掴み取ったと実感するために重要な指導である。
 第四に講義以外の時間に会議・調査を行うことなり、そのため教員は携帯・自宅の電話番号、メールアドレスを告知し、いつでも学生が相談できるようにする。調査には教員が同行するか、同行できなくても先方と事前・事後の連絡を密にしなければならない。
 このように学生は自分たちが何を知りたいのか、そしてそれを知るためにはどこに行けばいいのか、そして自分たちが知ったことをどのようにすれば他の人に伝わるのかについて、何度となく議論を繰り返すことになる。プロジェクト型講義では、学生と教員との交流は二次的なもので、学生相互の交流が中心である。前述のように教員はコーディネータに徹し、企画の立案から評価に至るまで全て学生が行うための黒子になるのである(パターンC)。
           ○
      ◎→→  ↓↑  ○→○(学生)
(教員)↓↑→→→○ ○   ○←○
      ◎→→→→
      →→  ○ ○
           ↓↑         
           ○
【パターンC】
(3)プレゼンテーションの重視と学生による自己採点
 こうして本講義では宗教者へのインタビュー、宗教教育に関する高校生千人規模のアンケート、都市祭礼の参与観察、ホスピス、宗教系・非宗教系ボランティア団体八カ所の比較などが行われた。発表ではインタビュー映像、ガン患者のショート・レクチャー、学生自身の体験談などの工夫が凝らされることとなった。
 また本講義では、発表に関して講評を行う学生グループを形成し、彼らは評価基準の明確化、調査同行、発表に対するアドバイスに携わった。最終的にはこの講評グループが各グループの評価を行い、これをもとに各グループの代表と講評グループの協議によって、学生一人ひとりの評価をつけた。ちなみにこうしてつけられた評価は教員が備忘録でつけていた評価とほとんど変わりがないばかりか、むしろ教員のものより厳しく念入りに行われた。
 学生が自分たちで評価をつけることには大きな意味がある。それは成績に対する発想の転換である。彼らは、教員のほどこす点数をできるだけ多くとることが重要なのではなく、「いい仕事」をすることの重要性に気がつく。そして、ここから教員が出席をとるから講義にでるのではなく、「いい仕事」をするためには講義はもちろん、それ以外にも会議は調査をしなければならない必要性を認識する。テストやレポートがあるから「勉強」をするのではなく、「いい仕事」を通して、そこからものを学ぶのだという発想に変わることができれば本講義は大成功といえる。
 なお、本講義は二年一サイクルとなっていて、受講生は二つのクラスに分かれて、教員がそれぞれのクラスを担当している。現在、両クラスではで前年度の調査を振り返りながら、それを学的なフレームに位置づけるべく文献購読を進め、再度、一つにテーマを絞って調査を行い、後期のプレゼンテーションに備えている。
三 プロジェクト型講義の成果と課題
 本講義をを通して、学生はテキスト講読型や双方向型だけの講義とは異なる何かを学んだようである。彼らは、どのように知識や情報を獲得・処理すれば説得的なアピールができるのかを、かなり具体的に知ることができた。
 例えば今回「カルト」と「マインドコントロール」という同じようなテーマを扱った二つの班があった。一つはインターネットから大量の情報をダウンロードして発表し、もう一つは元信者一人にビデオインタビューを実施した。この際、受講者の反応ははっきり異なり、そしてなによりも前者の発表者たち自身が質問に答えられず、データをダウンロードしただけ「知」の脆弱さを思い知ることとなった。
 もちろん書籍やインターネットから知識や情報を得ることは必須であるが、それだけはない生きた〈知〉のあり方に学生が気づく一助となったと思う。また、文献の探し方、アポの取り方、電話のかけ方、会議の仕切り方、調査協力者へのお礼など、学生は今後の学生生活・社会生活に役立つツールやテクニックを身につけることができ、この体験が彼らの自信に結びついたと私は確信している。
 そしてこの過程で彼らが得た達成感も無視できない。本講義ではレポートは添削して返却し、発表に関しては総合的な講評がなされ、学生たちは自らの手で自分たちの成績をつけた。こうした彼らの「仕事」に対するその都度その都度のレスポンスは、講義参画にある種の手応えを産み出したに違いない。
 また全てのグループで、当然のことながら膨大な準備時間が求められ、ほとんどのグループで発表前日の泊まり込みの準備が行われた。「脳の今で使わなかった部分を使った」と述懐する学生。「卒論よりきつかった」と語る四年生。本講義を通して友人や自分の居場所ができたという学生が少なからずいる。そうした学生は本来の〈学び〉の有する楽しさに気がついたことであろう。
 だが、このプロジェクト型にはいくつかの問題点がある。それは講義全体が学生主体で流れ、また「学ぶ内容」よりも「学び方」に力点が置かれることに起因する。そのため自分が調べてきたことが、学的枠組みのどのあたりにあるのか学生は十分に把握できない。例えば祭りやホスピスを調査して、それが宗教研究の中にどう位置づけられるかということに対して、十分に理解できた学生は少ない。
 またグループを細分化したために、教員二人でも十分に指導ができなかった。例えば千人規模のアンケート調査をする場合、初歩的な調査法をもう少し知っていれば、もっと良い結果が得られたに違いない。ただし、二名の教員の指導には限界があり、TAなどの制度が使えれば、さらに良い講義が実現できると思う。
 さらに他者とのコミュニケーションや学外での活動を重視する講義であったため、こうしたことが苦手な学生、自分の時間がとりにくい学生にとっては、苦痛を強いられる講義になった。
四 最後に
 いつのころからか、学生が大学に帰属意識を抱かなくなった。帰属意識がないから、大学がつまらない。つまらないから帰属意識が生まれないという悪循環をどこかで断ち切らなければならない。そしてもう一つ。前述の通り、学生は単位や成績のために「授業」に出る。だから「授業」が苦痛に感じられる。苦痛だから、取りあえず単位だけ貰うために嫌々「授業」に出るという悪循環にもくさびを打ち込まなければならない。
 プロジェクト型講義はこうした帰属意識の希薄さと単位のためだけに出る「授業」意識を克服する力をもっていると私は考えている。私たちは、学生によるテキストの要約と教員のコメントだけで双方向の交流がなされたと勘違いしたり、あるいは「何か質問はありませんか」を連呼してお茶を濁したりしてはいないだろうか。教員は学生に「いい仕事」をさせ、学生が〈知〉を自ら掴み取り、そこから自己実現できるように導いていかなくなくてはいけない。講義が自己実現の場となれば、大学への帰属意識は高まり、学生は進んで講義にでるだろう。年度がかわっても講義の内外で相互に交流を持続し続ける一群の学生に関しては、私のサイト(URL:http://homepage1.nifty.com/yumiyama/)にある学生用掲示板を参照していただきたい。
 もっともプロジェクト型講義における具体的な講義運営や専門教育との接合など、課題は山積みである。例えばプロジェクトを隠れ蓑に手際よくサボる学生をどうすればいいのか。初等・中等教育におけるクラス運営の仕方にも学ぶべきものが大であるとも考えているし、ディベートや会議の仕方などの社員研修にもヒントはあるようだ。大方のご批判を頂戴し、今後、議論が共有できれば幸いである。

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