「自分の頭で考える」だそうだ

昨晩から卒論指導について、思いをめぐらせている。今年度は本務校の担当は実質ゼロだが(昨年は17名! 僕の卒論指導人数は隔年で大きく増減する)、他校であずかりの学生がいるので、手を抜けない。流儀も異なるので、その辺から詰めていかねばならない。
そんな中、NHKの朝のニュースで外山滋比古『思考の整理学』の特集をやっていた。整理が得意ではない自分としては耳が痛いので、テレビを消そうと思ったが、つい見てしまった。そして卒論を書くうえで極めて示唆的な話だった(研究者にとっては、似たようなことは誰もがやっていると思うが)。
彼は50年間、定期を買って皇居周辺を2時間散歩しているそうだ。そこでメモを書き、家に帰り、メタノートと呼ばれるノートに書き写し、、、ということをやっているらしい。テレビ画面に映し出されたノートには「研究」何とかと書かれていた。つまり常に研究や論文のことを考えているのだ。しかも1日2時間はそれに集中している。インタビューで彼はこう言ってもした。
「本を読んでもメモをとっても、本の通りなんですね。でも一ヶ月もすると忘れてしまう。そこでメモを見て、本のことを書こうとすると、自分の解釈が出てくる。熟成されてくる。」
けだし名言である。
調査でも、文献でも、終わった直後は人の話や本の受け売りで終わってしまう。卒論でいえば、「こんなん見てきました、聞いてきました」とか、「本に、論文にこんなん書いてありましたんでまとめました」という感じで、多くの卒論はそんもんで、それは論文ではない。ところが1ヶ月それについて思考を持続すると(彼は毎日散歩しつつ、それをしている)、だんだん熟成してきて、自分の言葉で語れる=自分の考えが出てくる。戸山先生は「発酵してくる」とか「熟成してくる」と言っていた。凄くよく判る。「もうちょっと、その案をもんでみて」なんて表現もよく職場では使うね。白菜にタレ揉み込み、キムチを熟成させる感じかな。元に戻って、逆に言うと、思考を持続させないと、言葉を熟成させないと、自分の言葉にならない。
卒論指導のメールで昨晩、僕は「四六時中、風呂に入っても、卒論を意識しろ」「考察部・結論部は、考える力が問われる」「数百字を書くのに1週間」「数日休んだら、元の「論文モード」に戻るまで数日かかる」と書き送ったのだが、戸山先生の話は、そういうことであろう。特集のテーマは「自分の頭で考える」で、これは何も卒論や研究だけのことではない、プラクティカルな知恵だと思う。
さぁ、僕も原稿書くか、、、(その前に『思考の整理学』買わなきゃ)

2 comments

  1. 中やん より:

    若輩者なりに耳が痛いです。

  2. B型過激派(07卒業組) より:

    お久しぶりです!
    在学中、私も先生から「四六時中卒論のことを考え、どのページの何行目に〜〜について書いたか自分ですべて把握しているように」と言われて唖然とした記憶があります。。
    そこまで真剣に卒論に取り組んでいる学生は、私も含めてほとんどいなかったですが…
    大学教授をはじめとする学者の方はそれだけ神経を使っているのだと思うと、頭が下がります。
    真剣に物事に取り組むことは大事ですね。
    寒くなりましたがお身体に気をつけてくださいね!

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