現代スピリチュアリティ文化の明暗

2008年の日本宗教学会第67回学術大会でパネル「現代スピリチュアリティ文化の解読」を主催し、そこで「現代スピリチュアリティ文化の明暗」という問題提起をしました。
弓山達也:現代スピリチュアリティ文化の明暗
樫尾直樹:スピリチュアリティの存在論的構造
渡辺光一:宗教対話実験と意識調査からみた日米スピリチュアリティの実情
安藤泰至:問いとしてのスピリチュアリティ
島薗進:コメンテータ


1,スピリチュアルブーム
 「スピリチュアル」がブームだという。守護霊やオーラが見えるというスピリチュアルカウンセラーの江原啓之(島薗他2008、堀江2008)のテレビ番組は土曜日のゴールデンタイムで視聴率10%を超える人気で、『朝日新聞』は2007年1月1日のテレビ・ラジオ特集冊子の第一面ほぼ全てを使ってカラーで彼の番組「オーラの泉」を取り上げたほどである。彼の著書65冊は700万部の売り上げといわれ、コンサート活動では数万人を動員するに至っている。
 「スピリチュアル」をめぐっては、クリスタルをはじめとする鉱石や気を高めるグッズ、アロマテラピーや岩盤浴などのリラクゼーション、古代遺跡や神社仏閣などのパワースポット、手かざしやマッサージや波動を用いた病気治し、心理分析や性格判断、占いやまじないなど、数多くのアイテムが雑誌などで特集となり、次々に消費されていっている。こうした「スピリチュアル」の技法やグッズを集め、「癒しとスピリチュアルの大見本市」のスローガンで、「すぴこん(スピリチュアル・コンベンション)」と呼ばれる1日または2日のイベントが、2002年11月6日より開始され、現在では1年間に全国65会場、年間11万人の参加者を集めている。
 このような目に見えない何かに注目が集まる風潮は、古くは明治末から大正期、1970年代中期のオカルトブーム、1990年前後のヒーリングブームがあったが、昨今の「スピリチュアル」に対する関心の高まりは、それらをしのぐものかもしれない。本報告では、こうした動向を整理しつつ、現代スピリチュアリティ文化の明暗について論じていくものである。
2,スピリチュアルブームへの警戒
 現在のブームにつながる「スピリチュアリティ」に関する注目は、1998年の世界保健機関(WHO)執行理事会が「健康」定義に、従来の身体的・精神的・社会的とならんでスピリチュアルな側面を加えようとしたことを、一つの契機とみとみてよい。日本ではターミナルケアの分野で主に1990年代後半より、「スピリチュアリティ」「スピリチュアル」の語は普及し始め、1998年にカトリック司祭によって久留米で臨床パストラルケア教育センターが、次いで2006年には高野山大学にピリチュアルケア学科が新設されている。
 こうした医療・看護分野で注目を集めた「スピリチュアリティ」が、今のような形でグッズや占いやリラクゼーションとしてマスコミに取り上げられたのは、ここ数年のことである。前述のすぴこんは2002年の開始であるが、2003年は6回の開催、2004年は12回、2005年が27回、2006年が42回となっている。また江原啓之が出演する「オーラの泉」が深夜30分番組として放映されたのが2005年4月であり、10月に60分番組に拡大、2007年4月から20時台のゴールデンタイムに昇格となっている。
 しかしスピリチュアルブームをめぐってトラブルや苦情も多く、警戒心が高まっている。統一教会の霊感商法やカルト問題に取り組んできた全国霊感商法対策弁護士連絡会は、「スピリチュアル」やヒーリングのブームに乗じ、前世占いや開運相談と称して高額の支払いを迫られるケースが急増しているとして、2007年12月4日に電話による相談窓口「スピリチュアル・霊感被害110番」を開いた1。
 国民生活センターでは、「先祖のたたり」「不幸から免れるため」を脅し文句に、印鑑や数珠などの商品を売りつけることを「開運商法」と呼んでいる。そして同センターの「生活ニューネットマガジン」では、霊力、オーラ、運勢などを謳って数十万円の商品を売りつけた相談が頻繁に報告されている2。
 テレビ番組への苦情も多い。放送倫理・番組向上機構(BPO)は、毎月のように関連番組への批判が寄せられていることを報告している。日本民間放送連盟放送基準にある「非科学的な迷信や、これに類する(略)運命・運勢鑑定、霊感、霊能等を取り上げる場合は、これを肯定的に取り扱わない」に抵触しているという指摘や、子どもたちへの悪影響を心配するもの(人生をリセットしようと自殺をしてしまうなど)等である3。
3,現代スピリチュアリティ文化の明暗
 こうしたブームとなったスピリチュアリティ文化の見取り図を示すことは容易ではないが、便宜上、組織性の高・低(個人性)と超越性の高低を掛け合わせると左記の図のようにまとめることができるのではないだろうか。つまり、江原や注1にある「大規模な特定の教団に所属しない街の占師や気功師」は、超越性は高いものの、宗教の有する組織性は低い。1980年代に広く一般化する精神世界の流れをくむ体験型心理セミナーやワークショップの多くは株式会社やショップの形態をとり、組織性はあるが超越性は低い。書店やメディアを通じて消費されるLOHAS、自己啓発本、癒しの技法など個々の気づきを求める思想や実践は組織性も超越性も低い。
 こうしたここ数年の現代スピリチュアリティ文化と、1990年末に注目を浴びた「スピリチュアリティ」には大きな隔たりがある。とりわけ医療・看護現場でスピリチュアルケアを推進してきた当事者たちは、昨今のブームに違和感があるという4。こうした違和感をいくつかに整理してみよう(弓山2006)。
 第一に「スピリチュアリティ」をめぐる関心の高まりの要因は、医療・看護分野では、「なぜ死ななければならないのか」「何のために生まれてきたのか」という魂レベルの苦痛(スピリチュアルペイン)をどう取り除くのかという要請にあった。しかしそれがいつの間にかお手軽な悩み相談にとって代わり、人間存在の問いかけすら、もてはやされては消えていく消費文化のアイテムの一つとなってしまった違和感である。島薗[2007:298]がいうように、スピリチュアルな動向に関しては、個人主義的傾向が商業主義や消費主義と適合的であり、「現代世界の社会悪を軽視して未来をオプティミスティックに展望するような側面が多々見られる」のである5。 
 第二に現代スピリチュアリティ文化の内面志向の危険性、つまり内面志向が、現代人の社会性や人間関係作りを阻害してはいないかという違和感である。すぴこんの典型的な光景は、つながりや宇宙との一体化を説きながら、「スピリチュアル」を求める若者が狭いブースの中や人工的なワークショップや自己の内側の心地よさに安住している姿である。自己の内面をみつめる重要性を否定はしないが、スピリチュアルであるということが、コミュニケーション不全の言い訳や非社会性と結びつく危険性は十分に考えられる。本来、「スピリチュアリティ」の源泉となってきた宗教は、こうした内面志向と外界への働き(利他や奉仕や社会活動)を一致させていた。「スピリチュアル」の消費者には、こうしたバランスが希薄である。
 1990年代以降、心理ブームを背景に「こころのケア」が重要視されている。身体的な病いはもちろん、災害も犯罪でも、恋愛や仕事でも「こころのケア」が叫ばれる。現代人は、より繊細で、もろく、崩れやすくなっていくに違いない。スピリチュアルな志向性は、より深く傷つきやすい被害者の予備軍をも広汎に胚胎させている。被害者をそのナイーブさゆえに批判する訳ではないが、スピリチュアルブームは、傷つきやすさの地ならしをしているかのように見えよう。
 第三に、こうした内面志向や非社会性が暴力性や反社会性に転化していくのではないかという違和感も指摘しなければならない。1980年代末に自分探しの動向を背景に、ヒーリングブームと軌を一にする形でオウム真理教は登場した。ヒーリングを求める先鋭的な部分が、社会の中で舵をとり違えたときに、大きな錯誤や凶暴性を生み出すことを、私たちは地下鉄サリンをはじめとする一連の事件に見てきた。スピリチュアルな内面志向が、他者への無関心や自らの心地よさを優先するエゴイズムに結びつくことへの危惧、そしてオウムの陥った同じ陥穽を現代スピリチュアリティ文化に見て取ることに異論はないだろう6。
4,まとめ
 以上、現代スピリチュアリティ文化の明暗のうち、「暗」を中心に、「スピリチュアル」への違和感を、その消費文化的な脆弱さ、内面志向の危険性、暴力性の観点から整理を試みた。もちろん報告者は、科学の名のもとに証明できないものは存在しないとか、人間は死んだら土に還るだけだという狭隘な人間観を振りかざす気はない。むしろスピリチュアリティ文化を、どう意味のあるものとして社会に軟着陸させるのかに関心がある。現段階で言えることは次の三点である。
 第一に現在のスピリチュアルブームに対して、宗教者の何らかの発言が求められよう。繰り返すが「スピリチュアリティ」の源泉は宗教である。非宗教セクターに「スピリチュアリティ」が拡散していくなかで、それを収斂させようという試み、あるいは何らかの評価・判断が宗教者側から表明されることが、「スピリチュアリティ」を意味あるものとして現代社会に位置づけるうえで必要である。
 第二に「スピリチュアリティ」は、単に宗教者だけの問題ではなく、現代社会に生活する私たちが、どのような社会を是とするのか、どのような暮らしを幸せと考えるのかという価値観の問題と直結している。「お金ではなくハートである、心である」とは言い古されたフレーズであるが、そのように生きることは難しい。スピリチュアルブームが、精神性の復興・再注目の機運だとすると、このブームと厳粛に向き合うことが重要な課題であろう。
 第三にこうした宗教とそれをとりまく現代スピリチュアリティ文化の諸動向と社会とをつなぐ役割を宗教研究者は有しているに違いない。これが本パネルの目的でもあるが、宗教から横溢する「スピリチュアル」を、どう位置づけ評価し、広い意味での宗教界と社会とを架橋する役割は、学術的にも、実践的にも意義のあることと考えられる。すなわち宗教研究に求められることは、(1)この多様な運動/文化の適切な分類・分析であり、(2)研究上も混乱しつつある「スピリチュアリティ」概念の整理(「宗教」概念の再検討とも通じる)であり、(3)現代世界に広がるスピリチュアリティ文化の国際比較であり、(4)本概念を用いる研究戦略の確立であり、(5)応用・実践的な観点から研究者・宗教者を含むスピリチュアリティ文化の担い手・市民との対話・協働の橋渡しであり、(6)研究者自らの実存的な内省であると考えられる。本学会のこれまでの学術大会・機関誌においても当該テーマを扱う研究は増えており、この時期に本大会において総括的な議論を行うことは極めて意義あると確信する。
 
 以上の問題提起を受け、当パネルは以下の通りに展開する。
 樫尾氏は、現代日本のスピリチュアリティ文化の諸相について宗教性と倫理性という二つの意識的位相の差異に注目し、その存在論的構造モデルの構築を試みる。
 渡辺氏は、スピリチュアリティへの人々の期待が実情として満たされているか、批判が当てはまるかどうかについては、客観的なデータに基づいて判断するべきとの立場から、日本および米国で合計千人規模による大規模対話の社会実験のデータをもとに、「自由な立場での宗教的恩恵」と「宗教対話の基盤」という2側面について、実情を詳細に検討する。そして、現在喧伝されているスピリチュアリティよりも安全でかつ現実的な効果が期待できる概念を提案する。
 安藤氏は「スピリチュアリティ」「スピリチュアル」の用法やその文脈を分析し交通整理するとともに、そのような多様な文脈においてこの概念を必要としている現代社会の「スピリチュアル」な危機を指摘し、そうした危機そのものを各自の固有の文脈のなかでしっかり受け止められるような「問いとしてのスピリチュアリティ」を示唆する。
 そして「新霊性運動/文化」概念を提唱し、当該テーマに関する第一人者である島薗氏のコメントを得て、登壇者間の意見交換と参加者を交えての議論を行う。
【注】
1 同連絡会の山口広弁護士らによると、各地の消費生活センターや同連絡会などに寄せられる宗教トラブルの被害額は、2006年に約40億円で、2005年の約30億円から急増。「スピリチュアルやヒーリングなどのブームによる被害が拡大したため」とみている。被害の多くは、大規模な特定の教団に所属しない街の占師や気功師らがかかわっているケースが多いという。 同連絡会の紀藤正樹弁護士は「一連のスピリチュアルブームは、テレビ番組や雑誌記事などが支えている側面もある」とメディアの責任を指摘している(『朝日新聞』2007年11月26日)。
2 ある20歳代の女性は「1週間で必ず効果が現れる」という開運ブレスレットを雑誌で見て購入したが効果がなく、さらに「負のオーラが邪魔をしている。負のオーラを取り除き,本来の幸運を取り戻すために」と念珠の購入を勧められたという。彼女は代金30万円を振り込み、商品も届いているが解約したいという相談を、茨城県(いばらぎけん)消費生活センターに寄せた(国民生活センター「生活ニューネットマガジン」181、2007年10月25)。
3 BPOは放送倫理委員会の決定としてフジテレビの大型バラエティー番組「FNS27時間テレビ『ハッピー筋斗雲』」(2007年7月放送)に対して、2008年1月21日に意見書を発表した。この番組では地震被災者やいじめにあった生徒のいる学校にリンゴを贈る活動をする女性をとりあげ、江原啓之のスピリチュアルカウンセリングにより「女性の亡き父」からの「美容院経営をおろそかにしている」とのお告げを伝える様子を放映した。この女性が「善意の形をとりながら、結果的に傷つけられた」と相談を寄せ、BPOは「スピリチュアルカウンセラー(霊能師)ありきの企画・構成並びにショーアップ」「客観的な裏づけに欠ける(中略)断定と強調」「『おもしろさ』を第一とする取材・構成・演出を繰り返し、その結果、人間の尊厳を傷つけかねない番組を放送している」と番組を批判。「出演者の心情に気を配った手続きも取らず出演させ、一方的に『スピリチュアル』といった非科学的なカウンセリングを押しつけ(略)『裏づけに欠ける情報の作為』『スピリチュアルカウンセリングの押しつけ』『出演者及び取材対象者との信頼関係の不在』」と断罪するに至った。
4 2007年3月、日本スピリチュアルケア学会設立準備委員会での議論。
5 同じようなことを私たちは1990年前後のヒーリングブームにも見てきた。ヒーリングブームは、本来、米国ニューエイジ運動の持つ一種の緊張感、それはキリスト教や医療に代表される近代科学との緊張感が孕まれていた。現行の社会や文明に対する批判やオルタナティブとしてニューエイジ運動は機能し、「ヒーリング」という語には、身体の回復のみならず、社会や環境の危機からの回復という意味合いもあった。しかしニューエイジ運動が日本に根付く過程で、いつの間にかヒーリングは、こうした背景も緊張感も後退し、キャラクター商品や温泉旅行のキャッチフレーズとして消費されている。現状を変革するかもしれないという、かつての魅力は今のヒーリングブームには見られない。現代の「スピリチュアル」も、こうした消費文化に登場しては消えていく脆弱さを有している。
6 オウムとスピリチュアルブームの背景との共通性は、精神科医の香山リカ[2007:137-140]や新聞記者の磯村健太郎[2007:192-196]が指摘するところでもある。目に見えないからこそ、そして人の価値観を変える力をもっているからこそ、「スピリチュアル」に関わることの危険性を理解しなければならない。
【引用文献】
島薗進・宮崎哲弥・渡邊直樹2008「対談 マスメディアとスピリチュアルブーム」、『現代宗教2008』
堀江宗正2008「メディアの中のカリスマ」、『現代宗教2008』
島薗進2007『スピリチュアリティの興隆』岩波書店
香山リカ2007『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』幻冬社新書
磯村健太郎2007『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』PHP新書
弓山達也2006「オウム事件の風化で再び花開く癒しの市場」『中央公論』2006/12月号

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