遅刻に関する新解釈

非常勤の東大で、どうも毎回受講者と飲み食いをするような感じになっている。暗くなり、何となく出入り口に受講者がたむろっていると、「どっか行くか〜」と誘いたくなる。そのために来ている某財団職員もいる。
さて、会場となった正しい居酒屋であるところの加賀屋本郷店で講義を遅刻した受講者が僕の斜め前に座ったのだが、これまた正しいホッピーの飲み方を伝授し、しばらくしてから遅刻に対する苦言を呈してみた。すると、
「遅刻をしてでも、講義を聴きたい」
との言。うーん、どうしたものか。常々、自戒を込めて(僕は到着時間には遅れないが原稿は遅れる)遅刻の罪深さを説いてきたが、そうか「遅刻をしてでも、講義を聴きたい」のか、、、
「出席チェックのために講義に来てはいけない」とか「成績のために勉強してはいけない」というのが僕の持論(つまり出席や成績が目的になると学びが矮小化される)だが、確かに講義では出席をとっていないから、出席チェックが目的なのではない。にも関わらず遅れて来て、さらに飲み会まで来ようというのは「遅刻をしてでも、講義を聴きたい」ということか。嬉しいやら、何か主張が切り崩されるような恐怖というか、不思議な気持ちである。

2 comments

  1. 馨子 より:

    私の大学の同級生にも、中高の時の英会話の先生に言われた
    ”Late is better than never!”
    という言葉を頼りに、毎回遅刻しても授業に来ている人がいました。
    個人的には、出席点をつけない方式にしていらっしゃるからこそ
    「遅刻してでも話を聴きたい」
    という方がいらっしゃるところに、先生の授業の価値があるように思います。
    これが出席点をつけていらっしゃる授業だったら、
    話は全く逆になると思うのですが☆

  2. 弓山達也 より:

    件の受講者は馨子さんの後輩にあたられる方ですから、貴学の「よき伝統」なのかもしれませんね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*