(財)国際宗教研究所公開シンポジウム「現代における宗教者の育成」

日時:11月13日(土)午後1時〜5時半を予定(終了後、懇親会あり)
場所:大正大学1号館2階大会議室
(東京都豊島区西巣鴨3-20-1/三田線西巣鴨より徒歩1分)
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【開催の趣旨】
 このシンポジウムは、現代における宗教者をめぐる諸課題を、主に次世代の信仰の中心的な担い手(神職、僧侶、神父・牧師、教師、布教師など)の育成に絞って議論するものである。
 さて、1990年代、とりわけ1995年のオウム真理教の地下鉄サリン事件以降、宗教に対する無関心が急速に拡がっている。2003年1月に発表された朝日新聞社の世論調査によれば、「宗教に関心がある」と「多少関心がある」をあわせても23%であり、残る77パーセントは「関心がない」と答えている。その中にあって、宗教者の役割とはいったい何であろうか。教育や地域や医療の現場で宗教者の役割を期待する声はあるものの、実際の現場で宗教者の姿を見ることは稀である。現代人にとって宗教者はどのような意味があるのだろうか。
 宗教に対する無関心が広がる一方、宗教者の不祥事や行状が面白可笑しく報道される傾向は弱まることはなく、宗教者の質はかつてないほどに厳しく問われている。しかも次世代の信仰の担い手の質的向上について、例えば新規リクルートにおいて、家族内継承において、教団運営の世代交代において、完璧なマニュアルというものは存在しない。
 少子高齢化の波に社会全体がさらされる今、ひとり教団のみがそれに無関係ではいられず、教団の担い手の高齢化や信仰の次世代継承の不十分さが懸念される。日本の教団の多くは世襲化によって、次世代への継承を成し遂げてきたが、価値観の変化により、今まで当たり前に行われてきた世襲が、若い当事者に当然のこととみなされなくなってきた。世襲化は、社会的にはむしろ私物化や「親の七光り」と結びつけられてネガティブに語られる風潮すらある。
 宗教者の質を一定のレベルで持続させることは、その教団の要であろう。信仰を次世代に伝え、これをどう高めていくかは、教団の最も深刻な課題の一つであると言っても過言ではない。換言すれば、これは、宗教者の担うべき質、つまり宗教性や霊性そのものを問う、抜き差しならない問題でもある。
 さらに、この問題は宗教者の家庭内の教育や宗教立大学の教育課程の問題とも密接に結びついている。また、教団には、さまざまな課題に応える特化された教師を養成する機関やプログラムがある。海外布教師、平和活動等に従事するリーダー、医療や看護の分野におけるケア・ワーカーなどの養成も、広い意味で「宗教者の育成」に含めることが可能であり、そう考えると、問題のすそ野は実に広い。
 このシンポジウムでは、現代において宗教者の育成がどのように行われ、そこでの課題を教団・宗派を超えて議論するものである。前述の通り、教団の置かれている位置は社会的に厳しい状況にある。こうした中、次世代の信仰の担い手の育成について思いを凝らし、問題を共有することは大いに意義あるものと考えられる。そして宗教者の質の向上を抜きにして、社会的資源としての宗教が認められることはありえないし、見方を変えれば、宗教者の質の向上は、豊かな社会の実現と決して無関係ではない。その意味で、宗教者の育成を議論し、その質の向上を目指す、このシンポジウムは、社会全体の質をうらなう重要な問いかけを含むものとなるであろう。

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