映画キッズ(6)

映画キッズはお金がない。だから旧作を求めて名画座を回る。当時(1970年代後半)お世話になったのは文芸座・文芸地下(池袋)、ギンレイホール(飯田橋)、鈴本キネマ(大塚)、早稲田松竹、並木座(銀座)といったところだろうか。300円前後で2〜3本の古い名作を見ることできた。中学2年だったか、3年だったか、文芸地下で「キューポラのある街」「下町の太陽」の二本立てを見たのが忘れられない。いずれも僕が生まれた頃の作品であるが。「キューポラのある街」の舞台は川口で、小学校時代を過ごした赤羽の隣である。「下町の太陽」の倍賞智恵子は当時住んでいた滝野川で少女時代を過ごしたと聞いている。そんな親しみやすさもあってか、この2本を見るために、その後、何度か名画座に足を運び、そのセットで今村昌平や大島渚を見ることになったんだろうと思う。
大島渚の「絞首刑」か「少年」に触れて、今まで見てきた日本映画と何か全く違うのに興奮してストーリーを話す僕に、物知りな友人が「ハンタイセイだね」と言った。当時の僕の頭では「反対・制」と漢字変換され、「おお、反対する人たちの映画なんだな」と納得。それらが日本ヌーベルバーグと呼ばれ、当時、気に入っていたアメリカン・ニューシネマやフランスのヌーベルバーグと同時代性を形づくっているのを知って、何だか凄く大人になったような気がした。高校が決まって、映画を見まくっていた中学3年の最後に「ATG映画の回顧」というような特集を見に原宿にあったミニシアターに通った。「天使の恍惚」「薔薇の葬列」なんかに、もの凄い衝撃を受けたが、他の作品の多くはよく理解できず、僕の中でまだ「ハンタイセイ」は「反体制」になっていなかった。
むしろATGより独立プロの方が僕がストレートに感動できた。お世話になったのはACTミニシアター。「真昼の暗黒」「ここに泉あり」「太陽のない街」など、「冤罪」という言葉も、「ハンセン病」があること(「ここに泉あり」に非常に印象的な療養所のシーンがある)も、プロレタリア文学というジャンルがあることも、映画を通して学んでいったもんだ。
映画キッズ(3)で書いたが、中学生当時、ウエスタンや上記の米・仏のニューウェーブの映画を通してアウトローや破滅型のヒーローに憧れをもった。同時にニューウェーブという意味で、それと近接しつつも、日本の独立プロには、また違ったもの―それは強いものに(まだ権力という言葉を知らなかった)に虐げられながらも、貧しくとも、ひたむきに、そして力強く生きていく人々に対する共感する態度を学んでいたったんだと思う。

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