竜泉のすたるじぃ

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 大学の歓送迎会会で台東区竜泉1丁目にある「梵」という普茶料理の店に行く。
 普茶とは、要するに黄檗宗の精進料理だ。B級でもないので、こっちに載せよう。ただ、写真にあるように、どう見ても鰻なんだけど、食べると湯葉とか、確かにエビの天ぷらなんだけど、実はニンジンとかという料理を食する。浦霞を飲む。
 竜泉というところには思い出がある。
 僕が大学2年から4年まで警備員のバイトをしてた工場があった場所だ。名前は嶋田チャンネル製作所。チャンネルとは車の窓枠で、僕は、この工場に週2〜3日、午後7時から午前8時半まで詰めて、見回りや納品の際のシャッターの開閉をやっていた。一晩5200円。安い!
 工場と別棟の社屋のガレージ内に3畳位の部屋があてがわれ、そこにベットと机と電話があった。見回り以外はあまりやることもなくて、湿っぽいベットで寝る気にもなれず、実は一番読書したのは、大学時代、この警備室においてかもしれない。関口ドイツ語をやったり、カントやデカルトを読んだりした。研究者になるきっかけとなった中山みきや金光大神に出会ったのも、ここでだ。
 最後の1年は警備員の配置も担当して、今でも「○○が急に嶋チャンに行けなくて」みたいな夢を見ることがある。どっかで一杯ひっかけて工場に戻って泊まり込む社員や、明け方に納品に来る町工場のおばちゃん。日産の下請けの下請けの、そのまた下請けの姿をつぶさに観察することができた。仕事が終わった近所の町工場のおやじさんがステテコ姿で道路に縁台を置いてナイターをラジオで聞いていた。夜警が終わって竜泉から南千住までの道のりは、飲んだくれたおっさんを踏まないように注意しなければならなかった。途中の吉野家では朝から宴会が始まっていて一人2本までの酒と決められているのに、3本目を注文するおっさんと店員との攻防が見られた。図書館には「飲酒厳禁」の張り紙があった。警備中、2度ほど地元の不良中学生が工場のシャッターを開けようとしていた場面に遭遇したことがあった。80年代初頭、校内暴力が華やかな時代だ。工場ではシンナーだか、トルエンを扱ってたっけ、、、
 さて、「梵」と嶋田チャンネルは数百メートルの距離。宴会終了後に一人で嶋チャンに行ってみた。もしかして泊まりの戸出課長がいるかもしれない。いても僕のことを覚えているかしら、、、なんて期待もあった。
 19年ぶりの竜泉2丁目は景観が変わっていた。たぶん、このへんだろうと思われるところに、工場はなく、マンションが建っていた。工場の奥、僕が詰めていたガレージのあった社屋は、、、、あった。な、ん、と、キックボクシングのジムになっている。でも3畳の部屋は健在で、更衣室になっている模様。出入りしていた扉も、荷物で封鎖されているが、そのままだ。僕が呆然としているとタイ人らしきボクサーが出てきた。「ジムになる前は何でした」と尋ねていると、他のボクサーが出てきて、親切に対応してくれた。でもジムが出来たのは1年ほど前で、その前のことはよくわからないみたい。
 酔っていて涙腺がゆるんでいたが、もの凄いビル風で目はすぐに乾いた。嶋チャンの社員はどうしたんだろうか、、、などとぼんやり考えながら、これまたすっかり雰囲気に変わって巨大パチスロ屋が並ぶ三ノ輪方面に歩いていった。

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