光州・調査旅行

韓日次世代フォーラムに行ってみようと思ったきっかけは開催地にあった。全羅道は食が豊かということも聞いていたが、やはり「光州」であろう。
日本では「光州事件」であるが、向こうでは「光州抗争」というらしい。1980年5月18日から10日間くらいのことである。前年に朴正煕大統領が暗殺され、民主化の機運が高まったものの、全斗煥による軍事クーデターが起き、民主化が圧殺されていく。当時、僕は高校3年生であったが、大学3年生の夏に大統領となった全斗煥が来日し、大学内外では抗議行動が行われた。その時の思い出はブログの別記事に譲るが、そんな経験もあって光州に一度行ってみたいと思っていた(なかなか一人で行けるところではないということも今回わかった)。
フォーラムの調査旅行では、5・18の犠牲者が最初に悲劇を隠蔽するかのように清掃車で運び込まれたという旧墓地(望月洞墓地=写真上)から、この事件で死刑判決を受けたものの、やがて大統領となる金大中によって建設されたメモリアル墓地(国立5・18墓地=写真中)をまわり、全南大学の先生(5・18の時は大学1年生で学生リーダーの防衛隊をつとめていたという巨漢の先生)・学生(5・18を語り継ぐNPOでボランティアをしているという)から詳細な説明を受けた。日本では、こうした民主化に関する記念碑なり、施設なりというとどこなのかなぁと思いつつ、答えがでないまま、記念館の見学を終えた。やはり国会周辺とか、三里塚になるのだろうか。
調査旅行は、日本に儒学を伝えたという王仁博士にまつわる施設を経て、木浦に着いた。本当に不勉強を恥じるのだが、木浦が日帝植民地時代の「朝鮮への玄関口」として栄えた港あることを知った。国策会社であり、今は日帝植民地時代の記録を展示する記念館となっている旧東洋拓殖株式会社を見学し、街のシンボルである儒達山を登山した。
韓国と日本との関わり、韓国と自分との関わりを再認識する調査旅行であった。翌日は5・18で民衆と軍が衝突した旧道庁広場に行ってみた。どんよりとした天気に鉄のフェンス(写真下)が、何やら自分の心象風景を映し出しているようでもあった

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