愉しくなければ〈学び〉ではない

■「勉強」ではない
 君の知的活動が「勉め強いられた」もので、しかもそれを苦痛に感じるのなら、やはくその活動を見直した方がいいでしょう。内容が君に向いていないか、やり方がヘタなのかは判りませんが、何かが間違っているのです。黙って座り、人の話を聞く忍耐力なら別のところで養った方がいい。重要なことは、君たち自身の手で〈知〉を掴み取ることで、教員というのは、それをコーディネイトするのが役目だと私は思っています。 大学で学ぶということは、受講者同士が議論を深め、そこから何かを産み出していくことではないでしょうか。
■ただ、誤解しないように
 「愉しくなければ」といっても、いい加減な態度で講義に臨んでもらっては困ります。私は講義は教員にとっても学生にとっても「仕事」だと思っています。単位や成績のために「勉強」するとか、出席をとるから講義にでるというのは、大学生らしからぬ極めて幼稚な発想です。いい仕事をするには、遅刻をしないのは当然だし、責任ある態度が求められます。私は仕事の質を落とすような学生を断固として排除しています。さらに、中途半端なことをやって講義が理解できなくなった、つまらなくなった、レポートの期日がわからなくなったということがあっても、私は何ら関知しません。
■http://homepage1.nifty.com/yumiyama/
 私の講義ではグループディスカッションをしたり、みんなの前で発表したりと、学生が講義に参画することを強く要請します。君は、それを愉しめますか。いずれにせよ、もっと詳しい内容は、このURLにアクセスしてください。私はかなり明確な理念をもって講義に臨んでいますので、拒絶反応をおこす人もいるかもしれません。しかし大学はできるだけ多様なニーズに応えるような仕組みになっているので、相性のあわなかった方には他の講義をお勧めします。私の講義を選択するばあい、まず十分に私のサイトで講義内容・形式を吟味したうえで受講してください。

4 comments

  1. うるとらホテ子 より:

    松崎先生のブログからリンクして来ました。
    「勉強」という言葉自体が中学時代から好きではなくその後○○年間(笑)内容に応じ「学習」「学ぶ」「練習」「研究」と言い換えの工夫をしてきました。
    強いて勉める...
    たとえば、仮に初期段階では実行に努力を要したことも好きになった段階で「勉強」ではなくなる。
    私の周りは知的活動全般に「勉強」という言葉を無頓着に当てはめる人がほとんどです。
    たまたまではなく、そこまで漢字の意味を考えて言葉を選ぶ人は少ないのだろうと推測します。
    あまりに当然過ぎる単語なので誰かに指摘されない限り、改めて意味を問い直す語句のリストに上がって来ないのですね。
    かく言う自分も、中2の時担任教師(社会科)に「勉強」という語の意味を考えて使うよう注意されるまでは「学び」と「勉強」との違いは考えたこともありませんでしたから。
    私の元上司は『生涯、勉強!』と座右の銘を書いてデスクに置いてましたが、生涯強いて勉めなければ出来ない辛いことに精進するのはゴメンだ〜(もちろん、彼の言いたいことの本質は「学び」であるとは分かるんですけどね。笑)。私は『生涯、学び!』派です(^^)

  2. あ〜る より:

    弓山先生のお言葉に心揺さぶられて
    TB記事を書いたのですが
    書いた後で
    何か違う気がして
    消しました。
    よってTB先に行っても記事は削除済みです。
    申し訳ありません。。。
    追伸;松崎先生のブログからここに来ました。

  3. 弓山達也 より:

    ■うるとらホテ子さん、こんにちは。はじめましてかな?
    僕自身「勉強」体験にほとんど良い思い出がないんですね。
    で、もって大学に入って、先輩なんかと読書会をやって、学ぶことの峻厳さや楽しさに気づいた。これをどう学生に伝えられるかが僕の課題。
    ■あ〜る君、トラックバック記事、消すなよなぁ、、、もう一回書け!

  4. あ〜る より:

    もう一回書くべく
    考えてますが…。。。
    ちょいと時間を下さいませ。
    書いては消し、書いては消しの日々でございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*