メーリングリスト騒動顛末記

ここ半月で2件ほど、MLをめぐって深く考える機会があった。今は沈静化しているのだが火種がないわけではないので、一件だけ少しぼかして書く。
MLについては、2006年にトラブルがあり、そのことは、このブログの記事にも書いた。つまり携帯メールとPCメールとの闘争であり、劇的に前者が後者にとって替わった瞬間でもあった。僕らPCメールをメーラでDLして読んできた世代からすると、まっとうな仕事のやりとりを携帯メールで行うことはありえない。しかし上記記事でも指摘したように、そして多くの論者が言うように携帯は身体の一部であり、携帯メールを否定することは無謀である。
さて、11月に入って、僕が指導する若手グループに「議論しておいて」みたいな指示が何だか伝わらない(正確に言うと、伝わっているのか、いないのかさえ判らない)、事前に書類のやりとりをすれば本番はお客さんの前でもっとうまくいくのにそれができていない、、、ということに気づき、MLをみたら案の定、全員が携帯メールであった。これでは飲み会の日程調整はできるものの(実はこれすらも怪しくて、飲み会の日程調整の依頼に何の返事もない)、まともな議論ができる訳がない。
僕ら文字に関わる人間ですら、重要なメールや長文のメールはプリントアウトして、よく読む。PC画面では制約があり、一瞬で俯瞰し、メッセージの真意をとらえることは危うい。プリントアウトも裏表ではなく、何枚にもわたるばあいは広げてみるために表のみの印字であることは言うまでもない。
プリントアウトしても読み間違いはある。PC画面なら、その確率はもっと高くなる。では携帯画面なら、どうであろうか。考えるまでもない。プリントアウトすれば可能な「ぱっと見て、さっと判る」ということは望むべくもない。しかし携帯は血肉化され身体の一部である。それを措いて、同じような機能のPCメールとの両立(たとえてみれば、目がいいのに、もっとよく見える眼鏡をかけるようなもの)は可能なのだろうか。身体が拒否することは容易に想像される。
ホームページ→ブログ→mixiのようなSNS→twitterのようなつぶやきコミュという流れとも関連してくるのだろうが、人間の認識・認知・表現の大きな変化の中にいるような気がする。

4 comments

  1. 中やん より:

    先生や先輩から本気の日本語チェックを頼まれた時などは必ず紙に印刷してチェックします。
    なぜかPC画面だと完璧に近い精度の仕事ができなくなるんですよね。
    携帯はかなり便利なんですけど。
    不思議なもんです。
    僕はやっぱり携帯とPC同時に送られるMLシステムが一番便利だと思うんですけど。
    一旦携帯で確認したら、家で必ずPCを見るので再考できます。
    やっぱりPCと携帯を同時に使う時、あの時にように時間帯や文字数は問題になるんでしょうか?

  2. 弓山達也 より:

    > やっぱりPCと携帯を同時に使う時、あの時にように時間帯や文字数は問題になるんでしょうか?
    2006年時には、上智大のネチケットを参照して対応したけど、今、ネチケットという言葉は死語だね。混迷の度合いを深めているんだろう。

  3. こいけ より:

    議論のツールとしてのMLがほぼ衰退したのも気になります。
    私の結論的印象は、組織というものは、発言権が完全に平等なツールを必ずしも歓迎しないのだなということです。
    MLに関しては、英語圏ですら「リターンパス(メール返信先)は、ML宛ではなく送信者個人宛にしよう」というネチケットが出現しているそうです。

  4. たむら より:

    こんばんは
    >議論のツールとしてのMLがほぼ衰退したのも気になります。
    スパムメールなどもあり、やたらメールが来るので、
    メール数が増えるのを敬遠する傾向があるかも
    しれませんね。
    テキストの組織化という点でも、掲示板などの方がいいように思いますし。
    メールだけだと、スレッドごとに体系化しにくいので、
    ある程度以上長い議論は、掲示板の方が楽だと思います。
    いずれにしても、ネットで議論するのは、話がかみ合うまでに消耗する
    ことも多いので、なかなか難しいでしょう。
    議論中心の情報公共圏論はやはりうまくいかず、ネットは自己物語と
    知識交換に向いていると思います。
    たむら

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