現代における宗教者の育成

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2004年11月13日、大正大学で、(財)国際宗教研究所主催の公開シンポジウム「現代における宗教者の育成」が開催された。


 去る2004年11月13日、大正大学において、当財団公開シンポジウム「現代における宗教者の育成」が開催され、50名を越える聴衆が集まった。
【問題提起】シンポジウム冒頭、司会である筆者は、現代における宗教者をめぐる諸課題を、主に次世代の信仰の中心的な担い手(神職、僧侶、神父・牧師、教師、布教師など)の育成に絞って議論するとシンポジウムの目的を説明した。つまり宗教者の宗教性なりスピリチュアリティ(霊性)を一定のレベルで持続させることは、その教団の要であり、これをどう高めていくかは、教団の最も深刻な課題の一つである。しかしながら、この問題に完璧なマニュアルというものは存在せず、それゆえ宗教の置かれている位置が社会的に厳しい状況にある中、次世代の信仰の担い手の育成について思いを凝らし、問題を共有することは大いに意義あるものと考えられるのである。
 次いで、特定の教団の信仰を背景としない筆者が、なぜこの問題に関わるかについて、筆者は、宗教者の質の向上を抜きにして、社会的資源としての宗教が認められることはありえず、そして社会的資源として宗教が、その力を発揮することと豊かな社会の実現とは密接に結びついていること力説した。すなわち宗教者の質の向上を目指して、その育成について議論する本シンポジウムは、社会全体の質をうらなう重要な問いかけを含むものとなるといえるのである。
【発題】パネリストは、戒能信生氏(日本基督教団農村伝道神学校講師)、塩入法道氏(大正大学助教授)、松本丘氏(神社本庁教学研究所録事)、安井幹夫氏(天理教校研究所研究員)。パネリストからは、各教団における教師の育成のシステム、教師数の推移と現状、教師育成の上での特筆すべき事例や抱えている課題をお話しいただいた。
 戒能氏からは、日本基督教団の教職制度についての概説があり、神学大学や神学校を経ない教師養成コースの存在、神学校進学者における新卒者減と中高年の増加、謝儀(給与)についての諸問題に対する報告があった。戒能氏の独自の調査によると、今まであまり知られていなかった教師の世襲率(二世率)は15%前後であるとのこと。塩入氏は、寺院子弟が天台宗僧侶となる基本パターンを示し、その上で主に宗門大学を念頭においた諸問題(人格陶冶、信仰心、学力、家庭教育、一般学生からの乖離)についてのプレゼンを行った。塩入氏による学生へのアンケート調査には、僧侶、特に尼僧候補者の進路についての悩みが綴られていた。松本氏は神職数の推移を示し、全神職数の微増と宮司数の減少をとらえ、地方神社における兼務神社の増加と都市部の神職数の増加を示唆した。そこには地域格差や資格を得ても神社に奉職しないケースがあるという。安井氏は天理教校第二専修科(高校を含め8ヶ年一貫教育)の立ち上げの経験から、この数十年を振り返り、生徒ならびに生徒の親子関係の変化を指摘した。それによると、かつては退学希望者に対して殺し文句であった「親はどう思っているんや」という台詞が通用しなくなったという。
【コメント】コメンテーターは、井上治代氏(ノンフィクション作家)と対馬路人氏(関西学院大学教授)にお願いした。井上氏から(1)大学教育(至上主義)の限界、(2)世襲制とモティベーション、(3)宗教性やスピリチュアリティを育む問題、(4)宗教団体の企画力や社会性、(5)女性教師の増加に関する質問とコメントがあった。対馬氏からは(1)プログラムの具体例を示してほしいとの要望のうえ、井上氏と同様に、(2)女性や幅広い層、さらに(3)外部を巻き込む戦略に関する質問が続いた。
 ここに至って、パネリスト各位はやや内情に関する議論を展開することとなり、特に宗教者としてのモティベーションアップや、スピリチュアリティの開発・深化に関する具体的な状況が話されることとなった。戒能氏はかつて寮制度が果たした役割が今では機能しづらくなった現状について述べ、松本は自らが社家でない自身の経験から、神社実習について、また神職の生涯学習について話をした。安井氏は、第二専修科5ヶ年の具体的なプログラムを一年ごとに説明(1年目は何も教えないとか、布教に出ても失敗するなど)し、どのように「魂に徳をつけるのか」を説明。一方、塩入氏は子弟が嫌々仏門に入りつつも「あきらめる」ことと、そうすることによりモティベーションは後からついてくることを述べ、会場からは、ややどよめきに近い声があがった。
【フロアーを交えて】フロアーからの質問は、大きく分けて、社会のニーズをとらえ、社会性を育む教団戦略を問うもの、スピリチュアリティめぐる求道型の宗教者に関するものに大別されようか。特に前者に関しては、発題の中で、取り込むべき女性層を「予備軍」と称する認識自体が、実際の女性教師の活動に鑑み、いかがなものかとの苦言も呈せられた。
 こうしたやりとりを経て、各パネリストの前半のサーベイ中心の発題とあいまって、具体的な内部事情が見えてきたという印象を参加者は共有したことであろう。また当初、当該問題に関しては世襲化の問題が焦点化される予測を筆者は持っていたが、むしろ、世襲化を前提として、それをどうプラスに機能させるかという議論がなされたと思う。またモチティベーションや求道型のスピリチュアリティに関しては、自分探しが先行して、拠点運営がおろそかになったり、燃え尽きてしまったりと、単にそれを高めることの失敗例がパネリストから事例報告され、むしろこれをどうコントロールしつつ高めていくかという模索が語られた。さらに、社会(世俗)や地域との接点や宗教受容層のニーズの把握抜きには宗教者の育成は語れないとの了解も得られたであろう。
 宗教者の育成は、教団の根本に位置する緊急の課題であり、各教団とも、その担当部署を設置しているであろう。しかし、「どこまで話していいのかわからなかった」と、ある関係者が懇親会で漏らしていたように、この課題が広く宗教界で議論され、共有されているとはいえない。さらに、筆者自身は、冒頭にも述べたように、宗教者の育成は独り教団の関心事ではなく、社会の豊かさをにらむ重要性をはらんでいるという認識を持っている。スピリチュアリティの問題などは宗教研究の、さらには一般お茶の間レベルでも、まことにホットな話題になりつつある。宗教界と宗教研究者と市民をつなぐ当財団にあっては、宗教者の育成やスピリチュアリティの向上については、今後もとりあげていくべき課題であると筆者は考えている。

2 comments

  1. 宗教、こころ

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  2. 翻訳blog より:

    牧師か神父か

     1891年4月24日金曜日の夕方、久しぶりにワトソン博士を訪ねてきたシャーロッ

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