何が風化したのか/異質な価値観とどう向き合うか

2004年2月27日の麻原彰晃の東京地裁判決に際してしたためた文章です。3月3日の読売新聞に掲載されました。記事は海外も配信されたようで、2月に調査でお会いしたマニラ在住の方からメールをいただきました。


 麻原彰晃(本名松本智津夫)に対して東京地裁は求刑通り死刑を言い渡した。二五七回の公判で、麻原の口から事件の真相なり背景なりが語られることはなかった。しかし信者の体験談や脱会手記を見ると、入信動機には「虚しさ」があったことがわかる。
 「こんな社会なら滅んだがいい」という破壊願望や、「今の人生なら出家した方がましだ」というニヒリズムを糾合する形でオウム(現アーレフ)は成長した。それは、「宗教」としてのオウムがバブル期に始まったことを考えると、モノやカネを至上とする価値観に振り切った社会の振り子が、精神性や来世志向へ揺り返したとイメージしてみもらえば、ちょうどいいかもしれない。
 ところで判決に関連したテレビ番組を見ていて、九五年当時のマスコミの「オウム・フィーバー」のただ中にいるような不思議な感覚に陥ったのは筆者だけだろうか。地下鉄サリン事件から約九年、何も変わっていないのではないかと思うと同時に、「事件の風化」という言葉も何度か耳にした。何か「風化」したのだろうか。
 何一つ落ち度がないにもかかわらずテロやリンチに巻き込まれた被害者やその関係者に対する補償・支援の問題。小さなサークルが社会に無差別テロを準備できる時代に突入した日本の危機管理体制。松本サリン事件の誤報やTBSがオウムにビデオ提供したマスコミのあり方。脱会者を、オウム信者を、どう地域に受け入れるのか、受け入れないのかという地域社会の問題。さまざまな現場で努力が積み重ねられているはずだが、この一週間、識者が事件直後と同じように語る「なぜオウムに入信したのか」という問いに関しては、どうやら振り出しに戻ったようだ。
 ヘッドギアをつけ、マントラを唱えて教祖への帰依を誓う若者たちに、事件当時、私たちは強烈な違和感を覚えたはずだ。また彼/彼女らの多くが高学歴で、しかも私たちの身の回りにいる人々とさして変わらぬ人生を歩んできたと知って、驚きと、より一層の不気味さを禁じえなかったはずだ。そして「なぜオウムに」という問いに関しては、冒頭にも述べた「虚しさ」をはじめ、個別のケースはかなり蓄積されてきた。だが「虚しさ」というようなナイーブな感情が、どのようにして社会の脅威になるようなインパクトにまで発展したかという課題については、そのまま店(たな)ざらしにされ、風化してしまった。その課題は、私たちが異質な価値観とどう向き合うのかということと密接に関わっていると筆者は考えている。
 欧米のキリスト教に匹敵するような価値観を元来持たない私たちは、価値観に関して鈍感である。オウム事件とは、私たちの内側から、全く異質な価値観が生まれ、しかも無視できない圧倒的な力でもって私たちに迫り来たことに他ならない。今まで外来の価値観の「黒船」来航は幾度かあり、それなりのつきあい方もたしなんできたが、自らの内から「異質なるもの」を産み出したことは、そう多くなかった。
 隣人に対する無関心、自己の内面のみに対する異常な執着。こうした一見すると社会に対してそれほど大きな危機とはならないようなネガティブなムードが、ある種の触媒を通して社会の脅威になるような価値観にまで発展した時、私たちの中には大きな葛藤・対立をがもたらされた。自分や自分に近い誰かが、もしかすると、この異質な価値観の担い手になりうるのだ。
 しかし、こうした葛藤・対立は、教団施設がある日突然やってきた地域や、教団から戻ったものの麻原への帰依を口にする息子や娘を受け止めなければいけない家族の中では、いまも熾烈なものとして残っているものの、当事者以外はすっかり忘れ去ってしまったといっても過言ではない。その意味で「事件は風化」したのだ。
 宗教社会学の知見は、宗教教団において予言がはずれたり、教祖が死んだりすることが、かえって教団の拡大や信者の信仰の強化をもらたすことを明らかにしてきた。オウムもそうした事例の一つとなりつつある。「人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」「なぜ人を殺してはいけないのか」という言説がまかり通る私たちの社会には、いまだ共有すべき価値観はなく、再び確固たる輪郭を持った異質な価値観が醸成される苗床が十分に用意されている。オウムも含め、それらとどう向かい合うかが常に問われ続けるだろう。

5 comments

  1. 弓山さんのブログ発見

    「なぜか、坊主頭になっている!あの豊富な髪の毛は今どこへ?」40歳もすぎればだいたい太ってくるものだが、弓山さんは20年前とあまり変わっていません。若干眼光が鋭くなったかな、というか、東南アジアの仏教…

  2. 同感です。
    名は体を現すのでしょうか?「麻原彰晃なんて忘れた」と言う声が耳にしました。
    実際、教祖の名前を「麻原彰晃」から「松本智津夫」にしたのは視聴率が稼げるからだ、という声を聞いています。
    さまざまな点でおいてメディアのエゴ(?)によって立ち消えすることというのはどうしても切なく感じてしまいました。
    別の新興宗教がオウム事件みたいな事をするのが時間の問題だと思うのは一種の妄想でしょうか?

  3. 弓山達也 より:

    古橋さん、はじめまして。
    僕自身は「第二、第三のオウム」みたいなことを言っていましたが、最近はやや懐疑的です。
    そのことについては上記の僕の名前はクリックください。。

  4. ♂♀ 生・性・聖 2003.6.X 初出

    更年期のせいでしょうか 男性も女性も、六十歳を過ぎたあたりから 独特の品が出てく…

  5. 戦後日本システム崩壊の前兆(1)地下鉄サリン事件=霞ヶ関支配の終焉 2003.12.X 初出

    90??丈イ??? ???Υ?曙キ?償゚?? …

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