日本宗教学会でパネル

学会というところは、個人発表がメインだが、最近はパネルディスカッションやワークショップも行われることが珍しくない。この学会でも18のパネルがあり、そのうちの一つは僕が代表となった。登壇者は下記の通り。
■現代スピリチュアリティ文化の解読
 弓山達也:現代スピリチュアリティ文化の明暗
 樫尾直樹:スピリチュアリティの存在論的構造
 渡辺光一:宗教対話実験と意識調査からみた日米スピリチュアリティの実情
 安藤泰至:問いとしてのスピリチュアリティ
 島薗進:コメンテーター
島薗先生が、いい意味でばっさり切り捨て御免でコメントしてくださったお蔭で議論は盛り上がった。常時40〜50名の聴衆で30分は議論したな。関心がある方は[続き]をクリックしてください。『宗教研究』用の報告があります。
最終日は、午前中にこのパネルと、午後に司会を3人担当して、かなりくたびれた。浅草で所属大学の打ち上げをやって、帰ったのは午前様だった。


一九九八年のWHOの健康定義の変更議論は、スピリチュアルな次元・側面への関心に目を向けさせた。それから一〇年たった今、医療・看護の枠を超えて、社会のさまざまな場面で「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」に関する情報があふれ、報道によれば「スピリチュアル」は「空前のブーム」であり、それは上記の医療・看護現場の提唱者が困惑するほどの多様性を示している。
こうした状況を前に、宗教研究に求められ、また本パネルにおいて追究しようとしたことは、対応する報告者の氏名を記すと、かかる運動/文化・概念の整理と研究戦略の構築であり(弓山・樫尾・渡辺・安藤報告)、応用・実践的な観点からスピリチュアリティ文化の担い手・市民との対話・協働の模索であり(弓山報告)、現代世界に広がるスピリチュアリティ文化の国際比較であり(渡辺報告)、研究者自らの実存的な内省(樫尾報告)である。
四名の報告に対して、コメンテーターの島薗は、かなり根本的な批判を投げかけた。すなわち弓山(超越性×組織性)・樫尾(宗教と倫理×強弱)・安藤(「問いとしてのスピリチュアリティ」という戦略あるいはスピリチュアリティの三つの使われ方)がいうスピリチュアリティ文化なり概念なりの分類にどれほどの意味があるのか、そして渡辺の統計分析が「新しいスピリチュアリティ文化」を指し示しているのかという疑義である。弓山・樫尾・安藤のリプライは、基本的に島薗による批判を受け入れつつ、自説を補足するものであった。島薗が、「渡辺の調査では、AAなどを典型例とした新しいスピリチュアリティ文化に比べて、オーソドックスなキリスト教あるいはペンテコステ的な感情的、身体的、時には御利益的な信仰のみが対象となっていないか」と質問したのに対し、渡辺は「調査の分類軸は地図のように様々なスピリチュリティ性を含んでいるが、オーソドックスな信仰の評価基準データが実際に高い」と回答した。
フロアーからの質問は、?渡辺が定式化した「教団外スピリチュアリティよりも伝統宗教信仰」という図式に関するもの、?その延長線上でスピリチュアルケアの有効性に集中した。さらに?スピリチュアリティへの研究者の関わりについても議論が行われた。
?に関して、3つの分類軸(教団組織の倫理性、超越志向、利益信仰)と5つの評価基準(社会的・精神的満足度、安定性、協調性、コンセンサス)の関係について、渡辺から統計データ分析を用いた説明がパワポでなされたが、フロアー側としては、やや消化不良の感は否めなかった。その延長に?のスピリチュアルケアに関する実践者からの補足説明や安藤への質問もあった。安藤はケアの現場で苦しみを「スピリチュアルペイン」として疎外するあり方への疑問を述べ、「これまでにやってきたこと」への再評価を強調した。?については、フロアーやパネル終了後に弓山の教団寄りの発言、樫尾の独自の「宗教哲学」の開陳にも異論が出された。
弓山や樫尾は実践や宗教界との協働にスピリチュアリティ研究の活路を見いだそうとしている。安藤は「スピリチュアルケアに〈なる〉」生成や場に注目している。渡辺は証拠に基づいた(evidence based)スピリチュアリティ研究を目指している。異なる志向性が交錯するとことに本パネルの価値があった。

4 comments

  1. グリー より:

    また来るのでよろぴく

  2. エロ より:

    好きな条件で逆援助ができる

  3. 今年一年みなさんにとって良き一年となりましたか?私は随分と早い一年でした☆ほんとあっという間(^’^)

  4. 時間を有意義につかうことができました

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